テト川はオファの街の真ん中を流れていました。船着き場の岸や川の中に、何百という船が停泊しています。船はテト国のものより細長くて真ん中に大きな茶色の帆があり、船上にぎっしりと男たちを乗せていました。皆、普段着にわらを編んだ三角の帽子をかぶり、手に手に鋤(すき)や鍬(くわ)、熊手や鎌などを握っています。粗末な装備ですが、彼らは都を救う兵士たちなのです。
まだ夜明け前だというのに、船着き場に面した広場は、見送る人々でいっぱいでした。女性や子ども、歳をとって戦いに参加できない男たちです。船へ手を振り、兵士の名前を呼びます。
その騒々しさの中、オファの町長は岸に近い場所に立って、船に向かって大声で話していました。
「これは我々のオファを守るための戦いだ! ガウス軍を撃退して、必ず都と女王陛下を守ってくれ! 諸君の上に武運があることを祈っている――!」
町長は街の責任者として後に残らなくてはなりません。出陣していく人々へ激励のことばを送ります。一番最後に船に乗り込んだ警察部長が、それに手を振り返して、承知しました! と答えます。
そこへ、ごうっと風の音がして、一同の頭上に風の怪物が現れました。背中から金の鎧兜の少年が呼びかけます。
「これから船を都まで運びます! 危険ですから、岸の人はみんな大きく下がって! 兵士の皆さんは船にしっかりつかまってください!」
人々は驚きました。その少年が金の石の勇者であることは、町長から聞かされて知っていましたが、どうやって? という疑問のほうが先に立って、とまどってしまいます。
「早く!!」
とフルートはまた叫び、東へ目を向けました。夜明け間近の空は朝焼けに薔薇色(ばらいろ)に染まり、丘の端が金色に輝き始めています。朝日はもうすぐそこまで迫っているのです。
「もう時間がない――。ポポロ、魔法だ! 二度の魔法を一度に使って、川下の水をここに呼べ!」
えっ!? とポポロもポチも仰天しました。フルートが何を指示しているのかわからなくて、混乱してしまいます。
すると、フルートがまた言いました。
「ぼくが合図をしたら、川の水を逆流させるんだ! それで船を一気に都に運ぶ!」
ワン、だって途中に滝があるんですよ!? とポチは言いかけ、フルートの強い表情に出会って黙りました。川を逆流させても、川の水は滝で止められてしまうはずですが、フルートはそれを承知で言っているのです。
「わかったわ」
とポポロが答えました。ポチの上で背筋を伸ばし、右手を高く差し上げます。
フルートは東の空を見つめ続けていました。金の光が太い筋になって丘の陰から延び、空に広がった瞬間に叫びます。
「今だ、呪文を唱えろ!」
「イコニーココテツボノカーサヨズミノワーカ!」
ポポロの声が響きます。
とたんに、川下の方向からゴゴゴゴ、と不気味な音が聞こえてきました。川面に無数のさざ波が立って船が揺れ出します。
その様子に町長が叫びました。
「避難しろ! 高い場所へ逃げるんだ!!」
船着き場に集まっていた住人は、我先に逃げ出しました。広場のはずれへ走り、階段を駆け上がっていきます。
警察部長は船の兵士たちに呼びかけていました。
「川に落ちるぞ! 船につかまれ!」
こちらでも皆がいっせいに動き、船べりや船のマストにしがみつきます。
そこへ川下から水がやってきました。津波のように押し寄せ、大きなうねりの上に船を持ち上げていきます――。
「だめよ、フルート! あたしの魔法が切れるわ!」
丘の陰から金の太陽が顔を出し始めるのを見て、ポポロが泣き声を上げました。彼女の魔法は日の出と同時に消えてしまうのです。事実、押し寄せてきた水が急に向きを変え、また川下へと動き出していました。援軍の船を乗せたまま、都とは逆の方向へ流れ出そうとします。船が激しく揺れて、兵士たちが悲鳴を上げます。
すると、フルートがまた言いました。
「ポポロ、新しい魔法だ! この水と共に船を都へ! 継続の魔法でその魔法を安定させろ!」
ポポロとポチは、本当に驚きました。フルートは、日の出と同時に復活する魔力で、また新たに魔法をかけろ、と言っているのです。
「ワン、四つ分を一度に使うのか……」
とポチが茫然とつぶやきます。
ポポロは、きっと顔を上げました。差し上げていた右手の横に左手も挙げ、声高く唱えます。
「ベーコハヘウヨージンセノコーヤミオネフヨワーカ!」
それから、素早く両手を握り合わせ、祈るように続けます。
「ヨーセクゾイーケ!」
最後に唱えたのは継続の呪文です。
