風の犬のルルに乗ったゼンと、花鳥に乗ったメールと女王は、テト川の上流の方向へ飛び続けていました。
空が明るくなってきたので、メールや女王にも川の様子がよく見えるようになってきました。テト川は石だらけの川底をむき出しにして横たわっています。石の間やくぼみにわずかに水は残っていますが、流れはどこにも見あたりません。
「ホントに徹底的に水がないね……。あんなに流れの速い大きな川だったのにさ」
とメールが驚いていました。女王は厳しい表情をしています。
「テト川は都の西側で二手に分かれて、都の南北をながれ、東側でまた合流しておる。おそらく西の分岐点のところで崖崩れを起こして、南側の流れをせき止めたのだろう。ふさがれた場所を開通させれば、水はまた南側にも流れるはずじゃ」
一行はひょうひょうと風の音を立てながら、さらに上流へ向かいました。彼らのすぐ右手には、マヴィカレの都の城壁が続いています。都の南側では戦闘が始まっていますが、このあたりにはまだ影響が及んでいないので、街は薄暮の中で眠っていました。
やがて、彼らは川に沿って北西へと方向を変え、都のはずれまでやってきました。テト川の分岐点に到着したのです。
とたんにゼンが声を上げました。
「ふさがってなんかねえぞ! 崖崩れなんて、どこにも起きてないじゃねえか!」
テト川はただ干上がっているだけでした。南側の流れへ二、三十メートル入ったところまで水は入りこんでいますが、そこで止まってしまっています。その先はただ石ころだらけの河原になっているだけで、水をせき止めているような土砂や倒木はまったく見あたりません。
一方、分岐点の向こうでは川の水がごうごうと流れ続けていました。北側の流れのほうは健在なのです。
「ど、どうやったのじゃ、グルールは!? 川の流れを北だけに変えるとは――!?」
と女王が驚きます。
「上に昇るわよ。そのほうがよく見えるわ」
と言ってルルが上昇を始めました。花鳥がそれを追いかけます。都全体が一望できるほど高い場所まで昇ると、彼らはいっせいに、あっと声を上げました。テト川の南の流れから水がなくなった理由がわかったからです。
テト川は北の流れに入ってすぐの場所で大きく決壊していました。北側の切り立った岩壁が崩れ落ちて、その向こうへ水があふれ出しています。麦畑の丘の間を濁流が走り、水没した林や森が梢の先だけをのぞかせています。
「グルールは鉄の岸壁を崩しおったか!」
と女王が叫んだので、メールが聞き返しました。
「何さ、鉄の岸壁って?」
「決して崩れることがないと言われていた岩壁じゃ――! 巨大な堅い一枚岩でできていて、川の北側の場所を洪水から守っておった。北の流れは南の流れよりも川底が深い。鉄の岸壁が崩れたために、川の水が一気にこちら側へ流れこむようになって、そのために南側の流れが干上がったのじゃ!」
メールやゼンやルルは思わず絶句しました。ガウス侯はこれだけのことを計算して、鉄の岸壁を崩したのに違いありません。確かに、非常に賢い人物なのです。
テト川は都の北側を流れ、鉄の岸壁が決壊した場所で二手に分かれて、都のすぐそばと、もっと北側の場所を流れていました。新しい流れは耕地や丘の間を蛇行して、都よりずっと下流の場所でまたテト川と合流しています。どちらの流れも川幅が広く、流れもかなり急です。
ゼンがうなるように言いました。
「いくら俺でも、あの流れを止めることはできねえぞ。岩とかが川をふさいでいるなら、岩をどけりゃいいんだが、逆に流れを止めていたものがなくなってるんだからな」
「工事をしてふさぐにしても、あの勢いじゃ。簡単にはいかぬ。まして、グルールが都を攻めている今となっては……」
