オファの町長の屋敷の一室で、フルートたちは街の主だった人たちとテーブルを囲んで話し合いをしていました。窓の外は明るくなってきています。夜通し会議を続けて、とうとう朝を迎えてしまったのです。
けれども、街の人々は少しも疲れた顔をしていませんでした。フルートも同様です。皆、熱心に話し合いを続けます。
「戦いに行ける男とたちは、このオファから三千二百、カラフの町から千二百、ユトの町から千、フニュウの町から八百、ワノの町から七百、さらにその周辺の村々からざっと二千八百。計九千七百名だ。準備が整い次第、オファの船着き場の広場に集結するように呼びかけてある」
と町長が言ったところへ、外からオファの警察部長が入ってきました。きびきびした口調で報告します。
「集合が完了しました。皆、広場で出発を待っています。船の数も充分です」
フルートは驚きました。
「もうですか? ぼくたちが援軍をお願いしてから半日しかたっていないのに」
「ワン、それに船って――?」
とポチもフルートの足下で目を丸くしました。オファの街は王都マヴィカレの川下に当たります。船を使って向かうことはできないはずです。
オファの町長は、まだ子どものフルートたちに向かって、丁寧な口調で答えました。
「我々はただの農民です。武器も防具も何もないから、武器になりそうな農具を持って駆けつければ、それでもう準備は完了なのです。時間はかかりません。船は普段米を運ぶために使っているものです。陸路を行くよりも時間短縮になるでしょう」
「でも、ぼくたちが向かうのは川上ですよね? それを船で行くっていうのは――」
フルートがまだ納得できずにいると、町長は微笑しました。
「川をさかのぼれないのはテト人の船です。我々マーオ人は船で川を上ることができます」
「ワン、どうやって?」
とポチも聞き返します。テトの国の川は傾斜が急で流れが速いので、流れに乗って下ることはできても、上っていくことはできないはずでした。船を川上に戻すには、川岸を行く馬や人に引いていってもらうのです。テト川やガウス側の岸辺には、そのための曳舟道(ひきふねみち)も整備されていました。
すると、会議に参加していた老人が笑いながら言いました。
「帆ですよ、勇者殿。わしたちがいた故国マーオは、大河の河口に開けた国だったので、わしたちは川を道代わりに往来していたのです。海のすぐ近くだから、川は常に潮の満ち引きの影響を受けていて、流れは変則的で急でした。わしたちはそこを帆を張った船で上り下りしてきたのです。マーオ人は男も女も、みな巧みな船乗りです。風さえあれば、どんなに流れが急な川でも、自在に船を走らせますぞ。むろん、このテト川だって、さかのぼるのはたやすいことです」
「ただ、残念なことに、船で直接都に乗り込むことはできません」
と町長がその話を引き継ぎました。
「都からここまでは非常に高低差があって、テト川は途中でいくつもの滝になっているからです。米を都に運ぶには船のほうが便利なので、滝を迂回する水路を建設中ですが、これはまだ未完成で今は使うことはできません。だから、船で行けるのは、滝の手前までということになるのです」
フルートとポチ、そしてポポロは思わず顔を見合わせてしまいました。都からオファまで、ずっとテト川を真下に眺めながら飛んできましたが、川下のこのあたりでも川は流れが急で、さかのぼることなどとても不可能に見えました。その川を自在に上り下りしているマーオ人に、畏敬の念さえおぼえてしまいます。
すると、警察部長が報告を続けました。
「広場には術師のシンワ殿もおいでになりました。術で風を起こしていただけますから、凪(なぎ)の心配もありません」
術師! とフルートたちはまた驚き、自分たちが閉じこめられた牢に、魔法を封じる呪符が使われていたことを思い出しました。マーオ国はユラサイに近かったので、ユラサイのように術師がいるのです。
「途中まで船でさかのぼって、その後は陸路を進んで――都にはどのくらいで到着できると思いますか?」
とフルートは身を乗り出して尋ねました。
「滝の手前の船着き場までは一日で行きます。その後は街道をたどって三日ほどです」
と町長が答えます。
フルートは素早く頭の中で計算しました。ガウス軍が都に到達するのは、早くて明日のはずです。当然開戦には間に合いませんが、都まで船と徒歩で四日ならば、女王軍が劣勢になる前には到着できるんじゃないか――と考えます。
その時、ポポロが急に、びくりと身をすくませました。大きな瞳をいっそう大きく見張って宙を見つめ、尋ねるようにつぶやきます。
「なんですって……?」
フルートは驚き、すぐにポポロがルルと心で話していることに気がつきました。ポポロがみるみる青ざめていくのを見て、焦って尋ねます。
「どうした!? 都で何か起きたのか!?」
