フルートが突然願い石を呼び始めたので、川向こうにいたポポロや犬たちは、ぎょっとしました。フルートの全身が赤い輝きに包まれていきます。
「だめよ! やめて、フルート――!」
叫びながら駆け寄ろうとしますが、また谷川の急流に阻まれました。あたりに響くのは降りしきる雨の音、それに谷川の音と滝の轟音です。
すると、輝きがフルートから離れて一箇所に集まり、背の高い女性に変わりました。赤い髪を高く結って垂らし、炎のようなドレスを身につけた願い石の精霊です。少年を見つめて尋ねてきます。
「私を呼んだのか、フルート。何故だ。いつもならば、絶対に私の力は借りない、と言い張るところなのに」
精霊の美しい顔はなんの表情も浮かべていませんが、その声は、どこか不思議そうでした。
「金の石が力を奪われて眠ってしまったんだ」
とフルートは言いました。こんな状況だというのに、こちらは意外なほど落ち着いた声です。
「そのようだな。それで?」
「このままではあいつを倒せない。そうなれば、ぼくはあいつに殺される。そんなのは君にはつまらないんじゃないのか?」
フルートは遠回しに相手に何かを伝える口調でした。精霊の女性が細い眉をひそめます。
「私に守護のを起こせと言っているのか。それがそなたの願いか、フルート?」
「違うよ。ぼくは願わない。君が、そうしたいんじゃないかと思って、聞いているんだ」
フルートは、君が、という部分を強調しました。青い瞳で、じっと精霊を見つめています。
精霊はいっそう冷ややかに答えました。
「同じことであろう。私の役目は、そなたの願いを一度だけかなえることだ。それ以外の願いや命令を私にすることはできない」
「知っているさ。でも、君が金の石を起こさなければ、ぼくたちはこのままここで魔王に殺される。そうなれば、君はぼくの願いをかなえられないし、君はぼくの中から去って、また何百年も、ひょっとしたら何千年も、次の持ち主が現れるまで地中で眠ることになる。そんなのはつまらないんじゃないか、と言っているんだよ。君は、金の石が眠っていると退屈なんだろう?」
それを聞いて、願い石の精霊は一瞬、人間めいた顔つきをしました。ひどくあきれたような表情です。
「私には自分のために力を少し使うことが許されている。それを利用して契約の裏を突こうというのか、フルート。なにやら、ずる賢くなってきたのではないのか?」
「ずるくたってなんだってかまわないさ。みんなを死なせるわけにはいかないんだからな」
とフルートは答えました。真剣そのものの表情はひどく大人びていて、もう少女のようには見えません。
願い石の精霊は肩をすくめました。黙ったままフルートへ歩み寄ると、その手を伸ばします――。
「フルート! フルート、だめよ!!」
「ワン、願っちゃだめですよ!」
「やめて、フルート!」
ポポロと犬たちは川向こうで叫び続けていました。メールは倒れたまま動かないゼンを泣きながら呼んでいます。
フルートは願い石の精霊と向き合ったまま、淡い赤い光に包まれていました。中で彼らが話している声は、外には聞こえてこなかったのです。
すると、空中のガウス侯がそれを見下ろして言いました。
「あれがデビルドラゴンの宿敵の願い石か。金の石の勇者め、我々の消滅を願うつもりだな。そうはさせん」
ガウス侯の手から大量の魔弾が発射されましたが、攻撃は赤い光に当たると、ことごとく砕けて散ってしまいました。続けて空から稲妻が降ってきますが、それも彼らの頭上で消えてしまいます。
すると、赤い光の中でフルートが願い石の精霊へ微笑しました。精霊が動き出し、フルートへ歩み寄っていきます。
「だめぇ!!!」
ポポロはついに飛び出しました。間を隔てる急流へ駆け込んでいこうとします。
すると、後ろからユギルに引き止められました。放して! と振り切ろうとすると、占者が言います。
「大丈夫です。勇者殿をご覧ください」
