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第16巻「賢者たちの戦い」

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77.牢

 何かがしきりに体を押していました。んん、んん、と低いうなり声が聞こえてきます。その声に聞き覚えがあるような気がして、フルートは目覚めていきました。誰かが自分を呼んでいるのです。

 目を開けると、そこは木の床の上でした。すぐ目の前に赤い髪の頭があって、鎧を着たフルートの体を押し続けています。うなり声は、その頭から聞こえてきます――。

 

 フルートは完全に目を覚ましました。叫んで跳ね起きます。

「ポポロ!」

 とたんに体勢が崩れて、フルートはまた床に倒れてしまいました。ガシャン、と鎧が大きな音を立てます。

 フルートは驚いて自分の体を見ました。両手を体の後ろで縛り上げられていたのです。両脚も縄で固く縛られています。

 んんん、とまたうなり声がしました。フルートを押していた頭が顔を向けてきます。それはポポロでした。やはり両手両脚を縛られ、猿ぐつわをはめられています。その恰好で、気を失ったフルートを起こしていたのです。大きな瞳から涙がこぼれていますが、ことばを話すことはできません。

 ポポロ! とフルートはまた言って、すぐに自分たちに何が起きたのかを思い出しました。ポポロがさらわれ、探し回っていた自分も罠にかかって、頭に鍬の一撃を食らったのです。フルートの頭に傷はありませんでした。痛みもありません。ただ、髪が硬くこわばっているような感触がします。血が固まっているんだ、とフルートは経験から察しました。傷は金の石が癒してくれたのでしょう――。

 そこは四方を丸木の壁で囲まれた部屋の中でした。倒れているポポロの向こうに鉄の格子があって、入口に大きな錠がかけられています。壁の高い場所にある窓にも鉄格子がはまっています。彼らは牢の中に放り込まれていたのです。

 部屋に他に人がいなかったので、フルートはポポロに言いました。

「猿ぐつわを取ってあげる。後ろを向いて」

 ポポロは泣きながらうなずきました。とても苦労しながら寝返りを打って、フルートに背中を向けます。フルートのほうもポポロに背中を向けました。にじるように上へ移動して、縛られた両手で猿ぐつわの結び目を探り当て、これまた非常に苦労をしながら、ようやく結び目をほどきます。

「フルート……!」

 とポポロの声がしました。その後は激しいすすり泣きになって、ことばになりません。

 

 フルートはポポロに向き直りました。彼女のほうでもまたフルートに向き直ってきます。猿ぐつわをかまされていた口元が赤くなり、口の両端に血がにじんでいるのを見て、フルートは思わず歯ぎしりしました。

「泣かないで、ポポロ――。何があったのか教えてくれ」

 ポポロはやっとのことで嗚咽をこらえると、震えながら話し出しました。

「あたしたち、オファの住人に捕まっちゃったのよ……。風の犬で到着したところから、見られていたみたい。街を襲う怪物だと思われて、フルートは鍬で頭を殴られたのよ。でも、急所は外れたから、金の石が治してくれたわ……。その後は、殴りかかられるたびに、金の石が光って守っていたの。そのうちに、これは闇の怪物だ、って住人が言い出して……退治するには特別な方法が必要だから、って、フルートとあたしをここに放り込んでいったのよ。あたし、魔法を使おうとしたんだけど、口を縛られて呪文が唱えられなくて……」

 そこまで話して、ポポロはまた激しく泣き出してしまいました。泣き声が狭い牢獄に響き渡ります。

 すると、鉄格子の向こう側で、部屋の扉が突然開きました。三角の帽子をかぶった男がのぞき込んでどなります。

「うるさいぞ! 静かにしろ!!」

 次の瞬間、男の顔は引っ込み、また扉が閉じてしまいました。フルートが話しかける暇もありません。

「見張られているのか……」

 とフルートはつぶやきました。試しに大声で呼んでみましたが、外の男はもう顔をのぞかせませんでした。

 フルートは溜息をつき、まだ泣いているポポロに言いました。

「魔法を使おう。ぼくたちを開放する呪文を唱えるんだ。そうすれば縄が解けるし、牢の外にも出られる」

 ポポロはうなずきました。懸命に泣き声をこらえて、呪文を口にします。

「テナハキトラーカクゴウロノコオラレーワ!」

 

 ところが、何も起きませんでした。

 ポポロはあわててもう一度呪文を唱えました。やはり魔法は発動しません。フルートたちは縛られて、牢の床に転がっているだけです。

「あたしの魔法が何かに打ち消されているわ……!」

 とポポロが言いました。フルートは部屋の中を見回し、天井に近い壁に白い紙が何枚も貼り付けられているのを見つけました。紙には黒い模様のようなものが書きつけられています。

「呪符だ!」

 とフルートは言いました。ユラサイ国の術師が使う、魔法を封じ込めた紙です。このオファの住人がユラサイの流れを汲む人々だということを、改めて思い出します。ユラサイの呪符は、ポポロたちが使う光の魔法とはまったく別の体系で作用する魔法なので、ポポロには消すことができないのです。

