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第16巻「賢者たちの戦い」

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101.ガウス城

 ガウス城は小高い丘の上に建っていました。城下町のシャラパやその向こうの領地が一望できる場所で、西のほうを見れば、そびえ立つガウス山も目に入ります。山や山裾を含む広大な土地が、見渡す限りすべてガウス侯の領地でした。城も、テト城には劣りますが、非常に大きくて立派です。

 ところが、ガウス城は静まり返っていました。どの窓にも明かりはなく、満月の光を浴びて、城の輪郭がくっきりと浮かび上がっています。人の気配がまったくしないので、廃墟にたたずんでいるようです。

 

 ガウス城に降り立ったフルートたちは、周囲を見回しながら城に入りました。正面の扉を押すと、あっけないほど簡単に開いてしまいます。普段なら夜中でも見張りの兵士が立つ場所ですが、入口にも、その奥のホールにも、人影はまったくありません。

「ワン、本当に誰もいませんね。人の動き回る音がまったくしませんよ」

 と小犬に戻ったポチが、耳を動かしながら言いました。

 フルートは松明代わりにペンダントを鎧の外に出していました。金の石が放つ光が、空っぽのホールを照らしています。

 女王が頭を振りました。

「信じられぬ……。ガウス城には千を越える家来や兵士が常にいたはずじゃ。大勢の召使いがかいがいしく働き回り、兵士が夜も昼も城を守り続けていた。それがこの有り様とは何事じゃ」

「ワン、これも竜の宝のせいなんでしょうか? それとも、ガウス侯が呼び出した怪物が、ここに棲みついているのかな?」

 とポチが言ったので、フルートは胸のペンダントへ尋ねました。

「どうだ、金の石?」

 一瞬の沈黙の後、金の髪と瞳の少年が姿を現しました。いつものように両手を腰に当て、首をかしげて言います。

「闇の気配がしないわけじゃない。だが、ごく弱いな。闇が襲撃していった痕跡という感じだ」

「城の者たちはどうなったのじゃ!? グルールの奥方や子どもたちは!?」

 と女王が尋ねました。以前にも金の石の精霊を見たことがあるので、驚いていません。

 精霊は大人のように肩をすくめました。

「ぼくは守りの石だ。そこまでのことはわからない。ただ、城の中に、わずかに人の気配はしている。まだここに留まっている人間がいるようだな」

 フルートたちは顔を見合わせました。ガウス侯が城に舞い戻っているのではないか、と全員が同時に考えます。

「その人物はどこだ?」

 とフルートが尋ねると、精霊は城の奥を指さしました。

「こっちだな――。状況が状況だから、油断しないで行けよ」

 と言い残して、姿を消していきます。

 

 そこで、一行はポチを先頭に城内を歩き始めました。ポチが通路に鼻を押し当てて、真新しい人の匂いを探していきます。

「ワン、新しい匂いがたくさん残ってますよ。つい最近まで人がいたっていう証拠です。ほんとに、急に人が消えていったんだな」

「グルールの呼び出した怪物が、城の者を襲ったのであろうか……。だが、何故じゃ。グルールは闇を従えていたわけではなかったのか?」

 と女王が言いました。薄暗い城のそこここに淀む影を、緊張した顔で見回しています。

 フルートは何も言いませんでした。周囲の気配に神経を研ぎ澄ましながら、同時に、ひとつのことを考えていました。ひょっとすると……と心の中でつぶやきます。

 すると、ポチが急に、ふんふんと鼻を鳴らし出しました。尻尾を大きく左右に振って言います。

「見つけました、真新しい匂いです。こっちですよ!」

 と先に立って通路を進み、フルートたちをひとつの部屋の前まで案内します。

「ワン、ここです。中に人がいます」

 すると、そんなポチの声に応えるように、中からも声がしました。ひぃぃーっと尾を引くような悲鳴です。

「グルールの声ではない!」

 と女王が言いました。フルートは急いで中に入ろうとしましたが、扉が開かないので、二度三度と体当たりを繰り返し、鍵を壊して部屋に飛び込みました。とたんにまた悲鳴が上がります。

 そこにいたのは初老の男でした。暖炉が燃え、ランプが明るく照らす部屋の中で、壁に背を押しつけ、火かき棒を握りしめて叫びます。

「あ――あっちへ行け、化け物!! わしに寄るんじゃない――!!」

 