願い石の精霊がフルートの肩をつかんでいました。フルートが、痛みを感じたように顔を歪めます。とたんに、胸に下がったペンダントの真ん中で、石が金色に変わりました。みるみる輝きを増していきます――。
フルートと願い石の精霊の前に、黄金の髪と瞳の少年が現れました。いつものように腰に両手を当てて、怒ったように言います。
「どうしてそう余計な真似ばかりするんだ、願いの! 願ってもいないことをかなえていると、そのうちに君のほうが消滅するぞ!」
「契約違反ではない。契約の裏側の履行(りこう)だ。文句ならばフルートに言うがいい」
願い石の精霊がまたいつもの無表情に戻って答えます。その手はまだフルートの肩をつかんでいました。願い石から金の石へ力が流れ込み、ペンダントの真ん中で魔石がいっそう明るく輝きます。
それを前に突きだして、フルートは叫びました。
「光れ、金の石! ガウス侯からデビルドラゴンを追い出すんだ――!!」
精霊の少年が肩をすくめながら消えていきました。同時に金の石がまばゆく輝き出し、あたりを真昼のように照らします。
とたんに、岸辺に倒れていたゼンとオリバンとセシルが起き上がりました。聖なる光で正気に返ったのです。ゼンの頭からは怪我も消えていました。三人揃って空中を見上げます。
そこではガウス侯が闇の障壁で聖なる光を防いでいました。金の光が黒い障壁を溶かしますが、内側から黒い霧が押し寄せてきて、障壁を再生していきます。聖なる光はガウス侯には届きません。
オリバンが婚約者へ言いました。
「セシル、また管狐だ!」
たちまち彼らの目の前に大狐が現れました。オリバンとセシルを乗せて宙へ飛び上がります。
ガウス侯に迫ると、オリバンはまた剣を構えました。障壁へ鋭く切りつけると、そこから障壁全体にひびが走り、ガラスのように音を立てて砕けていきます。
金の光をまともに浴びて、ガウス侯は悲鳴を上げました。熱に当たった蝋細工のように、全身が溶け出しています。手を振ってそれを再生させると、候は地上へ降り立ちました。はおっていたマントを全身に絡めて光をさえぎり、その場から逃げ出そうとします。マントには白い竜の刺繍が施されています。
すると、そこへゼンが駆けつけました。逃げるガウス侯を後ろからむんずと捕まえ、マントを引きはがして殴り倒します。フルートも駆けつけて、ペンダントを候へ突きつけました。まばゆい金の光の中、候の体から黒い霧のようなものが抜け出していきます――。
霧は空に昇り、一同の頭上に集まっていきました。巨大なドラゴンの形になり、ばさり、と四枚の翼を広げます。
「出た! デビルドラゴンだぞ!」
とゼンが言いました。フルートはペンダントをかざして、影の竜へ光を浴びせ続けます。願い石の精霊はいつの間にか姿を消していましたが、金の石はまだ強く輝き続けています。
「待て、竜の秘宝!」
とガウス侯が座り込んだまま叫びました。一度溶けた体は元に戻っていました。牙も長い爪もない人間の姿です。
「戻ってこい! おまえは私を世界の王にすると言ったのだ! 戻ってきて、私に力を貸せ!」
「金ノ石ガイテハ不可能ダ」
とデビルドラゴンは答えました。影の体は空にあるのに、声は地の底から響いてくるようです。
「我ハ闇。我ハ影。光ニ逢エバ薄レテ消エテシマウ。ココデ消エテイクワケニハイカナイ」
ますます明るくなる金の光を浴びて、影の竜は薄くなっていました。輪郭がぼやけて形が崩れ始めます。
「待て、竜の秘宝! 待て! 逃げるな――!!」
ガウス侯は叫び続けましたが、影の竜は留まりませんでした。聖なる光の輝きの中、薄く薄くなって、やがて完全に見えなくなってしまいます。
すると、あれほど激しく降っていた雨が、ぴたりとやみました。雲が切れて夜空が現れ、満月の光が差し始めます。空にデビルドラゴンの姿はもうありません。
金の石が光を収めていったので、フルートは、ほっとしてペンダントを下ろしました。すぐに鎖を首にかけます。
ゼンが腕組みして言いました。
「やれやれ。毎度毎度、人間ってのはホントにしょうもねえな。みんな、馬鹿のひとつ覚えみたいに世界の王、世界の王って言いやがってよ。そんなだから、すぐにヤツにつけこまれんだぞ」
