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第16巻「賢者たちの戦い」

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107.守りの勇者

 フルートが突然願い石を呼び始めたので、川向こうにいたポポロや犬たちは、ぎょっとしました。フルートの全身が赤い輝きに包まれていきます。

「だめよ! やめて、フルート――!」

 叫びながら駆け寄ろうとしますが、また谷川の急流に阻まれました。あたりに響くのは降りしきる雨の音、それに谷川の音と滝の轟音です。

 

 すると、輝きがフルートから離れて一箇所に集まり、背の高い女性に変わりました。赤い髪を高く結って垂らし、炎のようなドレスを身につけた願い石の精霊です。少年を見つめて尋ねてきます。

「私を呼んだのか、フルート。何故だ。いつもならば、絶対に私の力は借りない、と言い張るところなのに」

 精霊の美しい顔はなんの表情も浮かべていませんが、その声は、どこか不思議そうでした。

「金の石が力を奪われて眠ってしまったんだ」

 とフルートは言いました。こんな状況だというのに、こちらは意外なほど落ち着いた声です。

「そのようだな。それで?」

「このままではあいつを倒せない。そうなれば、ぼくはあいつに殺される。そんなのは君にはつまらないんじゃないのか?」

 フルートは遠回しに相手に何かを伝える口調でした。精霊の女性が細い眉をひそめます。

「私に守護のを起こせと言っているのか。それがそなたの願いか、フルート?」

「違うよ。ぼくは願わない。君が、そうしたいんじゃないかと思って、聞いているんだ」

 フルートは、君が、という部分を強調しました。青い瞳で、じっと精霊を見つめています。

 精霊はいっそう冷ややかに答えました。

「同じことであろう。私の役目は、そなたの願いを一度だけかなえることだ。それ以外の願いや命令を私にすることはできない」

「知っているさ。でも、君が金の石を起こさなければ、ぼくたちはこのままここで魔王に殺される。そうなれば、君はぼくの願いをかなえられないし、君はぼくの中から去って、また何百年も、ひょっとしたら何千年も、次の持ち主が現れるまで地中で眠ることになる。そんなのはつまらないんじゃないか、と言っているんだよ。君は、金の石が眠っていると退屈なんだろう?」

 それを聞いて、願い石の精霊は一瞬、人間めいた顔つきをしました。ひどくあきれたような表情です。

「私には自分のために力を少し使うことが許されている。それを利用して契約の裏を突こうというのか、フルート。なにやら、ずる賢くなってきたのではないのか?」

「ずるくたってなんだってかまわないさ。みんなを死なせるわけにはいかないんだからな」

 とフルートは答えました。真剣そのものの表情はひどく大人びていて、もう少女のようには見えません。

 願い石の精霊は肩をすくめました。黙ったままフルートへ歩み寄ると、その手を伸ばします――。

 

「フルート! フルート、だめよ!!」

「ワン、願っちゃだめですよ!」

「やめて、フルート!」

 ポポロと犬たちは川向こうで叫び続けていました。メールは倒れたまま動かないゼンを泣きながら呼んでいます。

 フルートは願い石の精霊と向き合ったまま、淡い赤い光に包まれていました。中で彼らが話している声は、外には聞こえてこなかったのです。

 すると、空中のガウス侯がそれを見下ろして言いました。

「あれがデビルドラゴンの宿敵の願い石か。金の石の勇者め、我々の消滅を願うつもりだな。そうはさせん」

 ガウス侯の手から大量の魔弾が発射されましたが、攻撃は赤い光に当たると、ことごとく砕けて散ってしまいました。続けて空から稲妻が降ってきますが、それも彼らの頭上で消えてしまいます。

 すると、赤い光の中でフルートが願い石の精霊へ微笑しました。精霊が動き出し、フルートへ歩み寄っていきます。

「だめぇ!!!」

 ポポロはついに飛び出しました。間を隔てる急流へ駆け込んでいこうとします。

 すると、後ろからユギルに引き止められました。放して! と振り切ろうとすると、占者が言います。

「大丈夫です。勇者殿をご覧ください」

 願い石の精霊がフルートの肩をつかんでいました。フルートが、痛みを感じたように顔を歪めます。とたんに、胸に下がったペンダントの真ん中で、石が金色に変わりました。みるみる輝きを増していきます――。

