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第16巻「賢者たちの戦い」

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100.怪奇現象

 大勢が野宿する場所目がけて舞い下りたフルートと女王とポチは、少し離れた林の中で地上に降り立ちました。ポチが風の犬から小犬の姿に戻ります。

 足音をしのばせて野営地に向かっていくと、やがて、賑やかな声が聞こえてきました。大勢の男女の話し声と、赤ん坊の泣き声です。軍隊に特有の、武器や防具がぶつかり合う音は聞こえてきません。フルートたちは思わず顔を見合わせると、木陰伝いにさらに近づいていきました――。

 

「これからどうするってんだい!? このまま川沿いに下っていって、その後は!? ニータイ川まで行って、怪物に食われようって言うわけかい!?」

 太った女が焚き火のそばに座って、大声を上げていました。スカートをはいて、頭からベール代わりの布をかぶっています。

 隣に座っていた夫らしい男がそれに答えました。

「そんなところまで行きゃしないさ……。だが、あれ以上、村にいるわけにはいかなかったんだ。殿様の城がどうなったのか、おまえだって聞いただろう?」

「聞いたともさ! だからこうして、家も畑も捨てて逃げてきたんじゃないか! ああ、あたしたちの家と畑! もうじきカブが食べ頃だったってのにさ! おっかさんから譲られた絨毯もベッドカバーも、みんな家に残してきちまったよ!」

 太った女は嘆いて、流れる涙をベール代わりの布で拭きました。夫がその肩をたたいて慰めます。

 別の焚き火の前では、若い母親が泣きわめく赤ん坊を必死でなだめていました。夜の暗さが怖いのか、野営地全体に充ちる、ぴりぴりした空気を感じ取っているのか、いくらあやしても赤ん坊は泣きやみません。

「うるさいぞ、黙らせろ! 泣き声を聞かれたらどうする! 道連れはごめんだぞ!」

 とまた別の火の横から痩せた男がどなりました。母親がびくりとすると、赤ん坊がいっそう大きく泣きます。すると、母親の隣にいた女たちが、いっせいに反論しました。

「どなるんじゃないよ、ハバリ!」

「そうだよ、あんたの声のほうが、よっぽどでかいじゃないのさ!」

「追いかけてきやしないさ! あれは殿様の城だけに棲みついてるんだからね!」

 とたんに、野営地の人間全員が、はっとしました。おびえたように周囲の夜を見回し、口々に言います。

「よせ、あれの話をするな!」

「聞きつけられるぞ――」

 屈強の男たちが、紙のように青ざめた顔色になっています。

 急に静かになった野営地に、赤ん坊の泣き声と川の音だけが響きます。

 

 すると、近くの林の中から、ぴしぱしと小枝を踏む音が聞こえてきました。まっすぐ野営地へ近づいてくるので、人々は飛び上がり、真っ青になって立ちすくみました。

 けれども、そこから現れたのは、金の鎧兜の少年と上等な身なりの女性でした。白い小犬が足元を歩いています。

 人々が安堵して口を開く前に、女性が言いました。

「今の話はなんじゃ? 城というのはガウス城のことか? 城でいったい何があったというのじゃ!?」

 妙に偉そうなことばづかいをする女性に人々は驚き、次の瞬間、その正体に気がついてまた飛び上がりました。

「そ、そのお顔は女王様――!?」

「そのお姿も! 間違いない、女王陛下だ!!」

 全員が野営地中から駆けてきて、女王の前に身を投げ出してひれ伏しました。その数は五十人あまり。男も女も、年寄りも若者も、子どもも一緒にいます。

 それを見回して、女王はまた尋ねました。

「そなたたちはガウス領の農民か。どこからやってきたのじゃ?」

「シャ、シャラパの東隣の、アラン村からでございます。陛下、どうかわしらをお助けください!」

 禿頭に帽子をかぶった老人が、地面に顔をこすりつけるようにして言いました。老人はアラン村の村長でした。何事じゃ、と女王に尋ねられると、震えながら話し出します。

「殿様の城に悪魔が棲みついたのでございます……! 初めは下働きの女や下男が一人、二人と消えていったと聞いております。そのうちに、殿様のご家来が何人もまとめて姿を消すようになって、じきに城の家来はほとんどいなくなってしまいました。城を出て行った痕はないのに、朝になると、城のどこを探しても見つからないのです……。フェリボで戦があるというので、殿様の兵隊は残らず出ていった後でした。奥方様は半狂乱になって、周囲の町や村から男たちを集めて悪魔を退治しようとなさいましたが、その男たちも皆、朝には姿を消してしまいました。この村からも、五人が城へ行って、一人も戻って来なかったのです……」

