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第16巻「賢者たちの戦い」

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76.会見

 女王が小舟でテト川を渡ると、敵の陣営からガウス侯がやってきました。鎧兜姿で馬にまたがり、側近と二十名ほどの護衛を従えています。それに対して、女王が連れている護衛はオリバンとゼンとルルの二人と一匹だけです。船着き場で出会った二人の君主を、両陣営の兵士たちが息を詰めて見守ります。

 ガウス侯は鎧の面おおいを上げて顔を見せていました。黒い口ひげに黒い目の、上品な顔立ちです。女王が十メートルほど距離を取って立ち止まると、馬から下りて声をかけてきます。

「こうして会うのは久しぶりだな、アク。元気そうで良かった」

 ガウス侯の口調が非常に親しげだったので、オリバンたちは驚いてしまいました。アク、と女王を愛称で呼んでいます。

 女王はにこりともせずに答えました。

「あなたこそ息災でなによりだ、従兄弟殿。このような形ではなく、もっと平和に会って話をしたかったものだが」

 こちらは冷ややかな響きの声です。

 ガウス侯はそれには答えずに、オリバンとゼンを眺めてさらに言いました。

「ずいぶんと少ない護衛だな。これがあの有名な金の石の勇者なのか?」

 ガウス侯がオリバンではなくゼンを見ていたので、オリバンたちはまた驚きました。ガウス侯は金の石の勇者が少年だと知っているのです。

 女王が答えました。

「このような会見に正義の勇者殿を呼び立てては失礼であろう。ここにいるのは金の石の勇者の仲間たちじゃ」

 すると、ガウス侯はふふん、と鼻で笑いました。

「そうだ、金の石の勇者は出てこられるはずがない。奴はオファの街へ援軍を呼びに行ったのだからな。今頃はもう黄泉(よみ)の門をくぐって、あの世に到着した頃だろう」

 なに!? とオリバンとゼンは思わず声を上げました。ガウス侯は、フルートはもう死んでいると言っているのです。それはどういうことだ!? と聞き返そうとします。

 すると、女王が手を上げて制しました。

「あわてるな、グルールの扇動(せんどう)じゃ。乗ってはならん」

「それはどうかな?」

 とガウス侯がまた冷笑します。

 

 女王はそれを無視して話を切り替えました。

「ウズン候たち十六名を拘束から解放して連れてきた。フェリボ候とミラシュ殿はどこじゃ」

 王都の牢から連れてきたガウス派の貴族たちは、まだ船に乗せられたまま、川の上にいました。フェリボ候たちが無事引き渡されなければ、こちらも人質は渡さない、という意味です。

 ガウス侯は自分の陣営を振り向いて手を上げました。敵の突進かとオリバンたちが緊張しますが、合図を受けてやってきたのは一台の馬車でした。中から下りてきたのは、両手を縛られ猿ぐつわをされたフェリボ候と、ガウス兵に担架(たんか)で担がれたミラシュでした。眉をつり上げた女王に、ガウス侯が言います。

「猿ぐつわは自害防止用だ。今回の失態を恥じたフェリボ候が、舌をかみ切って自殺しようとしたんでな。子息のミラシュ殿は重症だが、手当をしておいたからまだ生きている」

 するとフェリボ候が急にうなり出しました。女王に向かって怒るような声を上げます。その老いた目には悔し涙がありました。何故自分たちを助けに来たのだ、自分たちを救うために人質を解放するな、と女王へ訴えているのです。

 女王は静かに答えました。

「何も言うな、フェリボ候。そなたたちはまだ生きて、わらわに仕えねばならぬ。その義務を果たすのじゃ。――人質を引き渡せ」

 女王が船に向かって命じたので、十数人の兵士が、同じ数の捕虜を連れて上陸しました。フェリボ候たちを連れたガウス兵と出会い、そこで人質の交換をします。

「殿――!!」

 ガウス兵に引き渡された人質たちがガウス侯を呼びました。喜びの声です。本来はガウス侯と同じ立場の貴族たちなのですが、候を主君扱いしています。ガウス侯は鷹揚(おうよう)にうなずきました。

「諸君たちにはさっそく活躍してもらう。陣営へ戻れ」

 本当に、もう王であるような口ぶりです。ガウス軍の陣営から、さらに馬車がやってきて、彼らを運んでいきました。フェリボ候とミラシュは女王軍の兵士の手で船に乗せられ、都へ戻ります。

 

 船着き場が再び自分たちだけになると、女王はガウス侯に言いました。

「人質の交換は終わった。そなたの話というのはなんじゃ、グルール」

 自分たちの数倍の敵と向き合っているというのに、恐れる様子もなく、毅然としています。そんな女王を見て、ガウス侯はまた笑いました。

「まったく立派になったものだな。いかにもテトの女王という感じではないか。どこへ行くにも私の後をずっと追いかけていた小さなアクが、出世したものだ」

 懐かしさと揶揄(やゆ)がことばの中で入り混じります。

 女王は平然と答えました。

「そんな時代もあった。わらわがまだ子どもだった頃の話だ」

「そう。あの頃から何度も話をしたはずだ。このテトの国は、サータマンとユラサイの狭間で、周囲のごきげん伺いをしているような国ではない。エスタやロムドのように世界を支配していく力のある国なのだ、と。前王はサータマンに貢ぎ物をすることで、テトの存続を図ろうとしたし、あなたも同じことをしているが、そんな必要はないのだ。テトこそが、グル神の教えを忠実に守っている国。神の加護の元、世界を統一して平和と繁栄をもたらすことができる存在なのだ」