たちまち他の人々もポポロに注目します。ポポロはさらに二言三言ルルとことばをかわすと、皆へ言いました。
「ガウス軍が都に総攻撃を始めたのよ。予定よりずっと早く都にやってきたんですって。しかも、地震でテト川の北側が決壊して、南側の流れが干上がってしまったって……」
「テト川が干上がった!? そんな馬鹿な!」
とオファの町長たちが声を上げ、フルートはポポロに劣らないほど青い顔になりました。
「ガウス侯のしわざだ。また竜の力を使ったな……」
ポポロはなおもルルの話に耳を傾けていました。やがて短く息を飲むと、また人々へ告げます。
「ガウス軍の中に、巨大なストーンゴーレムが現れて、都の城壁を攻撃しているんですって! 城壁が壊されていくって……!」
一同は椅子を倒して立ち上がりました。
フルートがポポロに尋ねます。
「みんなはどうしている!? ゼンやオリバンは!?」
「……オリバンとセシルとユギルさんは女王軍と一緒よ。ゼンとメールとアクは、ルルと一緒に空にいるわ。ゼンとルルが、これからゴーレムに攻撃するって」
「ワン、だめだ、ルル! ガウス侯に狙い撃ちされる!」
ポチが飛び跳ねて叫んだとたん、ポポロは、あっと声を上げました。驚く一同へ、首を振って見せます。
「ルルの声が聞こえなくなったわ。ルルが心話を切ったのよ……」
そのまま涙ぐんでしまいます。
フルートは立ちすくみました。ルルに乗り、単身で巨大な怪物に立ち向かっていくゼンが見える気がします。ゴーレムは闇の怪物です。ゼンにそれを倒す方法はないのです。
「どうすればいい……? どうすれば……!?」
思わず声に出してつぶやいてしまいます。
ガウス軍総攻撃の知らせに、部屋の中は騒然となっていました。
「城壁が破壊されたら都は敵に蹂躙(じゅうりん)される! 女王陛下がガウス侯に殺害されてしまうぞ!」
「早く助けなくては!」
「だが、敵の中にストーンゴーレムがいるんだぞ! どうやって戦えばいいんだ!?」
「我々には術師のシンワがいる! ゴーレムとだって戦えるはずだ!」
口々に言い合う人々へ、オファの町長はひときわ大きな声を張り上げました。
「出撃だ、諸君! ただちに都の救援に向かう! 広場へ急げ!」
全員が町長の屋敷を飛び出していきます。
ポチは、立ちすくんでいるフルートへ言いました。
「ワン、ぼくたちも行きましょう! ぼくが風の犬になれば、ぼくたちだけは間に合います!」
けれども、フルートは首を横に振りました。
「それじゃだめだ――。ユギルさんは、オファから援軍を連れてこなければ都を守れない、と言ったんだ。あの人たちを一緒に連れて行かなくちゃいけない――」
と青ざめた顔で言います。
「でも、どうやって?」
ポポロが泣きそうになりながら尋ねました。オファから都までは、どんなに急いでも四日かかります。その距離を飛び越えることは、ポポロの魔法を使っても不可能だったのです。
ポチはフルートの足下で飛び跳ね、半狂乱で叫んでいました。
「ワン、早く、フルート! 城壁さえ守れば、都は持ちこたえられるんです! フルートが行かないなら、ぼくだけでも飛んでいきます! ルルが戦っているんだ! ぼくも行かなくちゃ――!」
「待てったら! 黙れ!!」
フルートはついにポチをどなりつけてしまいました。その剣幕に小犬がびっくりして黙ると、顔を歪めて言い足します。
「考えているんだ。少しだけ時間をくれ――」
そのまま仲間たちに背を向け、壁の地図をにらみつけてしまいます。フルート……とポポロは涙ぐみました。勇者の少年は、その小柄な体に、戦いのすべてを背負い込んでいるように見えます。
けれども、ひどく長く思える数秒間の後、フルートは、そうだ、とつぶやきました。朝焼けにほの赤く染まる窓の外へと目を向けます。
次の瞬間、フルートはポポロを振り向きました。
「まだ夜は明けていない――! 君はまだ魔法を使っていなかったよね!?」
ポポロは驚き、急いでうなずきました。前日の日中、オファの住人に牢に閉じこめられたり、犬の怪物と戦ったりしましたが、ポポロは、熱を出したこともあって、魔法を使うことができなかったのです。
フルートはもう一度壁の地図に目を向けました。そこにはオファから王都マヴィカレに続くテト川が描かれていました。途中にいくつも滝の印と名前が描き込まれています。それを見ながら、フルートは言いました。
「マーオ人をテト川で一気に都まで運ぶ! 行くぞ。夜明け前に集合場所の広場に行くんだ!」
どうやってそんなことを!? と聞き返しそうになって、ポポロとポチはあわててことばを飲みました。窓の外では刻一刻と夜明けが近づいています。今はそんなことを聞いている余裕がありません。
「ポチ、風の犬!」
「ワン!」
小犬はたちまち風の獣に変身すると、背中にフルートとポポロを乗せ、町長の部屋の家具や道具を吹き倒して、窓の外へ飛び出して行きました――。