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第16巻「賢者たちの戦い」

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93.石板

 フルートはガウス侯の剣が目の前に迫るのを見ました。滑るような動きでフルートの眉間を突き刺そうとします。フルートは、とっさに頭を引きました。剣をかわそうとしますが、かわしきれません。

 すると、フルートの顔と剣の間に、もう一本の剣が飛び込んできました。上からガウス侯の剣に激しくぶつかって、切っ先をそらします。

 さらにフルートの体が後ろから、むんずとつかまれました。すごい力でガウス侯から引き離されます。

 代わりにその場所へ飛び込んできたのは、ゼンでした。両手を拳に握って、ガウス侯へどなります。

「させるか! てめえの相手は俺たちだぞ!」

「その通りだ。行け、フルート! 竜の宝を破壊するのだ!」

 とオリバンも言います。その大剣はまだガウス侯の剣を抑え込んでいます。

 フルートは一瞬、泣き出しそうな笑顔になりました。ゼンとオリバンに守られながら、地面に向き直ります。箱から出てきた石の板の表面が、ぼこぼこと泡立つように盛り上がっていました。そこからまた魔弾が飛び出してきます。

「金の石!」

 とフルートは叫び、全員を聖なる光で魔弾から守りました。さらにペンダントを石の板へ突きつけます。

「よせ、小僧――!」

 ガウス侯がフルートに飛びかかろうとして、ゼンに殴り飛ばされました。その間にフルートがまた叫びます。

「光れ、金の石! 竜の宝を消し去れ!」

 魔石が強く輝きました。澄んだ金の光を石の板へ放ちます。

 

 けれども、石は聖なる光を浴びても溶け出しませんでした。

 代わりに、金に染まった石の表面に、赤い二つの目が浮き上がってきます。先ほど石の蛇の頭にあったのと同じ目です。光りながら、じっとフルートを見据えます。

 とたんにフルートの心の中にまた恐怖が湧き上がってきました。石は何も攻撃してきていないのに、恐ろしさに体中が震え出します。耳には聞こえない声が、心に直接響いてきます。下がれ、我にひれ伏せ、と声は命じています。

「フルート!?」

「おい、フルート! どうした!?」

 オリバンとゼンの焦る声が聞こえましたが、それでも恐怖は去りませんでした。ペンダントを握る手が、ひとりでに下がり始めます。フルート!? と金の石の精霊が呼ぶ声も聞こえた気がしましたが、やっぱり恐れを止めることはできません。魔石が放つ聖なる光が、次第に弱くなっていきます……。

 すると、背後から急に誰かが抱きついてきました。フルートの鎧に両腕を回して強く抱きしめます。

 胸当ての上で重なる華奢な両手を見たとたん、フルートから恐怖が消し飛びました。我に返り、目の前で石の板がまた魔弾を撃ち出そうとしているのに気づいて、強く言います。

「壊せ、金の石!! みんなを守れ!!」

 魔石がひときわ明るく輝きました。石の板を強く照らします。

 とたんに、どん、と音を立てて、板が真っ二つに割れました。赤い二つの目が吸い込まれるように見えなくなり、魔弾も黒い霧になって消えていきます――。

 

 フルートは、ほっと息を吐くと、背後を振り向きました。自分に抱きついているポポロを見て、優しい目になります。

「もう大丈夫だよ、ポポロ。竜の宝は砕けた。……ありがとう」

 少女はまだフルートにしがみついたままでした。目を閉じ、頬を鎧の背に押し当てて、強く強くフルートを抱き続けています。まるで、その細い腕でフルートをこの世界につなぎ止めているようです。

「石が壊れた……?」

 ガウス侯がその場に崩れるように座り込みました。茫然として声も出せなくなっているので、オリバンとゼンはガウス侯を放っておいて、石の板へ駆け寄りました。割れた石には、もう赤い目も魔弾も現れませんでした。ただの平たい石の塊になってしまっています。

「こいつが竜の宝だったのか。思っていたより、あっけなく決まっちまったな」

 とゼンが言って、割れた石を蹴飛ばしました。石の板の半分がひっくり返りますが、やはり何も起こりません。ただ、板の表面に刻まれた線が現れました。おや? と一行は石に集まり、もう半分の石もひっくり返してみました。

「絵だ。これはきっと竜だな」

 とフルートは言いました。滑らかな石の表面に、竜の絵が刻まれていたのです。もっと巨大な絵の一部分なのか、割れた石を二つ並べても、首から上の部分しかありません。

「おい、こいつはいったい――」

 竜の絵の意味をガウス侯に尋ねようと振り向いたゼンは、とたんに、ありゃ、と目をまん丸にしました。ガウス侯の姿が消えてしまっていたのです。天幕が吹き倒された丘の上にいるのは、フルートたちと女王だけでした。

「ワン、いつの間に?」

「逃げ出した気配なんか、感じなかったわよ」

 とポチとルルが驚きます。

「ポポロ、探してみてくれ」

 とフルートが言ったので、ポポロはあわててフルートの背中から離れました。遠いまなざしになって、魔法使いの目で周囲を見渡します。

 ゼンはたた今までガウス侯がいた場所にかがみ込みました。押しつぶされた草や地面の土を眺めて、眉をひそめます。

「立ち去った足跡がねえ。んなことってあるのかよ」

 まるで空から何かがやってきてガウス侯を連れ去ったようですが、そんなものがやってきた気配も、彼らは感じませんでした。

 すると、ポポロがとまどった表情で仲間たちを見ました。

「変よ、見えないわ……。ガウス侯だけじゃなく、テトの国全体が今も見通せないのよ。闇の雲がまだ国中をおおっているわ……」

「竜の宝は破壊したというのにか?」

 とオリバンは驚いて足元を見ました。竜の絵を刻んだ岩は、真っ二つになって地面に転がっています。

 

 女王は頭を上げ、あたりを見回しました。ガウス軍の馬車と女王軍の追撃隊は丘の陰に走り去り、帆船が走るテト川と王都マヴィカレの城壁が遠くに見えています。風に乗って聞こえてくるのは、繰り返される勝ち鬨(かちどき)と、勝利にわきたつ人々のざわめきです。

 やがて、女王はひとつの方角を見て、つぶやきました。

「まだ終わりではない。グルールは王位をあきらめておらぬ。戦いはまだ続いているのじゃ……。相手はグルール。決して油断はできぬ」

 女王が見据えているのは北西でした。ガウス侯の領地がある方角です。

 フルートも、女王と一緒にそちらを見ました。不安が黒雲のように湧き上がってくるのを感じます。気がつけば、ゼンも同じ方角を見ていました。片手で自分の首の後ろをなでています。彼らの横にポポロとメールが、足元にはポチとルルが集まってきます。

 彼らの後ろで、オリバンが重々しく言いました。

「都へ戻ろう。ユギルにガウス侯の行方を占わせるのだ」

 丘に風が吹き出しました。雨の接近を思わせる、冷たく湿った風です。

 茂みから飛びたった鳥の群れが、風に追われるように空を遠ざかっていきました――。

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