 

 フルートと願い石の精霊の前に、黄金の髪と瞳の少年が現れました。いつものように腰に両手を当てて、怒ったように言います。

「どうしてそう余計な真似ばかりするんだ、願いの! 願ってもいないことをかなえていると、そのうちに君のほうが消滅するぞ!」

「契約違反ではない。契約の裏側の履行(りこう)だ。文句ならばフルートに言うがいい」

 願い石の精霊がまたいつもの無表情に戻って答えます。その手はまだフルートの肩をつかんでいました。願い石から金の石へ力が流れ込み、ペンダントの真ん中で魔石がいっそう明るく輝きます。

 それを前に突きだして、フルートは叫びました。

「光れ、金の石! ガウス侯からデビルドラゴンを追い出すんだ――!!」

 精霊の少年が肩をすくめながら消えていきました。同時に金の石がまばゆく輝き出し、あたりを真昼のように照らします。

 とたんに、岸辺に倒れていたゼンとオリバンとセシルが起き上がりました。聖なる光で正気に返ったのです。ゼンの頭からは怪我も消えていました。三人揃って空中を見上げます。

 そこではガウス侯が闇の障壁で聖なる光を防いでいました。金の光が黒い障壁を溶かしますが、内側から黒い霧が押し寄せてきて、障壁を再生していきます。聖なる光はガウス侯には届きません。

 オリバンが婚約者へ言いました。

「セシル、また管狐だ!」

 たちまち彼らの目の前に大狐が現れました。オリバンとセシルを乗せて宙へ飛び上がります。

 ガウス侯に迫ると、オリバンはまた剣を構えました。障壁へ鋭く切りつけると、そこから障壁全体にひびが走り、ガラスのように音を立てて砕けていきます。

 金の光をまともに浴びて、ガウス侯は悲鳴を上げました。熱に当たった蝋細工のように、全身が溶け出しています。手を振ってそれを再生させると、候は地上へ降り立ちました。はおっていたマントを全身に絡めて光をさえぎり、その場から逃げ出そうとします。マントには白い竜の刺繍が施されています。

 すると、そこへゼンが駆けつけました。逃げるガウス侯を後ろからむんずと捕まえ、マントを引きはがして殴り倒します。フルートも駆けつけて、ペンダントを候へ突きつけました。まばゆい金の光の中、候の体から黒い霧のようなものが抜け出していきます――。

 

 霧は空に昇り、一同の頭上に集まっていきました。巨大なドラゴンの形になり、ばさり、と四枚の翼を広げます。

「出た! デビルドラゴンだぞ!」

 とゼンが言いました。フルートはペンダントをかざして、影の竜へ光を浴びせ続けます。願い石の精霊はいつの間にか姿を消していましたが、金の石はまだ強く輝き続けています。

「待て、竜の秘宝!」

 とガウス侯が座り込んだまま叫びました。一度溶けた体は元に戻っていました。牙も長い爪もない人間の姿です。

「戻ってこい! おまえは私を世界の王にすると言ったのだ! 戻ってきて、私に力を貸せ!」

「金ノ石ガイテハ不可能ダ」

 とデビルドラゴンは答えました。影の体は空にあるのに、声は地の底から響いてくるようです。

「我ハ闇。我ハ影。光ニ逢エバ薄レテ消エテシマウ。ココデ消エテイクワケニハイカナイ」

 ますます明るくなる金の光を浴びて、影の竜は薄くなっていました。輪郭がぼやけて形が崩れ始めます。

「待て、竜の秘宝! 待て! 逃げるな――!!」

 ガウス侯は叫び続けましたが、影の竜は留まりませんでした。聖なる光の輝きの中、薄く薄くなって、やがて完全に見えなくなってしまいます。

 

 すると、あれほど激しく降っていた雨が、ぴたりとやみました。雲が切れて夜空が現れ、満月の光が差し始めます。空にデビルドラゴンの姿はもうありません。

 金の石が光を収めていったので、フルートは、ほっとしてペンダントを下ろしました。すぐに鎖を首にかけます。

 ゼンが腕組みして言いました。

「やれやれ。毎度毎度、人間ってのはホントにしょうもねえな。みんな、馬鹿のひとつ覚えみたいに世界の王、世界の王って言いやがってよ。そんなだから、すぐにヤツにつけこまれんだぞ」

