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第16巻「賢者たちの戦い」

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第32章 賢者たち

111.崖

 デビルドラゴンを撃退して戻ってきたフルートは、ポポロが少し落ち着くのを待ってから、仲間たちに一部始終を話して聞かせました。

 デビルドラゴンが竜ではなく人間の姿で現れたと聞いて、ゼンが言います。

「長い黒髪の男だろう? 俺の時にもその恰好で出てきやがったんだ。見た目は人間だけど、中身は間違いなくあいつなんだよな」

 フルートはうなずきました。

「魔王にも似ていたけれど、それよりずっと人間から遠い感じがしたし、力も強かった。あれが人間としてこの世に現れていたら、大変なことになっていたんだろうな」

 男の冷たく整った顔を思い出して、つい身震いしてしまいます。

 すると、ユギルが言いました。

「勇者殿のおっしゃるとおりでございますね。かの竜の目的は、幽閉されている世界の果てから復活してくることです。今からちょうど四年前、ロムド国が黒い闇の霧におおわれたときにも、かの竜はメデューサが守る神殿で多くの命を食らって、この世に復活しようとしていました。あのとき勇者殿たちが闇の卵を破壊しなかったら、かの竜は人の姿をとって、この世に現れていたのでしょう」

 フルートとゼンとポチは思わず顔を見合わせました。ちょっと考えてから、フルートが言います。

「ぼくたちは闇の卵を壊したけれど、デビルドラゴンは影の姿でこの世に残ってしまった。そして、その後、何度も人や怪物に乗り移って魔王を生み出してきたんだ。その本当の目的は、魔王に多くの生贄を集めさせて、自分をこの世に復活させることだったのかもしれないな」

「だな。デビルドラゴンが乗り移って魔王になったヤツは、必ず世界の王になろうとするし、平気で大勢を殺しやがるもんな」

「ワン。偉くなって他人の上に立ちたい、っていう人間の欲望を利用して、自分のための生贄を集めているんですね」

 とゼンとポチも言います。

 

 すると、ルルがうなだれ、体を震わせながら言いました。

「デビルドラゴンは憎しみの心も自分の糧(かて)にするのよ……。私が魔王になったときは、それを利用されたの。私はフルートをとても憎んで、何度も殺そうとしたから、デビルドラゴンにすさまじい力を与えてしまったわ。影のままでも世界が破壊できそうなくらい……」

 ルルは涙を流していました。彼女は自分が犯した罪の罰として、自分が魔王になったときのことを決して忘れることができません。二年以上の時間が過ぎた今でも、その時のことは、つい昨日の出来事のようにありありと思い出してしまって、罪悪感にさいなまされるのです。ポチがあわてて駆け寄って、涙をなめます。

 フルートはルルにかがみ込むと、優しく言いました。

「泣かなくていいんだよ、ルル。君もぼくたちもデビルドラゴンに誘惑されたけれど、ぼくたちは誰もあっち側には行かなかったんだから。ぼくたちは誰も負けなかった。大事なのはそのことだけだよね」

 フルート、と言ってまた泣き出したルルを、ポチが一生懸命なめ続けます。

「いずれにしても、デビルドラゴンは人の闇の想いをそそのかし、そのことで力を得て、この世に復活をはかろうとしているわけだ。まったく油断ならんことだな」

 とオリバンが腕組みすると、セシルが言いました。

「どうにかすることはできないのだろうか? デビルドラゴンは世界中のあちこちに、自分を呼び出すための暗号をばらまいたのだろう? それを解読した人間が、いつまた奴を呼び出すかわからないぞ」

「左様でございますね。かの竜はさまざまな人や怪物に取り憑いて魔王を生み出してきましたが、思うような効果を上げられないために、魔王にする相手を厳選するようになったのでしょう」

 とユギルも言うと、アキリー女王がつぶやくように言いました。

「次にデビルドラゴンを呼び出すのは、また冷酷で頭脳明晰な人間なのじゃな――グルールのように」

 そのままうつむいてしまいます。

 