 とたんに、わぁっと何人もの女たちが泣き出しました。行方不明になった男たちの身内です。他の村人たちも青ざめ、震え、涙を流していました。

 村長も泣いていました。伏せた顔からあふれる涙をしきりにぬぐいながら、女王へ話し続けます。

「今朝のことでございます……。シャラパの街から住人が大勢逃げ出してきました。とうとう城から奥方様やお子様方まで姿を消した、大奥様もご家老も、もう誰一人城には残っていない、と話しておりました。しかも、今度はシャラパの街から人が消え始めたと……。城の悪魔が街に下りてきたんだ、と彼らは言って、着の身着のままで逃げていきました。シャラパに人がいなくなれば、きっと次は隣にあるわしたちの村の番です。それで、わしたちも村を捨てて逃げてきたのです。船は一隻残らず殿様が戦に持って行かれたので、こうして歩いて川沿いを下っております……。陛下、殿様はまだフェリボからお戻りになれないのでしょうか!? 殿様の城やご領地がこんなことになっているというのに――!」

 ついに村長は地面に突っ伏してむせび泣き出しました。

 フルートとポチはまた顔を見合わせてしまいました。ガウス侯は本当の目的を領民に知らせずに出陣したのです。村長たちは、ガウス侯が今も女王のために戦っていると信じています――。

 

 女王は重々しく口を開きました。

「ガウス城の怪奇現象、ようわかった。確かに城の近くに留まるのは危険じゃ。即刻領地から離れよ。――グルール・ガウスはまだ城へは戻れぬが、わらわがそなたたちを助けてやろう。わらわの城へいくのじゃ。他にもガウス領から逃げだした者に出会ったら、都へ向かうよう知らせよ。ガウス城を襲った悪霊は、必ずわらわが退治してやる」

「女王陛下が!? 悪霊退治をなさるのですか!?」

 と村長たちは驚いて顔を上げました。その顔は涙と泥で真っ黒です。

 女王は笑ってフルートを引き寄せました。

「戦うのはこちらじゃ。見た目で判断してはならぬ。彼はあの有名な金の石の勇者。テトを闇から救うために、はるばるロムド国から駆けつけてくれたのじゃ」

 村長や村人たちは何も言えなくなりました。小柄で少女のような顔をしたフルートを、信じられないように眺めてしまいます……。

 フルートは、ちょっと苦笑すると、女王とポチに言いました。

「よし、ガウス城に行こう。ポチ、変身だ!」

「ワン!」

 一同の目の前で小犬の体がふくれあがり、巨大な風の怪物に変わりました。大蛇のような長い尾を川の上へ伸ばして、フルートと女王を背中へ乗せます。

 仰天している村人たちへフルートは言いました。

「テト城へ行ってください! 皆さんの村は必ず助けてきます! それと、川岸で野営するのはやめたほうがいいです。雨が降ったら川が急に増水するかもしれないから――!」

 野営の心得まで言い残して、彼らは空へ舞い上がりました。村人たちの上で一度輪を描くと、ガウス城のある川上へ向かって飛び去ります。

 

「すまなんだな、フルート。そなたの正体を明らかにしてしまって」

 ポチの背中で女王がそんなふうに謝ってきたので、フルートはまたちょっと苦笑しました。

「別にかまいませんよ。ただ、みんなとても信じられなかったでしょうけれどね」

「いや。そなたがとっさにポチを変身させてくれたので、かなりの者が、ひょっとしたら、と思うておった。それで良いのじゃ。期待は希望を生み、希望は生きる力を生み出す。あの者たちに必要なものはそれじゃ」

 すると、ポチが風の頭をかしげました。

「ワン、でも、彼らはガウス侯の領地の住人ですよね? 敵の領民なのに助けてあげるんですか?」

「いいや、どの領地に住んでいようと彼らはテトの民じゃ。国と民を守ることは、王として当然の務めなのじゃ」

 と女王がきっぱりと答えます。

 それを聞いて、フルートは黙って微笑し、ポチは風の尾を大きく振りました。ずっと以前、ロムド王が同じことを言っていたのを思い出したのです。彼らと共にいるのは、確かにこのテトの国の女王なんだと考えます。

 月が世界を照らしていました。行く手の丘の上に城が見えてきます。

「あれがガウス城じゃ」

 と女王が言ったので、ポチはそこを目ざしてまっすぐに飛んでいきました――。

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