フルートたちの一行が塩湖にたどり着いたのは、山の中の高原で誕生祝いをしてから、さらに四日後のことでした。険しい山道を馬で登り、峠を越えると、そこに窪地(くぼち)が現れました。岩だらけの山々に囲まれた平原で、小さな湖が散在しています。湖がいくつもあることと、平原が一面白く染まっていることに、フルートたちは驚きました。
「おい、たくさんあるぞ。どれが例のトー湖なんだ?」
「どうしてあんなに白いんだろう? あそこにだけ雪が降ったんだろうか?」
「あら、でも、吹いてくる風に雪の匂いはしないわよ」
「ワン、塩の匂いはしますけどね」
不思議に思いながら山道を下っていくと、やがて白い色の謎は解けました。地面が雪のように白い塩でおおわれていたのです。馬たちの蹄(ひづめ)の下で、塩の結晶が砂のような音を立てます。
「すっごい! 見渡す限り塩の原っぱなんだよ、ここ! 信じらんない!」
とメールが声を上げると、ポポロが遠い目になって言いました。
「塩の地面はずっと続いているわよ……。平地全体が塩でおおわれているの。東西に十五キロ、南北に七キロってところかしら。湖も、大小合わせて十個以上あるわ。どれがトー湖か、わからないわね」
ポポロは魔法使いの目を使って、周囲を見渡していたのです。
すると、ゼンが遠くを指さして言いました。
「見ろよ、あそこに人がいるぞ。聞いてみようぜ」
雪野原のような塩原に、ぽつんと小さな人影がありました。地面にかがみ込んで、何かをしているようです。他に目につくものもなかったので、彼らはそちらに向かって進んでいきました。
近くまで行ってみると、それは小柄な中年の男性でした。派手な刺繍の縁取りの上着を着て、白いズボンをはき、地面に膝をついて、棒のようなものをしきりに動かしています。何をしているんだろう? とフルートたちが馬の上から見ていると、男のほうでも気がつき、立ち上がって、やあ、と言いました。
「こんな時期にトーにお客さんとは珍しい。しかも、ずいぶんと若いじゃないか。どこから来て、どこへ行くつもりだい? もう乾期になっているから、うかつにトーに足を踏み入れると、道を見失って迷子になるぞ」
と日に焼けた顔で屈託なく話しかけてきます。よく見れば、その服には継ぎを当てたり繕ったりした痕が何カ所もありました。あまり裕福な階級の人物ではないようです。
「このあたり全部をトーって言うんですか? ぼくたちはトー湖を目ざして、ここまで来たんですけれど」
とフルートは答えました。どんな相手にも丁寧な態度をとるフルートです。
すると、男は楽しそうに笑いました。
「トー湖はここだよ。あんたたちの足の下だ。トー湖は塩でできた湖だから、乾期には乾いた風に吹かれて表面に分厚い塩の層ができる。その上に、俺もあんたたちも立っているんだ」
「ここがトー湖!?」
とフルートたちはびっくりしました。あわてて馬から飛び下りて、足元の地面を確かめます。それは本当に堅くしまった塩の層でした。ポチが試しに掘ってみると、塩はどこまでも続いていて、やがてその底から水がしみ出てきました。ポチは、あわてて穴の外に出ると、何度も頭を振りました。底から湧いてきたのが、とても濃い塩水だったので、目や喉にしみたのです。
「そう、この下には塩の湖がある。俺はまだ海を見たことがないんだが、なんでも、トー湖には海の何十倍もの塩が溶けているんだそうだ。夏には雨が降るからここにも水が溜まるんだが、乾期になると、こんなふうに塩の地面が現れる。今はまだ、水溜まりみたいに水が残っている場所もあるが、やがてそれも干上がって、その後は本当に一面の塩野原だ。木一本生えない場所だから、あんたたちみたいな旅人が踏み込むと、目印がなくて、みんな迷子になるんだよ」
男は休憩することにしたようで、話しながら、よいしょ、とかたわらの塩の小山に腰を下ろしました。長いパイプを取り出して吸い始めたので、煙草の匂いが大嫌いなルルが、顔をしかめて飛びのきます。
男が長い棒のついた木の板を抱えていたので、フルートはまた尋ねました。
「それはなんですか? あなたはここで何をなさっていたんでしょう?」
男がまた面白そうに笑いました。