 その時、メールが気がついて声を上げました。

「ねえ、そう言えば、ガウス侯はどこにいるのさ!?」

 他の者はあわてて周囲を見回しました。フルートがデビルドラゴンにさらわれて大騒ぎをしていた間に、ガウス侯が姿を消していたのです。

「野郎、逃げやがった!」

 とゼンがわめきます。

「ユギル!」

「ポポロ!」

 オリバンとフルートが同時に言い、青年と少女は遠いまなざしになりました。すぐに占者が川下の方向を指さします。

「ガウス侯はこちらの方角です。ご覧になれますか、ポポロ様?」

「はい――見つかりました。川岸を走って逃げています」

 と魔法使いの少女が答えたので、フルートがまた言いました。

「ポチ、風の犬だ! ガウス侯はまだあきらめていない。このまま逃がすと、またデビルドラゴンを見つけて魔王になるかもしれないぞ!」

「ワン、わかりました!」

 とポチが風の獣に変身します。

 ところが、フルートとポポロがポチの背中に乗ると、その後ろにアキリー女王までが飛び乗ってきました。アク!? と驚くフルートたちに強く言います。

「邪魔はせぬ! わらわもつれて参れ!」

 しかたなくポチは女王も乗せたまま空へ舞い上がりました。

 その後をゼンとメールを乗せたルルが追いかけ、セシルとオリバンとユギルを乗せた管狐が川岸を駆け出します。いつの間にか空は白み始めて、あたりが薄明るくなっていました。月の光に頼らなくても、周囲を見通すことができます。

 やがて川は次第に岸から下がり始め、切り立った崖の下を泡立ちながら流れるようになりました。エジュデルハの滝が背後に遠くなっていきます――。

 

「いたわ!」

 とポポロが眼下の川岸を指さしました。切り立った崖の上に、逃げるガウス侯の姿があったのです。ポチが急降下して、候の行く手に舞い下ります。

 ガウス侯は立ちすくみました。逃げる際にあちこち引っかけたり転んだりしたのでしょう。立派な服にはいくつも裂け目ができて血がにじみ、黒髪はざんばらに乱れています。

 その前に飛び下りて、フルートは言いました。

「もう逃げられないぞ! ガウス侯!」

 その隣にアキリー女王も降り立ちました。声を震わせながら言います。

「投降するのじゃ、グルール! 負けを認めよ!」

 ガウス侯のほうも激しく身を震わせました。顔を歪め、嫌だというように頭を振りながら後ずさります。そこはもう切り立った崖のすぐそばでした。ポチとポポロが同時に叫びます。

「危ない!」

 その声に、岩が崩れる音が重なり、ガウス侯が彼らの目の前から姿を消しました。崖を踏み外して落ちたのです。グルール! と女王が悲鳴のように叫びます。

 

 けれども、崖の上に二つの手が残っていました。岩の角を必死で握りしめています。やがて、崖の下からガウス侯が顔をのぞかせました。あえぎながら右腕を崖の上に出し、別の岩をつかもうとします。

 そのとたん、また岩の崩れる音がしました。ガウス侯はあっと叫び、また崖下に落ちかけました。目から上だけを崖からのぞかせて這い上がろうとしますが、今度は停まることができません。左手が崖から消え、右手もずるずると滑って落ちていきます。

 ガウス侯は死にものぐるいで地面に指を立て、立ちすくんでいる女王に向かって叫びました。

「アク! アク、助けてくれ――!」

 とたんに女王が弾かれたように飛び出しました。崖っぷちに駆け寄り、今まさに落ちていこうとするガウス侯へ手を差し伸べます。

「グルール!」

 その手をガウス侯がつかみます。

 

 すると、ガウス侯が停まりました。女王が目を見張ります。腕にガウス侯の体重がかかってこなかったのです。候はただ、女王の右手首をつかんでいるだけでした。驚いている彼女へ、にやりと笑って見せます。

「やはり助けに来たな。男に惚れた女は、実に愚かだ」

 ガウス侯は崖に宙づりになっているのではありませんでした。候が落ちた崖のすぐ下に岩角があって、そこに足がついていたのです。

「おまえだけは生かしておくものか。死ね、アキリー!」

 そう叫ぶと、ガウス侯は崖下に向かって女王の手を強く引きました――。

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