大通りに面した屋敷で、オファの町長は安堵の息をついていました。
周囲には高床式の家々が建ち並んでいますが、町長の屋敷だけは煉瓦の壁と丸屋根のテト風の建物になっています。その二階の窓から、町長は通りを見下ろしていました。通りは人々でごった返しています。住人を無差別に襲っていた怪物が捕まったので、皆、町外れの避難所から自分の家へと戻っているのです。
「犠牲者は出てしまったが、一人だけですんで良かった、と言うべきなのだろうな……。あとは術師の到着を待つばかりだ」
と町長はひとりごとを言いました。怪物は町中の特別な牢に閉じこめてあります。普通の方法では退治できないので、街の南の森に住む術師を呼びにやっているところだったのです。
窓の下の大通りからは賑やかな話し声が聞こえていました。誰もがほっとして、笑顔になっています。子どもたちが歓声を上げて走っていきます――。
すると、町長の部屋にばたばたと駆け込んできた人物がいました。オファの街の警察部長です。
「町長! 町長! これをご覧ください!」
と丸めた書状を差し出します。町長は驚きながらそれを広げ、とたんに声を上げました。
「女王陛下からの親書じゃないか! いつこんなものが届いたんだ!?」
「そ、それが――」
警察部長が何故か口ごもります。
文面に素早く目を通して、町長は顔色を変えました。
「女王陛下から援軍要請だ。ガウス侯が謀反を起こして都に攻め上って来るだと? この手紙を金の石の勇者に託す? いったいどういうことだ?」
「町長、これも」
と警察部長は別の手に握っていたものを差し出しました。透かし彫りの真ん中に金の石をはめ込んだペンダントです。町長はますます驚きました。
「金の石の勇者の証拠か? これらはどこから届いたんだ?」
「ペンダントは怪物の一人が身につけていたのです。その書状も、怪物が持っていた荷物の中にありました――」
警察部長の声が弱々しくとぎれました。自分たちがとんでもない誤解をしたことに気がついていたのです。
町長は真っ青になりました。来い! と警察部長にどなって屋敷を飛び出していきます。
怪物を閉じこめた牢獄は、大通りから横道に入った奥にありました。闇のものを封じ込め、魔法を使えないようにする特殊な建物で、町長の屋敷と同じように地面に直接建っています。町長は大声で見張りを呼びつけました。見張りたちが何事かと駆けつけてきます。
ところが、その時牢獄の扉が内側から吹き飛びました。窓や入口から炎が吹き出し、木造の建物をあっという間に火で包みます。町長たちは仰天しました。突然牢獄が炎上したのです。ごごうっと激しい風が起きて、燃える建物の壁がまた吹き飛びました。屋根が燃えながら落ちていきます。
火事だ!! と人々は叫びました。火勢が強くて誰も近づけません。
「馬鹿な……!」
と町長や警察部長も立ちすくみ、燃えて崩れていく牢獄を見つめてしまいました。
すると、建物の中からまた風が吹きました。炎が音を立てて通りへ伸びてきます。その中から人影が現れました。両腕に少女を抱いた鎧姿の少年です。少女は全身をマントに包まれ、少年の胸に寄りかかっていました。ぐったりしているのですが、それでも片腕を上げて少年の頭をマントの端で守っています。火の粉や炎の塊は雨のように降りかかってきますが、何故かマントに燃え移ることはありません――。
少年が立ち止まりました。金の鎧に炎の色を映しながら周囲を見回し、集まっていた人々へどなります。
「ぼくたちは敵じゃない! 金の石の勇者の一行だ! オファの街の責任者は誰だ!?」
少年は怒っていました。姿はまだ子どもなのに、大人のようなことばづかいと態度です。
町長はあわてて飛び出し、少年の前へ身を投げ出しました。額を地面にこすりつけて謝ります。
「申し訳ございません! 申し訳ございません! 街を襲った怪物と間違えたのです! どうかお許しを――!」
少年の首に腕を回していた少女が、頭を上げました。少年に何かささやくと、すぐにまた苦しそうに頭を垂れてしまいます。
少年は、きっと町長をにらみました。
「そのまま動くな!」
と叫ぶと、背中の剣を抜きます。人々の間から悲鳴が上がりました。警察部長が駆けつけて、町長の隣でひれ伏します。
「ど、どうかお待ちを! あなた方を怪物と間違えて逮捕したのは、我々警察の落ち度です! 町長の責任ではありません!」
オファは小さいながらも自治都市で、町長はそこの要(かなめ)の人物でした。町長を守ろうと必死になります。
けれども少年は厳しい声を変えませんでした。
「そのまま動くなと言ってるんだ!」
と言うと、剣を掲げて勢いよく振り下ろします。少年が握っているのは黒い柄の剣です。町長と警察部長目がけて炎の弾が飛んでいきます――。
ところが、炎は町長たちには当たりませんでした。二人の頭上を飛び越えて、後ろの地面に激突します。人々が悲鳴を上げて飛びのきます。
