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第16巻「賢者たちの戦い」

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104.竜の秘宝

 フルートとポチは岩屋の中で焦っていました。

 目の前でガウス侯がアキリー女王を抱き、王位を譲って自分のものになれ、とささやいています。彼女の恋心につけ込んでいるのです。だめだ、候から離れろ! と女王へ言おうとしますが、何故か声が出ませんでした。自分たちが立っている場所から動くこともできません。

 驚いたフルートたちは、岩屋の奥の壁に現れた二つの赤い目に気がつきました。闇のものがそこにいるのです。女王がうなずいたとたん、候のものになった彼女を奪って候に力を与えようと、待ちかまえています。

 ワン、ダメですよ! とポチはまた叫ぼうとしました。竜の宝がそこにいます! 食われてしまいますよ! ――やっぱり声が出せません。

 フルートのほうは、必死で金の石を使おうとしていました。鎧の内側に収めたままのペンダントを心で呼び続けますが、闇が濃すぎるためか、石は反応してくれません。

 ガウス侯が女王の目をのぞき込みました。アク? と促すように甘く尋ねます。

 すると、女王はゆっくりとほほえみました。これまで見せたこともなかった優美な笑顔を、候へ向けます。

 ガウス侯も笑顔になりました。こちらは満足の笑いです。もう一度、女王を強く抱きしめようとします。

 

 すると、そんなガウス侯を女王が押しとどめました。驚く候へ、笑顔のまま言います。

「そのことばを二十年前に聞いていれば、わらわは天にも昇るような気持ちになれたのであろうな。だが、残念ながら、わらわは年を経すぎたようじゃ。ずっと夢見ていたはずの状況にも、心がまったく動かぬ。ただ、あなたの下心が透けて見えて、幻滅と淋しさを感じるだけじゃ……。あきらめよ、グルール・ガウス。テトもわらわも、そなたのものにはならぬ。そなたは敗れたのじゃ」

 とたんにガウス侯はすさまじい声を上げました。怒りの声です。女王を抱いていた手を首に回して、彼女を絞め殺そうとします。

 そこへフルートとポチが飛び込んできました。急に動けるようになったのです。ポチがガウス侯の腕にかみつき、候が悲鳴を上げて手を放すと、フルートが女王を引き寄せて後ろへかばいます。へたり込んだ女王が、咽を押さえて咳き込みます――。

「卑怯者!」

 とフルートは叫び、片手に剣を構えたまま、もう一方の手でペンダントを引き出しました。壁で光る赤い目へ、聖なる光を浴びせようとします。すると、いきなり目が消えました。金の石がまばゆく輝き、岩屋と中の人々を照らしますが、闇はどこからも現れません。

 女王が顔を上げて言いました。

「投降せよ、グルール! あなたにはもう勝てる手段がない! これ以上見苦しい真似をして、自分をおとしめるな!」

 ガウス侯は悪魔のような形相で笑いました。

「見苦しい真似? 女のおまえより劣ることを認め、おまえを王と仰ぐこと以上に見苦しいことが、他にあるというのか? 誰よりも賢いと皆から賞賛されてきた私だというのに。――馬鹿馬鹿しい。そんな屈辱を味わうくらいなら、私は破滅の道を選ぶぞ!」

 グルール、と女王はつぶやきました。悲しい声でしたが、その目に涙はありません。ガウス侯を見つめ、覚悟を決めるように大きく息を吸うと、フルートたちへ強く言います。

「グルールを倒すのじゃ! テトを害する者は、生かしておくわけにはいかぬ!」

 すると、ガウス侯のほうでも声を上げました。

「来い、竜の秘宝! 私に支払える最後のもの――それをおまえにくれてやる!」

 ごうっと岩屋に音が響きました。山鳴りです。驚いて見回したフルートたちの目の前で、岩壁の壁画がまた光り始めました。岩に彫り込まれた竜の輪郭を赤い光が走り、さらに、はがれ落ちた部分にも頭部を作っていきます。

 

 フルートとポチは呆然とその光景を眺めていました。

 これは、ガウス侯が竜の秘宝と呼んでいた存在です。フルートたちは、デビルドラゴンの力を秘めた「竜の宝」なのだと思ってきました。だから竜と縁(えにし)が深く、デビルドラゴンとよく似た力を発揮しているのだろう、と。

 今、壁画は次第に形を変えつつありました。ユラサイの竜を思わせる細い体が、太くがっしりとしたドラゴンの形になっていきます。背中には二枚の翼も現れます。

 ポチが全身の毛を逆立てて言いました。

「ワン、これは……これは竜の宝なんかじゃないですよ!」

 フルートも全身に息詰まるような闇の圧力を感じていました。胸の上では金の石が激しく明滅しています。

 ばさり、と羽ばたく音がして、壁画に新たな翼が現れました。竜の絵が四枚翼のドラゴンになります。その姿は、フルートたちにはあまりにもおなじみです。

「竜の秘宝の正体は、デビルドラゴンだったんだ!!」

 とフルートが叫んだとたん、フルートとポチは見えない力に跳ね飛ばされました。ばさり、とまた羽ばたきの音がして、壁画の竜が動き出します。壁から抜け出し、影だけでできた黒いドラゴンに変わっていきます――。