「デビルドラゴンにとっては、人の野心が一番利用しやすいのだろう。力や能力のある者ほど、その誘惑に陥りやすいのだ」

 とオリバンが言ったところへ、対岸から風の犬になったポチとルルが飛んできました。背中にポポロとメール、ユギルとアキリー女王を乗せています。

「フルート!」

「ゼン、大丈夫かい!?」

 少女たちが駆け寄って飛びついたので、少年たちが真っ赤になって照れます。

 アキリー女王はガウス侯へ歩み寄りました。放心状態でいる候に言います。

「わらわたちと共にテト城へ来るのじゃ、グルール。あなたは、自分のしたことを、自分自身であがなわねばならぬ」

 それは事実上の死刑宣告でしたが、ガウス侯は何も答えませんでした。ただ呆けたように石だらけの地面に座り込んだままです。

 ところが、その時、ユギルとポチが同時に叫びました。

「いけません、アキリー女王!」

「ワン、アク! 離れて!」

 とたんに、ガウス侯が跳ね起きました。放心しているように見えた候の顔が、強い怒りの表情を浮かべていました。女王の前に立ち上がって叫びます。

「私に命じるな、アキリー! テトの王は、この私だ!」

 ガウス侯は手に尖った石のかけらを握っていました。先ほど雷が打ち砕いた岩の破片です。立ちすくむ女王に向かって、ナイフのように突き出します――。

 

 すると、そこへフルートが飛び出しました。女王の前に立ちはだかり、両手を広げてかばいます。その腹に石のナイフが突き刺さりました。布の服を貫いて、鮮血を散らします。

「フルート!!!」

 仲間たちは仰天しました。ゼンが駆けつけ、ガウス侯を引きはがして殴り飛ばします。

 とたんに、今度はポポロが叫びました。

「だめ! 金の石が――!」

 ガウス侯はフルートの首にかかったペンダントをつかんでいました。殴り飛ばされた拍子に、その鎖が切れ、金の石がフルートから離れてしまいます。

「この!」

 オリバンはガウス侯に切りつけました。候の背中から血が噴き出しますが、すぐにそれが止まります。候が金の石を握っているので、癒しの力が働いたのです。ガウス侯はまた跳ね起きて逃げ出しました。ポチとルルがほえながら後を追います。

「フルート! フルート!!」

 ポポロは泣きながら飛びつきました。フルートは血に染まった服の上から腹を押さえて、身をかがめていました。ガウス侯にペンダントを奪われたので、傷が完全には治っていなかったのです。それでも、駆けつけてきた仲間たちを見回して言いました。

「大丈夫……深い傷じゃないよ。心配ない……」

 痛みに青ざめた顔で笑って見せるフルートに、仲間たちは何も言えなくなります――。

 

 その時です。

 地底から這い上がるような声が聞こえてきました。

「ヨクヤッタ、てとノ王ヨ。金ノ石ハふるーとカラ離レタ。我ヲ妨ゲルモノガナクナッタノダ」

 デビルドラゴン!? と一同は声を上げました。逃げたとばかり思っていた影の竜は、まだその場所に留まっていたのです。

 ユギルが叫びました。

「ポポロ様、勇者殿をお止めください!!」

 地中から黒い影が現れていました。触手のようにくねりながら襲いかかってきます。影が向かっているのは、フルートではなくアキリー女王でした。急に体がしびれて動けなくなってしまった女王へ迫ります。

 そこへまたフルートが飛び込んできました。小柄な体で女王に体当たりして、女王をその場から突き飛ばします。

 とたんに影がフルートに絡みつきました。ものすごい勢いで地面に引き倒します。

 次の瞬間、仲間たちは自分の目を疑いました。フルートが地面に倒れたと思ったとたん、その姿が見えなくなってしまったのです。とっさに飛びついたポポロの手は、石だらけの硬い地面に突き当たりました。フルートはどこにも見当たりません。

「フルート! フルート――!?」

「おい、フルート! どこだ!?」

 仲間たちは声を限りに呼びましたが、返事はどこからも聞こえてきませんでした……。

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