未明の地震で目を覚ましていた女王の元へ、南の城壁から急報が飛び込んできました。
「陛下、テト川に異変発生! 川の水が干上がりました! ガウス軍が川を越えて攻撃してきます!」
「なんじゃと!?」
女王はベッドから跳ね起きました。自分の耳が信じられなくて茫然としてしまいます。テト川はどんなに日照りが続いても、決して水がなくなることのない川です。それが干上がるというのは、予想外の事態でした。
女王が着替えていると、セシルとメールとルルも駆けつけてきました。城内を駆け抜ける使者の足音に、何か起きたと察して飛んできたのです。
「さっきの地震は普通ではなかった! 敵が仕掛けてきたのか!?」
とセシルが尋ねました。白い鎧を着て腰にレイピアを下げ、白い兜を抱えています。
「テト川が干上がったのじゃ! マヴィカレの守りが破られた! グルールが攻撃してくる!」
と女王は答えました。さすがに焦っています。
セシルたちも顔色を変えました。
「やだ。メールが言っていた通りになったっていうわけ?」
とルルが言います。前日、メールはガウス侯が竜の宝の力でテト川の干上がらせるのではないか、と予想していたのです。
メールは口をへの字に曲げました。
「こんな予想、当たんなくていいよ。行こう、ルル。ゼンやオリバンたちと合流しなくちゃ」
二人が窓から飛んでいきそうになったので、女王はあわてて声をかけました。
「待てや! わらわも連れて行け!」
「女王が直接前線に出ては危険だ。城で待ったほうがいい」
とセシルが説得しましたが、女王は聞き入れませんでした。セシルではなくメールに向かって言います。
「わらわは風の犬のルルには乗れぬ。そなたの花の鳥に乗せるのじゃ!」
メールは思わず肩をすくめました。
「アクったら。ホントに人のいうことを聞かないんだからさ――フルートとおんなじだよ」
「しょうがないわ。みんなで一緒に行きましょう。セシルは私に乗って。そのほうが速く飛べるわ」
とルルが言ってベランダに飛び出し、風の犬に変身しました。セシルを乗せて空に舞い上がります。
続いてベランダに出たメールは、両手を挙げて、足下の中庭へ呼びかけました。女王の部屋は三階にあったのです。
「おいで、花たち! あたいたちを大急ぎで南の城壁まで連れて行っておくれ!」
まだ暗い庭から雨が降るような音が起こり、花の群れがわき上がってきました――。
都の南の城壁の上では、オリバンとゼンとユギルが、川向こうを眺めていました。夜明けが近づいてきたので、オリバンやユギルの目にもテト川が見えてきたのです。水がまったくなくなった川は、曲がりくねった黒い道のように見えます。
「ガウス軍の連中がどんどん川岸に集まってくるぞ。かなりの人数だな」
とゼンが暗がりをすかしながら言いました。オリバンが、ああ、とうなずきます。
「明るくなるのと同時に襲撃してくるつもりなのだ。気づくのが遅れれば危いところだった」
都の南門には、すでに重い鉄の格子戸が下ろされていました。その内側に女王軍の兵士が続々集結しています。城壁の上にも兵士が居並び、明るくなったらすぐに攻撃を開始しようと、弓や投石機を準備しています。
そこへ、頭上でごごうと音がして、風の犬と花鳥が舞い下りてきました。驚く兵士たちを尻目に風の犬はルルになり、セシルやメールや女王と一緒に駆け寄ってきます。
「いらっしゃいましたね。お待ちしておりました」
とユギルが言いました。占いはできなくなっても、予感だけは健在なロムドの一番占者です。
「何がどうなっているのじゃ!? 敵は今どこじゃ!?」
と女王が尋ねると、オリバンが答えました。
「ガウス侯はテト川の流れをせき止めた。おそらく竜の宝の力を使ったのだろう。川が干上がったので、敵が向こうの川岸に集結している。明るくなるのを待って、一斉攻撃を始めるつもりだ」
「連中は林や茂みに隠れてやがるから、火矢でもお見舞いしてやるかってオリバンたちと相談していたんだ」
とゼンも言って背中の矢筒を揺すります。その中には射れば燃え上がる魔法の火矢が入っています。
女王は首を横に振りました。
