フルートとゼンとポポロを風の背中に乗せたポチ、オリバンを乗せたルル、それにメールとアキリー女王を乗せた花鳥は、テト川を越えて、ガウス軍の本陣へやってきました。なだらかな丘を中心に何千という天幕が建ち並んでいますが、人の姿は見当たりません。静まり返った本陣の中で、天幕の入口の布が風にはためいています。
がらんとした光景に、メールが言いました。
「誰もいないね。兵隊たちが川に流されたんで、みんな驚いて逃げていっちゃったんだろうか?」
いや、とオリバンは言いました。
「それには時間が足りなかっただろう。これだけの大部隊であれば、補給部隊や連絡部隊といった後方支援の人数も相当なはずだ。そう簡単には逃げられん」
「ガウス侯だって、最後までゴーレムを繰り出してやがったんだから、まだそのへんにいる気がするぞ」
とゼンも言います。
そこで、一行は敵を探して飛び続けました。天幕の間に目を凝らし、人が隠れられそうな林や森を見透かしていると、丘の陰から急に馬車の音が聞こえてきました。砂煙が空に立ち上り始めます。
「あそこだ!」
一行が丘の陰へ飛ぶと、百台以上の馬車が車輪の音を響かせて走り去る場面に出くわしました。馬車は中にも外にもガウス軍の残兵をぎっしり乗せています。
「逃げていくぞ!」
「ガウス侯はどこだ!?」
馬車がてんでばらばらの方向へ走っていくので、フルートたちはとまどいました。ガウス侯がどの馬車に乗っているのか、見極めることができません。
すると、彼らの背後の城壁から、ジャーンジャーンと銅鑼が鳴り出しました。都の城壁の方角です。それを振り向いてアキリー女王は言いました。
「跳ね橋を下ろしたようじゃ。追撃隊が出てきた」
女王の言うとおり、間もなく丘を回って女王軍の騎馬隊が現れました。逃げていく馬車を見つけると、全速力で後を追い始めます。
「我々も追うぞ! ポポロ、どれがガウス侯の馬車かわからんか!?」
とオリバンに言われて、ポポロは首を振りました。
「見えないのよ……闇に隠されているから」
「闇の雲のせい? でも、このくらい近くなら、雲もあまり濃くないから見えるんじゃないの?」
とルルが言うと、ポポロはいっそう困った顔になりました。
「雲は見通せるわ……。でも、さっきから馬車を透視しているんだけど、ガウス侯らしい人は全然見当たらないの。きっと、竜の宝の力で自分を隠しているんだわ……」
一行は思わず舌打ちしました。逃げ去る馬車はどれも残兵を鈴なりに乗せていて、外見からガウス侯の馬車を見分けることはできません。
「しかたない、手分けして手当たり次第に追え! どれかにはガウス侯がいるはずだ!」
とオリバンが言います。
すると、考える表情をしていた女王が、急に、待て、と声を上げました。
「あのような、ぶざまな敗退は、グルールのプライドが許さぬはずじゃ――。きっとグルールは馬車には乗っておらぬ」
全員は驚きました。
「じゃ、ガウス侯はどこさ?」
とメールが尋ねます。
フルートはすぐに背後を振り返りました。鋭い目でガウス軍の本陣を眺めて言います。
「ガウス侯はあの中だ――。馬車で追撃隊の注意を引いて、その間にこっそり逃げるつもりでいるんだ」
仲間たちも丘を振り向きました。ぎっしりと建ち並ぶ天幕を見て、オリバンが眉をひそめます。
「同じような天幕ばかりだな。司令官の天幕は普通、ひときわ立派なものだが」
「グルールがそのような愚を犯すはずはない。周囲と差をつければ、それだけ襲撃を受けやすくなるのだから」
と女王が答えます。賞賛と苦々しさが入り混じった声ですが、その奥にはもっと複雑な感情も隠れています。
「ワン、ぼくとルルで天幕を吹き飛ばしましょうか? そうすればガウス侯も隠れていられないと思うけれど」
とポチが言うと、フルートが即座に反対しました。
「だめだ――! ガウス侯は竜の宝の力を持っているんだ。見つけたとたんに攻撃をしてくる!」
「じゃ、どうやって見つけるの? 上空で見張ってたって、私たちがいる限り、中からは出てこないでしょう?」
とルルが言います。
その時、ゼンが、うん? と空の一箇所を見ました。空全体を見渡してから、今度は横目でその場所を眺めて、低い声で言います。
「妙な鳥がいるぞ……。真っ黒いムクドリだ。このあたりの鳥はポチやルルに驚いてみんな隠れたのに、あのムクドリだけはずっと俺たちの近くを飛んでやがる。それに、ムクドリは集団で行動する鳥なのに、あいつはたった一羽だ」
それを聞いて、ポチがぴんと風の耳を立てました。
「ワン、そういえば、オファに援軍を呼びに行ったときには、ぼくたちの周りを黒いコウモリが飛んでいたんですよ。そいつがいなくなったと思ったら、迷いの霧の怪物に閉じこめられちゃったんです。ひょっとしたら、あの鳥も――」
「ガウス侯の手下かもしれないんだね!」
とメールが声を上げて、しっ、とゼンにたしなめられます。
「でかい声を出すな。気づいているふりも見せるな。あいつがガウス侯の斥候(せっこう)なら、そのうち、ガウス侯のところに知らせに行くはずだぞ」
「ポポロ、魔法使いの目だ。あのムクドリがどこへ行くか、見張ってくれ」
とフルートが言い、はいっ、とポポロがうなずきます。
一行がまるで別の場所を探し回るふりをしていると、やがて黒い小鳥は高度を下げ始めました。丘へ舞い下りていって、天幕の群れの間に姿を消してしまいます。
魔法使いの少女は、遠いまなざしで話し出しました。
「ムクドリは地面に下りたわよ。丘の中腹あたり……天幕のひとつに入っていくわ……あ!」
ポポロが急に小さく叫んだので、仲間たちは驚きました。どうした!? と尋ねると、少女が答えます。
「いなくなったのよ、鳥が……。確かに天幕の中に入ったのに。消えてしまったみたいに、姿が見えなくなったわ」
「闇の結界じゃない! それがガウス侯の天幕よ!」
とルルが声を上げます。
フルートは地上をにらみながら、仲間たちに言いました。
「ぼくのそばに集まれ。見張りさえいなくなれば、ぼくたちの姿は闇から見えなくなる。こっそり近づいて、様子をうかがうぞ」
その右手は鎧の中から金のペンダントを引き出しています。
オリバンをのせたルルと、メールと女王を乗せた花鳥が、フルートの近くに集まってきました。集団になって丘の麓へ舞い下り、地上へ降り立ちます。ポチとルルは犬の姿に戻り、メールは鳥を花に戻します。
「いくぞ」
とフルートが言い、全員はポポロの後について静かに丘を上り始めました――。