 それを聞いて女王は冷笑しました。

「サータマンの庇護(ひご)から脱出しようとして、サータマンから力を借りたのでは、未来永劫、サータマンからの独立などできるはずはない。この兵を募るために、どれほどの金をサータマンにばらまいてきた? その財力を使って、サータマンはテトに攻め込んでくるぞ。愚かな話じゃ」

 ふふん、とガウス侯はまた鼻を鳴らしました。

「私はサータマンの力など借りてはいない。私が得たのはグル神の力だ。神の加護は私と共にあって、私に敵対する者に天罰を下している。神はサータマンをテトの属国にすると約束した。サータマンだけでなく、エスタもロムドもユラサイも、世界中すべての国々をテトの領地にする、とな。私はグル神から賢者の証(しるし)を受けた者だ。テトと世界を指導する役目がある」

「グル神の賢者の証ならば、わらわも受けた」

 と女王は言い返しました。

「あの証は、知恵をもってテトを賢く導けという神の啓示じゃ。証の裏には戒め(いましめ)も刻んであったであろう。賢さに溺れて道を踏み誤らぬよう、常に正しきを学び続けよ、と。あなたが手にしている力はグル神の加護などではない。悪しき闇の神の力じゃ。そんな力でテトを正しく導けるはずはない!」

 

 ガウス侯はすぐには返事をしませんでした。豪華な刺繍の衣装を着て、冠のように高い帽子をかぶった女王を眺め、やがて、また冷ややかに笑います。

「まったく、本当に偉くなったものだ。この私に対して説教をするとはな。しかも、言うに事欠いて闇の神の力とは、まことに恐れ入った。私は、同じテトの国民同士が戦って傷つけ合うのは不本意と考えて、都の無血開城を求めるつもりだったのだが、あなたにその気持ちがないことはよくわかった。かくなる上は、力ずくで証明するだけだな。あなたと私のどちらがより賢いか。より王としての力があるか。それを実力で示して見せよう」

 ガウス侯は背を向けて、馬の鞍に手をかけました。これ以上の話し合いは無意味と判断したのです。

 そんな候へ、女王は言い続けました。

「戻れ、グルール! あなたは賢い領主であったはずじゃ! 世界の長となることは、世界中の妬みと恨みを一身に招くことになるぞ! あなたはそれで良くても、テトはやってはいけぬ! テトは国々の間に立って、物と人との交流を促す国。そのために、世界の安定を望む国なのじゃ!」

 けれども、女王の必死の呼びかけを、ガウス侯は無視しました。馬にまたがり、自分の陣営へ戻っていこうとします。

 その背中へ、女王は鋭く言いました。

「待て! 竜の秘宝とはなんのことじゃ!? あなたは何の力を手に入れた!? 答えよ、グルール!」

 女王の出しぬけの質問に、オリバンやゼンたちはぎょっとしました。まさかここでそれを切り出すとは思わなかったのです。

 ガウス侯は歩き出していた馬を停めました。ゆっくりと女王を振り向きます。

 とたんにオリバンは腰の剣をつかみ、ゼンは拳を握り、ルルは毛を逆立てて身構えました。ガウス侯が全身から殺気をほとばしらせていたからです。すさまじい目で女王をにらみつけています。オリバンが剣へ手をかけたのを見て、ガウス侯の護衛も武器を握りました。一触即発の緊張が張り詰めます。

 

 けれども、ガウス侯はすぐに危険な気配を収めました。つまらなそうな表情になって言います。

「なんのことだ、アク。さっぱり意味がわからん」

 女王は何も言いませんでした。ただガウス侯の顔をじっとにらみ返します。

「戻るぞ」

 候は護衛たちに声をかけて進み出しました。もう女王やオリバンたちを振り向くことはありません。護衛たちが後を追っていきます――。

 川で待つ小舟へ戻りながら、ゼンが女王に尋ねました。

「なんであんなこと言ったんだよ、アク? やばいだろうが」

「ものすごい反応ぶりだったな。あいつの切り札をこちらが知っているとは、思ってもいなかったのだろう。確かに危険だったぞ」

 とオリバンも言います。

 女王は目を伏せました。

「グルールを止めたかったのじゃ……。竜の秘宝を手に入れたために、彼は変わってしまった。それがなくなれば、彼は目を覚ますかもしれぬ」

「無理じゃねえのか? あれだけ頑固に言い張ってるヤツは、まず考えは変えねえぞ」

 とゼンが言うと、女王は黙り込んでしまいました。うつむきながら、岸辺の舟に乗り込みます。

 そんな女王を、ルルはずっと見つめ続けていました。動き出した小舟の上で、女王は川面を眺めています。さっきまでの毅然とした態度が嘘のように、小さく疲れて果てて見えます。

「アク、もしかして……」

 ルルは誰にも聞こえない声で、そっと、つぶやきました。

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