「デビルドラゴンにとっては、人の野心が一番利用しやすいのだろう。力や能力のある者ほど、その誘惑に陥りやすいのだ」
とオリバンが言ったところへ、対岸から風の犬になったポチとルルが飛んできました。背中にポポロとメール、ユギルとアキリー女王を乗せています。
「フルート!」
「ゼン、大丈夫かい!?」
少女たちが駆け寄って飛びついたので、少年たちが真っ赤になって照れます。
アキリー女王はガウス侯へ歩み寄りました。放心状態でいる候に言います。
「わらわたちと共にテト城へ来るのじゃ、グルール。あなたは、自分のしたことを、自分自身であがなわねばならぬ」
それは事実上の死刑宣告でしたが、ガウス侯は何も答えませんでした。ただ呆けたように石だらけの地面に座り込んだままです。
ところが、その時、ユギルとポチが同時に叫びました。
「いけません、アキリー女王!」
「ワン、アク! 離れて!」
とたんに、ガウス侯が跳ね起きました。放心しているように見えた候の顔が、強い怒りの表情を浮かべていました。女王の前に立ち上がって叫びます。
「私に命じるな、アキリー! テトの王は、この私だ!」
ガウス侯は手に尖った石のかけらを握っていました。先ほど雷が打ち砕いた岩の破片です。立ちすくむ女王に向かって、ナイフのように突き出します――。
すると、そこへフルートが飛び出しました。女王の前に立ちはだかり、両手を広げてかばいます。その腹に石のナイフが突き刺さりました。布の服を貫いて、鮮血を散らします。
「フルート!!!」
仲間たちは仰天しました。ゼンが駆けつけ、ガウス侯を引きはがして殴り飛ばします。
とたんに、今度はポポロが叫びました。
「だめ! 金の石が――!」
ガウス侯はフルートの首にかかったペンダントをつかんでいました。殴り飛ばされた拍子に、その鎖が切れ、金の石がフルートから離れてしまいます。
「この!」
オリバンはガウス侯に切りつけました。候の背中から血が噴き出しますが、すぐにそれが止まります。候が金の石を握っているので、癒しの力が働いたのです。ガウス侯はまた跳ね起きて逃げ出しました。ポチとルルがほえながら後を追います。
「フルート! フルート!!」
ポポロは泣きながら飛びつきました。フルートは血に染まった服の上から腹を押さえて、身をかがめていました。ガウス侯にペンダントを奪われたので、傷が完全には治っていなかったのです。それでも、駆けつけてきた仲間たちを見回して言いました。
「大丈夫……深い傷じゃないよ。心配ない……」
痛みに青ざめた顔で笑って見せるフルートに、仲間たちは何も言えなくなります――。
その時です。
地底から這い上がるような声が聞こえてきました。
「ヨクヤッタ、てとノ王ヨ。金ノ石ハふるーとカラ離レタ。我ヲ妨ゲルモノガナクナッタノダ」
デビルドラゴン!? と一同は声を上げました。逃げたとばかり思っていた影の竜は、まだその場所に留まっていたのです。
ユギルが叫びました。
「ポポロ様、勇者殿をお止めください!!」
地中から黒い影が現れていました。触手のようにくねりながら襲いかかってきます。影が向かっているのは、フルートではなくアキリー女王でした。急に体がしびれて動けなくなってしまった女王へ迫ります。
そこへまたフルートが飛び込んできました。小柄な体で女王に体当たりして、女王をその場から突き飛ばします。
とたんに影がフルートに絡みつきました。ものすごい勢いで地面に引き倒します。
次の瞬間、仲間たちは自分の目を疑いました。フルートが地面に倒れたと思ったとたん、その姿が見えなくなってしまったのです。とっさに飛びついたポポロの手は、石だらけの硬い地面に突き当たりました。フルートはどこにも見当たりません。
「フルート! フルート――!?」
「おい、フルート! どこだ!?」
仲間たちは声を限りに呼びましたが、返事はどこからも聞こえてきませんでした……。