城壁の人々は、信じられない想いでその光景を眺めていました。
流れが変わって干上がってしまったテト川の河原に、水が大波になって押し寄せてきます。川下から川上へ……あり得ない方向へと流れて、テト川をまた水でいっぱいにしていきます。
押し寄せる水は何百という船の集団を運んでいました。青い布を帆先にひるがえした、女王軍の船団です。三角の形の奇妙な帽子をかぶった男たちが、船の上で声を上げています。
波がついに城壁の前までやってきました。立ちすくみ、逃げ出したガウス兵へ襲いかかっていきます。渦巻き泡立つ波、飛び散るしぶき。怒濤はガウス兵を呑み込み、さらに上流へと進んでいきます。
同じ流れは、ゴーレムたちの石の脚も崩して押し流しました。巨人が一体、また一体と、膝をつくようにその場に倒れていきます。ゼンやオリバンをつかまえていたゴーレムも、二人をつかんだまま崩れ出しました。
「ワン、ゼン!!」
ポチはフルートやポポロと一緒に急降下しました。ゼンを風の背中にすくい上げると、降りかかってきた石の雨を避けて、また上昇します。
ゴーレムの手から宙へ放り出されたオリバンへは、ルルが飛んでいきました。風の体で巻きつき、自分の背中へ押し上げます。
「オリバン――!!」
と城壁からセシルが歓声を上げます。
ルルはオリバンを乗せてフルートたちの元にやってきました。泣きそうな顔で笑いながら、ポチに文句を言います。
「遅いわよ……! もうだめかと思っちゃったじゃない」
「ワン、ぼくにそれを言うんですか?」
とポチが憮然とした顔になります。
その背中では、ゼンがフルートの首を抱いて笑っていました。
「この野郎、どうやって間に合ったんだよ!? ついさっきオファを出発したんじゃなかったのか!?」
「ポポロの魔法を四つ続けて使ったんだよ。ぎりぎりだったな」
とフルートは答え、金のペンダントを外してオリバンに押し当てました。ゴーレムに腕をねじられたオリバンから、苦痛の表情がすぐに消えていきます。
オリバンは大きく息を吐くと、ルルの上に座り直しました。眼下の流れとその上の船団を眺めて言います。
「テト川をさかのぼってきたのか。あれがオファの援軍なのだな?」
「はい。彼らはすばらしい川の船乗りなんです」
とフルートが答えます――。
「方向転換! 風を変えるぞ!」
と船団の先頭で黄色い服の老人が怒鳴っていました。術師のシンワです。白い紙を川面へ放ると、とたんに風向きが変わり、船団がいっせいに流れに逆らって進み始めます。
その周囲には波に呑まれたガウス兵が大勢浮いていて、あっぷあっぷともがいていました。今度はオファの警察部長が仲間たちへ言います。
「諸君、あれは都を襲撃して女王陛下を殺そうとした敵だ! 一人残らずテト川の底に沈めろ!」
おおぅ! とマーオ人の兵士たちは応えました。手にした農具や、船を漕ぐための櫂(かい)で、水に浮いた敵の頭を殴りつけます。泳ぎの達者な敵は岸に向かって泳いでいましたが、船がすぐに追いついて、やっぱり水中に沈めてしまいます。
「すごいや……」
メールは城壁の上からテト川を眺めて、そうつぶやきました。外で起きていることを確かめるために、階段を駆け上がってきたのです。その隣にはアキリー女王もいました。やはり、オファの船団の活躍を驚いて眺めています。
同じ城壁から、大きな歓声が起こりました。女王軍の兵士たちが、船団へ向かって手を振り回し、銅鑼を打ち鳴らして、声援を送ります。
マーオ人は川の上を船で縦横無尽に走り回り、敵をどんどん沈めていきます。川岸にたどりついて逃げ出す敵兵の数は、ほんのわずかでした。八千の大軍勢が、あっという間に壊滅していきます。
やがて、城壁の銅鑼の音が変わりました。一度しんと静かになり、次に、すべての銅鑼がいっせいに同じ調子でたたき鳴らされます。ドジャーン、ドジャーン、ドジャーン、ドジャーン……四回鳴って、少しの間休み、ドジャーン、ドジャーン、とまた二回。とたんに、城壁からもその内側の都からも、とどろくような声がわき起こりました。銅鑼は都に勝利を告げたのです。
「勝った……わらわたちはグルールの攻撃を退けた……」