「あんたはずいぶんと礼儀正しいなぁ。どこから来たんだい? 俺は塩を採っていたんだよ。こうやって湖の表面から塩を削って、山に積んで水分を抜くのさ。塩が乾いたら、馬に積んでカラカルナまで売りに行く。カラカルナにはカナスカ湖の塩もたくさん運ばれてくるんだが、このトー湖の塩のほうが上等だから、高い値段で売れるのさ」
日に焼けた男の顔が、とても得意そうな表情に彩られます。
なるほど、とフルートは思いました。ここに至るまでの道は細く険しく、周囲の山肌は岩だらけで、とても人が住めるような場所には見えませんでした。そんなところにも人が暮らしているのは、ここでしか手に入らない自然の恵みがあるからなのです――。
すると、メールが男に言いました。
「でもさぁ、塩は普通、海から採れるもんだろ? なんで山の上に塩がこんなにあるわけ? 」
「ここが昔は海だったからさ」
と男は答えました。のんびりとふかすパイプから白い煙が立ち上って、空に溶けていきます。
「昔は海だった!?」
とフルートたちはまた驚きました。ここは標高千メートル以上もある山々に囲まれた高地で、海などどこにも見当たりません。
「以前、カラカルナの大学からここを調べに来た先生が、そんな話をしていったのさ。今から何千年も前には、ここは海の底だったんだが、それが盛り上がって山になっていったときに、海が山の真ん中に取り残されて、湖になったんだそうだ。そんな魔法みたいことが本当にあったのかどうか、俺にはわからんがな。とにかく、それがカナスカの塩湖の元なんだ、とその偉い先生は言ってたのさ」
男の説明に、ふぅん、とフルートたちは感心しました。ポチが隣のルルにそっと話しかけます。
「ワン、きっと三千年前の、最初の光と闇の戦いのときのことですね。光と闇のふたつの魔法が衝突して、世界中の陸地を引き裂いて動かした、っていうから」
「そうね。私たちの天空の国も、その時に地上から空へ飛び上がって生まれたんですもの。残された地上では、本当にものすごいことが起きていたんだと思うわ」
とルルも言いました。二匹はごく小さな声で話していたので、塩採りの男は犬が人のことばで会話していることに気がつきませんでした。
「あのよ、俺たち、ここでは世界で一番綺麗な星空が見られる、って言うんで、わざわざ来てみたんだ。本当にそんなに綺麗な星が見られるのか?」
とゼンが男に尋ねました。こちらは、相手が年上だろうが大国の王だろうが、いつもとまったく同じ口調のゼンです。
「本当だよ」
と男は煙草をふかしながら答えました。
「ただし、いつも見られるってわけじゃぁない。あんたたちは運がいいかもしれんな。どうやら、これから雨が来そうだ」
「雨が降らなくちゃ星は見られないんですか?」
とフルートはまた尋ねました。なんだか不思議な話だな、と考えます。
「いや、雨が降れば星は見えないさ。ただ、世界一の星空は乾期の、しかも雨が上がった後にしか見られないんだよ。そら、雨雲がかかってきた。濡れる前に引きあげたほうが良さそうだ」
と男は腰を上げました。パイプを逆さにして中身をあけると、そばの杭に引っかけてあった帽子をかぶり、短いマントをはおります。
「町はどっちなんでしょうか? ぼくたち、今夜泊まれるところを探しているんですが」
と言いながら、フルートは荷袋からワインの瓶を一本取りだして、男に渡しました。いろいろ話を聞かせてもらったお礼のつもりだったのですが、男はたちまち顔をほころばせました。
「こりゃこりゃ、テト産のワインじゃないか! あんたたちはテトから来たのか? こんな高級品をもらって、そのままってわけにはいかないな。俺についてきな。うちの納屋で良ければ、今夜泊めてやるよ」
思いがけない話でしたが、フルートたちにとっては渡りに船でした。ぜひお願いします、と頭を下げます。
ほーい、と男が呼びかけると、どこからか一頭の馬が現れて、塩の平原を駆けてきました。その上に飛び乗って、男が言います。
「こっちだ。水溜まりにはまると危ないから、俺の後をついてくるんだぞ」
先に立って駆け出した男の後を、フルートたちは自分の馬で追いかけました。一面真っ白な平原は、本当に、なんの目印もない雪野原のようです。馬の蹄の下で、乾いた塩が粉雪のように舞い上がります。
一行が白い景色の向こうへ駆け去っていった後、空の雲はますます厚くなっていきました。山の麓(ふもと)から吹き上がる風が霧を運んで雲に変わっていくのです。やがて、あたりは夕方のように暗くなり、雲から大粒の雨が降り出しました――。