その声につんざくような金切り声が重なりました。炎が炸裂した地面から巨大な怪物が現れて頭を振り立て、耳障りな声でほえます。犬に似た怪物ですが、背中で馬のようなたてがみがめらめらと燃えています。炎の弾の火が燃え移ったのです。
フルートは空へ叫びました。
「ポチ、来い!」
ワン! と空の上から声がして、白い煙のようなつむじ風が吹き下りてきました。風の先端は巨大な犬の頭と前脚の形をしています。たてがみのある犬の周りで輪を描き、飛び跳ねた犬を風で押し返してしまいます。
その間にフルートはポポロを地面に下ろして尋ねました。
「他にまだ怪物はいる?」
ポポロは弱々しく首を振りました。熱を出して朦朧(もうろう)としているポポロですが、それでも怪物が地中に潜んでいることを見抜いて、フルートに知らせたのです。
「いないわ……あれ一匹だけ……」
「よし。ここにいて」
とフルートは言い残して駆け出しました。町長と警察部長の間を駆け抜けながら叫びます。
「早く逃げろ! あれは闇の怪物だから、普通の攻撃では死なないんだ!」
すると、風の犬のポチが声を上げました。
「ワン、フルート、気をつけて! こいつ、飛び越えようと――」
言い終わらないうちに、怪物がポチの上を飛び越えました。その背中の火は消えて、白いたてがみが復活しています。全身は青と灰色の縞模様です。よだれを垂らして、近くにいた住人に食いつこうとします。
フルートはまた剣を振りました。切っ先から炎の弾が飛び出して、怪物の体に炸裂します。怪物は火だるまになって地面に転がりましたが、すぐに火が消えました。青と灰色の縞模様が復活してきます。
フルートはその前に飛び出していきました。
「街の人に手を出すな! おまえの相手はぼくだ!」
と自分の後ろに住人や町長たちをかばいます。
それは本当に小さな勇者でした。体は華奢で小柄ですし、兜のないむき出しの頭は、少女のように優しい顔をしています。それでも、少年は誰よりも怪物に近い場所に立って剣を構えていました。見上げるような怪物を前にしても、一歩も退きません。
すると、怪物が口を開いて人のことばを話しました。
「俺様はオファの男タチをみんナ食い殺すんダ。都を助けに行けナイようにシロ、と言われたカラな。邪魔する奴もみんな食ってヤル」
奇妙な抑揚のしゃべり方は、闇の怪物の特徴です。
フルートは青い瞳を鋭く光らせました。
「誰に命令された。ガウス侯か!?」
と聞き返すと、犬の怪物は笑いました
「そうダ。そして、違ウ。ガウスはアイツに力を貸せと命令する。それで、アイツが俺たちに命令してクルんダ」
「あいつとは誰だ? 人か!?」
とフルートはいっそう鋭く聞き返しました。怪物が言っているのは、竜の宝のことのような気がします。人や魔獣のように意志を持っている存在なのでしょうか――。
すると、シシシ、と怪物が笑いました。
「そんなことは話せナイ。俺様がアイツに消滅させられるカラな。俺様に食われて死ネ、小僧。邪魔するヤツは一人残らず俺様の腹の中ダ!」
怪物が襲いかかってきました。牙をむき、一口でフルートの頭を食いきろうとします。
フルートはまた剣を振り下ろしました。怪物の顔面に炎が激突して、怪物が吹き飛ばされます。
けれども、火はやっぱりすぐに消えました。怪物がシシシシ、と耳障りに笑います。
「無駄ダ、小僧。俺様の体は火に強いカラな!」
また飛びかかってきます。フルートは大きく後ろへ飛びのき、目の前で石をかんだ怪物の顔に切りつけました。傷口が火を吹きますが、怪物が頭を振ると火はおさまり、傷がふさがりました。フルートの武器では、この怪物を倒すことができません。
すると、空からまたポチが急降下してきました。風の牙で怪物の背中にかみつきます。怪物は大きくほえ、頭を巡らしてポチの胴へかみつきました。青い霧のような飛び散り、ギャン! とポチが悲鳴を上げます。風の犬は敵の攻撃を素通ししてしますが、魔法攻撃と、同じ犬の仲間の敵の攻撃だけは、まともに食らってしまうのです。
フルートは駆け出し、飛び上がって怪物の背中に切りつけました。傷口が火を吹き怪物がのけぞった隙に、ポチが逃げます。が、すぐにポチは地上に落ちてきました。風の体が道の上に横倒しになり、縮んで小犬に戻ってしまいます。脇腹に深手を負って、大量の血を流しています。
「ポチ!」
フルートは駆けつけようとして、たちまち地面に倒れました。怪物に前脚で殴り飛ばされてしまったのです。兜のない頭を強く打って、一瞬気を失います。
その上へ、ずしん、と大きな脚が載ってきました。動けなくなったフルートをのぞき込んで、巨大な犬が笑います。
「シシシ、やっと捕まえタ。俺様の邪魔をスル、うるさいチビ助め。とっとト俺様の腹に収まレ!」
巨大な牙がフルートに迫りました――。