女王が茫然とつぶやきました。あまり急なことに、実感がわかなかったのです。生き残りのガウス兵がてんでばらばらに逃げていく様子が、対岸に遠く見えていました。さらにその向こうには、ガウス軍の本陣が見えます。何千という天幕が建ち並んでいますが、そこへ戻っていく兵士はありません。
「ガウス侯がまったく姿を現さんな」
と敵の本陣を眺めながら、オリバンが言いました。
「ワン、味方の大半を失ったのに、妙ですよね。どこにいるんだろう?」
とポチも首をひねります。
「ガウス侯はテト川の北側の壁をぶっ壊したり、ストーンゴーレムを何体も繰り出したりしてきやがったんだ。今もどこかに隠れて、闇の力を使おうとしてるんじゃねえのか?」
とゼンは言い、急に後ろのフルートを振り向いて、頭を一発殴りました。
「こら、しゃんとしろ! これは戦争なんだ! 戦争には勝ち負けがあるし、生き死にだってある! 敵に同情して手加減したら、こっちが負けて、もっと大勢のヤツが殺されたんだぞ!」
「それはわかってるよ――」
とフルートは顔を歪めて苦しそうに答えました。それ以上は何も言えなくなって唇をかみます。眼下ではテト川がまだ逆流を続けていました。その上をマーオ人の船は自由自在に走り回っていますが、川の上からガウス兵の姿は消えていました。マーオ人に川に沈められ、あるいは力尽きて、押し流されていったのです。都と仲間たちを救うためには、いたしかたなかったことですが、それでもフルートの胸は痛みました。何千もの命を呑み込んだ流れは、フルートが連れてきたのです――。
すると、後ろから細い腕が延びてきました。ふわりとフルートを抱きしめて、ポポロが言います。
「川を逆流させてあの人たちを溺れさせたのは、あたしよ、フルート……あたしが魔法であの人たちを殺してしまったの……」
泣き出しそうなポポロの声に、フルートは、はっとしました。そんなことは! と振り向くと、ポポロは目を涙でいっぱいにしながら、それでもフルートにほほえんでいました。
「ううん、違わない。あの人たちを死なせたのは、あたし……。でも、でもね、フルート……あたしはゼンやオリバンが殺されるのは嫌だったの。メールやアクや……何も悪いことをしてない都の人たちが殺されるのも絶対嫌……。だからね、これで良かったんだと思ってる。大事な人たちを守れたから……」
ポポロは本当に大切な人の名前は口に出しませんでした。ただ、頭の中でずっとその場面を想像していました。敵に攻め込まれ、血みどろの戦場になった都。その中から女王や都の人々を救おうとして戦い、敵に囲まれて四方八方から剣で刺されるフルート。傷が致命傷になれば、いくら金の石でも、もうフルートを癒すことはできません。フルートは、予言通りに死んでいったのです。ポポロが魔法で敵を押し流さなければ――。フルートを抱く腕に、ぎゅっと力を込めます。
その腕にフルートは自分の腕を重ねました。目を閉じて、ポポロの手を握りしめます。
すると、オリバンが言いました。
「反省すべき者が違っているな。兵を死なせた責任は、常にその戦いを命じた者にあるのだ。金で兵士をかき集め、命がけの戦闘をしろ、と言ったのはガウス侯だ。間違えるな」
幾多の戦闘をくぐり抜けてきた皇太子のことばには、鋼のような強さがあります。
そこへはばたきの音がして、城壁から花鳥が飛んできました。上にはメールとアキリー女王が乗っています。
「ああ、やっと合流できたぁ! 手持ちの花を全部蔓草にして城壁を支えたからさ、新しい花を呼んでもなかなか数が集まんなくて、やきもきしちゃったよ。その間に戦いもすっかり終わっちゃったね」
とメールが言えば、女王も言います。
「よくぞオファから援軍を連れてきてくれた、フルート、ポポロ、ポチ。おかげで都は救われた。感謝する」
フルートは目を開けました。女王に微笑を返しますが、その表情は、やっぱりなんだか泣き出しそうでした。その頭をもう一発殴って、ゼンが言いました。
「そら、とっととガウス侯を見つけて捕まえるぞ。逃げられたら、また兵をおこして攻めてくるかもしれねえだろうが」
それはまったくその通りでした。
ゼンとフルートとポポロを乗せたポチ、オリバンを乗せたルル、メールと女王を乗せた花鳥。二匹と一羽の魔法の生き物は、逆流を続けるテト川の上を越え、川向こうのガウス軍の本陣へと飛んでいきました――。