「それはならぬ! 火をかければ敵も火で応戦してくる。壁を越えて飛び込んでくれば、都が火事になってしまう――! グルールは都を燃やすことを望んではおらぬ。占領した場所が焼け野原になっていたのでは、国を牛耳る(ぎゅうじる)ことができぬし、復興に手間取って周囲の国々へ攻めて出ることが難しくなるからじゃ。だが、最前線で戦う兵士たちは、そんなことまでは考えぬ。やられたらやり返す。ただそれだけじゃ。火は絶対に使ってはならぬ!」
ゼンは口元を歪めて肩をそびやかしました。女王の言うとおりだと納得したのです。
「ではどうする? このまま夜明けになって敵が総攻撃してくるのを待つだけなのか?」
とセシルが尋ねました。頭上では星が消え、暗かった空が次第に白んできていました。セシルの目には川向こうの敵はまだ見えませんが、闇の中でうごめく人の気配や、防具や武器が触れあう音が伝わっていました。薄暮の中に開戦の機運が高まっています。
女王はテト川を見ながら言いました。
「グルールがどのようにして川の水を止めたのか、それを調べねばならぬ。そして、できることならば、また川に水を呼び戻すのじゃ。マヴィカレの城壁は頑丈だが、それでも川がなくては長期間の戦闘に耐えるのは難しい。テト川を復旧させる必要がある」
すると、オリバンが言いました。
「その役目にはゼンが適任だろう。ガウス侯は地震で崖崩れを引き起こして、川をせき止めたのに違いない。ゼンの怪力ならば、川を開通させることができるかもしれん」
おい、とゼンは言いました。
「えらく大変なことを簡単に言ってくれるな。いくら俺でも、山のような土砂だったら、ぶち抜けねえんだぞ。ま、できそうならやってやるけどよ」
「私も行くわ。風の力で水を呼び戻せるかもしれないもの」
とルルが尻尾を振ると、ユギルが言いました。
「女王陛下もおいでください。ゼン様たちはこの土地に詳しくはありません。女王陛下がご一緒して、指示をなさってください」
「承知した。メール、また花鳥に乗せや」
「あいよ」
メールがさっと手を振ると、城壁のすぐ内側に花鳥が寄ってきて、背中に女王とメールを乗せました。ゼンは風の犬のルルに乗って空に飛び上がっていきます――。
遠ざかる一行を見送ると、オリバンたちはまた川向こうへと目を向けました。空はだいぶ明るくなってきて、川や川岸の景色が見え始めています。林の中にちらちらと人影が動くのを見て、セシルが言いました。
「いるな。出撃の瞬間を待っているのか」
「こちらも迎撃態勢は充分だ」
とオリバンは言って、城壁の上や内側で待機する兵士たちを見ました。すでに整列を終え、武器に手をかけて待ちかまえています。
すると、ユギルが声を上げました。
「まいります! 敵の総攻撃です!」
とたんに、川向こうでジャーンジャジャーンと銅鑼が打ち鳴らされました。あたりを揺るがすような鬨(とき)の声がわき起こり、林や茂みから敵兵が駆け出してきます。
「迎撃! こちらも銅鑼を鳴らせ!」
と城壁の上を守る部隊長が声を上げました。ドジャーン、ドジャーン、と壁の上で銅鑼が鳴り響き、待機していた兵士たちがいっせいに声を上げます。
それを聞いて、ガウス兵の突進が一瞬鈍りました。自分たちが待ちかまえられていたことに気づいて、二の足を踏んだのです。その隙を逃さず、部隊長が命じます。
「弓矢部隊、投石部隊、撃て! 撃って撃って敵を全滅させるのだ! 連中に川を渡らせるな!」
ガウス軍と都の間には、水がなくなったテト川が横たわっていました。石ころだらけの川底に降りたガウス軍へ、女王軍は矢の一斉射撃を始めました。投石部隊は投石機に大石を据え付けて飛ばします。矢が刺さり、石が命中した敵兵が、ばたばたと倒れていきます。
すると、川向こうの敵陣からも矢が飛び始めました。高く放たれた矢が城壁の上や内側へ落ちてきます。
「ここは危険でございます。わたくしたちは下へまいりましょう」
とユギルが言ったので、オリバンとセシルは盾をかざして足早に城壁の階段を下り始めました。ユギルは落ちついた様子でその後を行きます。
ところが、その途中でユギルは足を止め、南東の方角へと目を向けました。
「勇者殿、ポポロ様、お急ぎください。時間がございません。どうかお急ぎください……」
先を行くオリバンたちには聞こえない声で、そっと繰り返します。
彼らの頭上で空は白々と明るくなり、朝の色へと変わっていきました――。