 

 影の竜は馬ほどの大きさをしていました。岩屋の天井付近で羽ばたきを繰り返しながら、首を伸ばしてガウス侯を見ます。

「我ハ世界中ニ招キノ伝言ヲ記シタ。謎ヲ解ク頭脳ト、他人ヲ犠牲ニデキル冷酷サヲ持ツ者ガ、ココヘイタル扉ヲ開ケルコトガデキルノダ」

 と言います。地の底から這い上がってくるような、いつもの声です。

「オマエニ残サレテイル最後ノモノハ、オマエ自身ノ体。ソレヲ我ガ器(うつわ)トシテ差シ出セ。代ワリニ我ハ無限ノチカラヲ与エヨウ。ソノチカラデ、世界ノ王トナルガイイ」

「無論だ! 私は王になるために生まれてきた男なのだからな!」

 とガウス侯が答えて、竜へ手を伸ばします。

 だめだ! とフルートは跳ね起きました。床にたたきつけられても、魔法の鎧が衝撃を吸収したのです。胸のペンダントをつかんでデビルドラゴンへ突きつけようとします。

 けれども、それより早くガウス侯が叫びました。

「来い! 私に力を与えろ!」

 ごおぉ、と風の吹くような音がして、影の竜が崩れていきました。そのままガウス侯の中へ流れ込んでいきます。

「光れ!」

 とフルートも叫び、金の石が輝き出しました。聖なる光が影に降りそそぎますが、影はあっという間にガウス侯の中へ吸い込まれていきました。同時に黒い光の壁が候の前に広がって、聖なる光がさえぎられてしまいます。

 すると、金の石が突然鳴り出しました。

 シャラーン、シャララーン、シャラララーン……

 風がガラスの鈴を吹き鳴らすような音が響いて、消えていきます。

 

 闇の障壁の内側で、ガウス侯は自分の手を見つめていました。なんだ、と拍子抜けしたように言います。

「闇の力を受け入れるというのは、こんなにたやすいことだったのか。私の内側にすさまじい力を感じるぞ。もう代償を支払う必要もない。力は私の思いのままだ」

 ガウス侯の手の指先には長い爪が生えていました。口ひげを生やした上品そうな顔立ちはそのままですが、瞳が血のような赤い色に変わっています。にやりと笑った口元からは、鋭い牙がのぞきます――。

 床から身を起こした女王が、震えながら言いました。

「愚かな、グルール。わらわに先を行かれたことが、そんなにも妬ましかったのか。闇を身の内に引き入れれば無事ではすまぬ、と承知だったはずなのに……」

 ガウス侯は傲慢に笑いました。

「いいや、無事ですまないのは、おまえたちのほうだ! 私はおまえたちが存在することを決して許さないのだからな。金の石の勇者と共に消えてなくなれ、アキリー! 私の邪魔をするな!」

 候が女王へ突きつけた手のひらから、黒い光が次々と飛び出してきました。魔弾です。

 すると、その前にフルートが飛び出して叫びました。

「金の石!」

 聖なる光が壁になって、魔弾を砕きます。

 ふん、とガウス侯は鼻で笑いました。

「闇の力と光の力は、ちょうど釣り合っているというわけか。これでは埒(らち)があかんな。もうひとつの力をここに呼ぶとしよう」

 言い終わったとたん、岩屋の壁の奥からとどろくような音が聞こえてきました。岩屋全体が震え出します。

「な、なんじゃ!?」

「ワン、壁にひびが入っていく!」

 驚くポチと女王を、フルートは両脇に抱き寄せました。岩屋の壁全体に走ったひびが広がって、隙間から水が噴き出したからです。たちまち足元に流れができていきます。それはガウス川の水でした。ガウス侯が地上の流れを岩屋へ引き込んだのです。

「私はガウス侯。このガウス川の主なのだ」

 と候は言いました。自分自身は水よりずっと高い場所に浮いていて、流れの中で立ち往生するフルートたちを見ながら、軽く手を振ります。

 すると、岩屋がまた激しく揺れて、奥の壁が一気に崩れ落ちました。川の水が、どっと流れ込んできて、フルートたちを押し流してしまいます。岩屋の出口から、最初の洞窟へ。さらに、洞窟の外へ。

 

 そこはエジュデルハの滝の真ん中でした。放り出されたフルートたちが、水と共に落ち始めます。

「ワン――変身できない――!」

 とポチが悲鳴のように言いました。雨のように降りかかる滝のしぶきに邪魔されて、風の犬になることができなかったのです。滝は高さが二百メートル以上もありました。眼下をさえぎるものが何もないので、滝壺がはるか下のほうに見えています。落ちたら絶対に助からない高さです。

 どっとまた水が襲いかかってきました。水圧で彼らを離ればなれにします。

「ポチ! アク!」

 フルートは必死で手を伸ばしましたが、仲間たちには届きません。

 二人と一匹は、激しい水の流れと共に、滝の下へ真っ逆さまに墜落していきました――。

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