そこまで言って、女王は唇をかみました。麦畑の間の濁流を、顔を歪めて見つめます。新しくできた川の岸には、元からそこに建っていたらしい家が見えていました。家は半分以上水没して、屋根だけを川の上にのぞかせていました。住人はどうしたのか。家の上や岸辺に人の姿は見あたりません。
やがて、ルルが我に返って言いました。
「ここでこうしていてもしょうがないわ。オリバンたちのところへ戻りましょう。これからどうしたらいいのか、話し合わなくちゃ」
そこで、彼らはまた降下を始めました。彼らが出発してきた南側の城壁を目ざします。テト川の南の流れは干上がり、ガウス軍の兵士が南門目ざして突進していく様子が、黒い蟻の群れのように見えています。テト川に水が戻ってくれば、そんな敵も押し流してしまえるのですが、流れを呼び戻すことはできません――。
ちっとゼンが舌打ちしました。
「んとに。数だけは本当にいっぱいいやがるな。城壁からいくら攻撃しても、全然減らないじゃねえか」
「八千の大軍だもんね」
とメールが言います。彼女は花で戦うことができますが、さすがにこれだけの人数は相手にはしきれません。それは怪力のゼンでも風の犬のルルでも同様です。
ゼンは敵陣の中に目をこらしました。
「ガウス侯がいる場所がわかれば、そこに飛び下りてやるんだがな。総大将をとっつかまえれば、ガウス軍だって攻撃できなくなるだろう」
「ちょっと、やめなよ、ゼン。ガウス侯は竜の宝を持ってるんだよ。闇の力を持ってるんだもん、おとなしく捕まるわけないじゃないか」
とメールがあわてて引き止めます。
女王は厳しい表情で地上の戦いを眺め続けていました。
「グルールたちはガウス川を下ってきたから、破城槌(はじょうつい)も投石機も持っておらぬ。不幸中の幸いじゃ」
「破城槌?」
とメールがまた聞き返します。
「城攻めの時に壁や門を壊すための道具じゃ。大木の先をとがらせて下に車輪をつけ、壁目がけて突進させる。非常に大きくて重いから、船で運ぶことはできなんだ」
「川がなくなった今は、城壁だけが都の守りですもの。それを壊されたら大変だったわね」
とルルは言って、進路を少し北寄りに変えました。矢が飛びかう戦場を避けて、都の中に舞い下りようとします。
その時、戦場を見ていたゼンが、急に声を上げました。
「おい待て! 敵の中に何かでかいのが現れたぞ!」
彼らはもう都の中に入りこんでいたので、家々や丸屋根の塔の間から城壁が見えていました。その上に、巨大な人の頭が、ぬっと現れます。
「何あれ!?」
と一同は驚き、急いでまた上昇しました。
それは身の丈が三十メートルもある怪物でした。人の形をしていますが、全身が無数の石でできています。
「あれは川底の石よ! ストーンゴーレムだわ!」
とルルが言いました。闇の呪文で作り上げられた石の巨人です。ガウス侯が竜の宝の力で呼び出したものに違いありませんでした。巨人の足下でガウス兵が歓声を上げています。
すると、巨人が太い腕を振り上げました。石でできた拳を城壁に振り下ろします。ああっ、とメールたちはまた声を上げました。巨人が殴りつけた場所にひびが入り、城壁が砕けたのです。煉瓦のかけらが、ばらばらと落ちていきます。
「巨人を止めよ! 城壁を守るのじゃ!」
と女王が悲鳴のように叫びました。城壁の上から、女王軍が雨のように巨人へ矢を浴びせ、投石機で石を投げつけます。けれども、ストーンゴーレムはびくともしませんでした。矢は跳ね返され、命中した石は、そのまま取り込まれて体の一部になってしまいます。
巨人がまた腕を振り上げました。城壁を殴りつけると、煉瓦が砕け、その真上の巡視路が大揺れに揺れます。バランスを崩した女王軍の兵士が、もんどり打って城壁から落ちていきます。
「城壁が破られる!!」
ゼンとメールとルルは叫びました――。