 それでもポポロは何度も呪文を変えて唱え直し、やがて疲れたように、床へ頭を落としました。

「ごめんなさい……やっぱりだめだわ……」

 その顔がいやに青白くなっていました。それなのに両の頬は真っ赤です。フルートはポポロににじり寄り、額に額を押し当てて驚きました。熱があります。ポポロは、心労と疲れから、また具合が悪くなってしまったのです。

「待っていて。今、熱を下げてあげるから――」

 フルートは鎧から金のペンダントを出そうと身をよじり、すぐに、はっとしました。首に鎖の感触がありません。ペンダントがなくなっていました。

 フルートは焦ってまた部屋を見回しました。床の上にペンダントはありません。鉄格子の向こうに、フルートの兜や盾や剣がひとまとめにされていましたが、彼らのリュックサックや鞄も見当たりません。荷物を持ち去られたのです。フルートのペンダントも、きっと一緒に持って行かれたのに違いありませんでした。

「ポポロ! ポポロ!!」

 フルートは懸命に呼びましたが、少女は目を開けませんでした。床に頬を押しつけたまま、浅く速い呼吸を繰り返すだけです。

 フルートはなんとか両手の戒めをほどこうともがきましたが、固い結び目はとてもほどけませんでした。縄が手首に食い込んできて傷ができますが、ペンダントがなくなっているので、それが治ることもありません。

 ポポロの顔がますます青白くなっていきます――。

 

 すると、いきなり扉が、ばんと開いて、外から強い風が吹き込んできました。砂埃が舞い上がり、壁に立てかけてあったフルートの剣が、音を立てて倒れます。

 扉の外に立っていた見張りの男が、悪態をつきながら部屋に飛び込んできました。片手で三角帽子を押さえ、もう一方の手で扉を捕まえて、引き寄せます。扉が閉まると風がやみ、部屋の中がまた静かになります。

 けれども、その時にはもう、部屋の真ん中に一匹の小犬がいました。鉄格子へと駆け寄ってきます。

「ワン、大丈夫ですか、フルート、ポポロ!?」

「ポチ――」

 フルートは思わず上げそうになった歓声をこらえました。また外から見張りにのぞかれたら大変です。

「ワン、フルートたちが見当たらなくなったから、心配で探していたら、ポポロやフルートの声が聞こえてきたんです。一瞬風の犬に変身して扉を開けてから、犬に戻って駆け込んできました。何がどうしたんですか?」

 とポチが尋ねてきました。

「オファの人たちに敵だと誤解されたんだよ。荷物も金の石も取り上げられてしまったし、ポポロが熱を出している。金の石を取り返さなくちゃならないんだ。君、中に入ってきて、縄を食い切れるかい?」

「ワン、無理みたいです。格子が狭くて、くぐれません」

 とポチは答え、角材を十文字に組み合わせた格子の隙間へ頭を突っ込んでみせました。途中で引っかかって、くぐり抜けることができません。

 フルートはせわしく周囲を見回し、床に倒れている自分の剣に目を止めました。

「あの剣を抜いて、ここまで持ってきてくれ」

「ワン、わかりました」

 賢い小犬は、すぐに銀のロングソードの柄をくわえて鞘から引き抜くと、引きずりながら牢まで運んできました。向きを変えて、刀身を格子の隙間から中に差し込みます。フルートは苦労して体を動かすと、後ろ手で剣の刃を捕まえました。手首を縛っている縄を断ち切ります。

 手が自由になれば、もうこちらのものでした。フルートは剣を握って、両脚の戒めも切りました。急いでポポロの手足も自由にしてやります。

 

 解放されても、ポポロは立ち上がることができませんでした。フルートが抱き上げると、その肩と胸にぐったりともたれかかってきます。浅い息を苦しそうに繰り返していて、話すこともできません。フルートは唇をかみました。一刻も早く金の石を取り戻して、ポポロに使わなくてはなりません――。

 フルートは、きっと顔を上げると、鉄格子の外のポチに言いました。

「炎の剣も取ってくれ。ここから脱出する」

「ワン、どうやって?」

「ここに火を放つ。ぼくが炎の剣を使ったら、君はすぐに風の犬に変身するんだ」

 ポチはびっくりしました。

「ワン、フルートは兜をかぶってないじゃないですか! ポポロだって……! 危険すぎますよ!」

「時間がないんだ。こんなところでぐずぐずしてるわけにはいかない。いいか、ポチ、火の手が上がったら、この格子を吹き倒すんだ」

 フルートは、絶対に考えを曲げない、あの頑固な口調になっていました。青い瞳が燃えるように輝いています。フルートは怒っていたのです。

 しかたなく、ポチは炎の剣を牢へ運びました。すぐに引き返して、フルートの兜も持ってきましたが、格子の隙間より兜のほうが大きかったので、中には入りませんでした。

 フルートは自分のマントを外して、ポポロをしっかりくるみ、また抱き上げました。その恰好で炎の剣を引き抜きます。

「行くぞ!」

 フルートは叫ぶと、剣を高く掲げ、勢いよく振り下ろしました――。

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