すると丘のように盛り上がった川の水が、また川上へと動き出しました。たくさんの船を浮かべたまま、音を立てて川をさかのぼり始めます。
川岸の人々は驚きの声を上げました。兵士たちを乗せた船は、もう揺れてはいません。穏やかな湖に浮いているように安定しながら、水と共に川上へ消えていきます。
ポチは空からそれを追いかけました。水上の船団を見守りながら、フルートが言います。
「ポポロなら、二回の魔法だけでも船を都に向かわせることはできたと思う。でも、きっと滝のところで、船に乗っている人たちを振り落としてしまうんだ。だから川に運ばせる。大丈夫、必ず行けるよ――!」
水はとどろきながら川をさかのぼっていきました。まるで巨大な水の蛇が猛スピードで地上を這っているようです。両岸の木々や草がなぎ倒されて白いしぶきを立てますが、水の上に浮かべた船にはまったく支障がありません。万に近い兵士たちを楽々と運んでいきます。
ポチはそれを追って飛び続け、やがて行く手を見て声を上げました。
「ワン、滝です!」
一日がかりでたどり着くはずだった最初の滝へ、あっという間に到着したのです。
船の人々も同じものに気がつきました。
「ユクセクの滝だ!」
行く手は切り立った岸壁になっていました。数十メートルもの落差がある大きな滝が、壁の上から下に流れ落ちています。船を乗せている波よりも、もっと高い滝でした。ぶつかる!! と兵士たちが叫び、ポポロも真っ青になって身を乗り出します。川は停まることなく滝へ向かっていきます
その時、さかのぼる波から水が別れて速度を増しました。船を乗せる波に先行するように滝に向かい、岩壁に激突します。
次の瞬間、船の兵士たちも空のフルートたちも、あっと声を上げてしまいました。水が滝を逆上し始めたのです。岸壁の上までたどりつくと水量を増し、みるみる斜面を作っていきます。巨大な水の滑り台が、船の行く手に現れます――。
船を乗せた波が滑り台の斜面に乗り上げました。しぶきを立てながら上へ上へと進んでいきます。数百隻の船も水と共に斜面の上を走っていきます。
「ワン、信じられない……」
とポチがつぶやきました。滝をおおった水の斜面、その上をさかのぼっていく波と船。魔法でしか起こりえない、非現実的な眺めです。
ところが、斜面の中ほどまで来ると、波が急に勢いを失い始めました。船の速度が落ちて、先へ進まなくなってきます。
「まずい!」
とフルートは思わず叫びました。滝があまり高かったので、急角度の斜面に波が失速したのです。それでも水は滝上へ昇り続けますが、船を運び上げる力がありません。船団が斜面の途中で立ち往生しそうになります。
「ワン、ど、どうしたら――」
とポチはうろたえました。風の体で船を押し上げようか、と考えますが、ポチ一匹でこれだけの数の船を上げるのは、とても不可能です。ポポロも青くなって両手を握りしめていました。力を貸したくても、ポポロの魔法はもう残っていません。いよいよ船足が落ち、船が停まりそうになります。
すると、船団の先頭を走っていた船が、突然ばん、と音を立てました。船の帆が風をはらんだのです。停まりかけていた船が再び走り出し、水の斜面を力強く昇り始めます。
黄色い服を着た老人が、船尾に立って後続の船に呼びかけていました。
「諸君、風さえあれば、わしらの船は走る! 滝を昇りきるんじゃ!」
老人は術師のシンワでした。白い紙切れを宙にばらまき、声高く呪文を唱えると、斜面の下から上へ強い風が吹いてきて、船団の帆を鳴らします。
「風をつかまえろ!」
「まわりの船に衝突しないように気をつけるんだ!」
兵士たちは帆綱に飛びつき、舵を操り始めました。帆が風をはらむと、船が水の斜面の上をぐいぐいと昇り出します――。
やがて、すべての船は滝を昇りきりました。そこへ川の水が追いついてきて、また大きな波を作ります。ぃやっほほう! とマーオ人の兵士たちは歓声を上げました。船が勢いよくまた走り始めたからです。船団が川上へ進み出します。
「ワン、行ける! 行けますよ!」
興奮して繰り返すポチの背中で、フルートは行く手を見つめていました。この先にはまだいくつも滝があります。それを昇りきった先に、王都マヴィカレはあるのです。
「今行く。だから、それまでこらえろ――!」
低く、けれども強い声で、フルートはつぶやきました。想っているのは、都を守るために敵兵や怪物と戦っているゼンたちのことです。
魔法が生んだ波は、万の援軍の船を乗せ、とどろきながら都へと進んでいきました――。