 フルートたちはあっけにとられました。女王の言うとおり、そこにいたのはガウス侯ではありません。まばらなひげの生えた男の顔を見て、女王が言います。

「そなた、スサムではないか。何故こんな場所に一人でいる?」

「知っているのか、アク?」

 とフルートは尋ねました。

「グルールに昔から仕えている従者じゃ。わらわは何度も会っておる……。スサム、わらわがわかるか? この城で何があった?」

 女王の呼びかけに、男はやっと正気に返ったようでした。目をぱちくりさせながら一行を眺め、女王を見て、あっと声を上げます。

「じょ、女王陛下――!?」

 そう言ったとたん、女王の前にひれ伏し、何度も頭を下げ出します。

「お、お許しを、陛下! お許しを! 殿に命じられて都攻めに加わっていたのです! 命令でございました、お許しを――!」

 女王は眉をひそめました。厳しい口調になります。

「そなた、グルールと共にマヴィカレの戦場におったのか。それで何故、こんなに早くガウス城へ戻ってこられたのじゃ?」

 男はべったりと地面に伏せ、顔全体を床にすりつけて言いました。

「わ、わかりません――。わしはずっと殿の馬のそばで待機していたのです。テト川がいきなり川下から氾濫して、兵たちたちが押し流されたのを見ましたが、殿の命令がなければ逃げるわけにも行かないので、馬を抑えながら立ちすくんでいました。すると、いきなり何かにさらわれたような感じがして――気がついたら、殿と一緒に城に戻っていたのです」

 フルートたちは、いっせいに身を乗り出しました。

「一緒に戻ってきた!?」

「グルールはどこじゃ!?」

 従者の男は顔を上げ、必死で頭を振って見せました。

「こ、ここにはもういらっしゃいません……。城がもぬけの殻になっていることに激怒されて、天へ何度もどなっておいででしたが、そのうちにイタート殿だけを連れて城を出て行かれました。わしは、殿が戻ってくるまでこの場所で待っているように、と言われたのです……」

「イタート殿って?」

 とフルートはまた尋ねました。

「グルールの側近じゃ。やはりマヴィカレの戦場に来ておった。どうやら、彼らは超人的な力で一気に都からガウス城へ運ばれたようじゃな」

 と女王は答え、さらに従者へ尋ねました。

「グルールたちはどこへ行ったのじゃ? 行き先を言ってはおらなんだか?」

「と、殿は馬に乗って、川上の方向へ行かれました。滝を見てくる、と言っておいででした。わしはこんな城に一人で残されて、怖くて怖くて――」

 従者の悲嘆はまだ続いていましたが、フルートたちはもう聞いていませんでした。顔を見合わせ、ことばには出さずにうなずき合います。ガウス侯は、やはり川の上流のエジュデルハの滝に向かったのです。

 まだ床にはいつくばっている従者へ、女王は言いました。

「この城は闇に襲われたのじゃ。そなたもここに残っていては、同じ目に遭うかもしれぬ。即刻城を離れて投降せよ。わらわはグルールを追って投降するよう説得する」

 従者は泣きながら何度もうなずきました――。

 

 ガウス城を後にしながら、フルートたちは話し合いました。

「ワン、城のこの状況は、ガウス侯にとっても意外なことだったんですね」

「そういえば、マヴィカレの本陣の天幕で、ガウス侯は竜の宝に聞き返していたんだよ。私の城がいったい――ってね。この状況を聞かされていたのかもしれないな」

 とフルートが言って、また考え込みます。

 女王が言いました。

「投降を勧めても、グルールは絶対に承知しないであろう。彼が向かったのは竜の宝を隠す滝じゃ。行こう、フルート、ポチ。グルールが秘宝の力を再び手にする前に、彼の野望を止めるのじゃ」

 そこでポチはまた風の犬に変身しました。フルートと女王を乗せて舞い上がります。

 その時、フルートは、ふと後ろを振り返りました。

「なんじゃ?」

 と後ろに座っていた女王が尋ねます。

 いえ、とフルートは言って、また前に向き直りました。遠くからポポロに呼ばれた気がしたのです。泣き声だったような気がします。

 待っててくれ、ポポロ――とフルートは心の中で言いました。すぐに片をつけて戻るから。必ず君のところへ戻るから。

 空を飛ぶフルートたちの耳元では風がうなり続けています。ポポロの声はもう聞こえてきません――。

 満月に明るく照らされた世界の中で、ガウス山は、岩だらけの山肌が織りなす光と影のつづれ模様におおわれていました。ひときわ濃く暗い影が、山の麓から中腹へと駆け上っています。ガウス川が渓谷を作っている場所です。

 その中へと、ポチは姿を消していきました――。

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