午後になって、ガウス軍が王都マヴィカレの川向こうへ到着し始めました。約八千の大軍勢です。馬に乗った騎兵部隊が隊列の両翼を守り、白っぽい鎧兜の歩兵が前列で盾を構えています。
それを都の城壁の上から眺めて、ゼンが言いました。
「ぞろぞろと来やがったなぁ。数が多けりゃいいってもんでもねえだろうが」
「あれ? 連中、川岸まで来ないよ?」
とゼンの隣にいたメールが、身を乗り出しました。ガウス軍が川から百メートルほど手前の場所で停止したのです。続く軍勢も、それにならって立ち止まります。
一緒にそれを眺めていたセシルが言いました。
「こちらには弓部隊がいるし、壁の上には投石機も配置してある。攻撃を食らわないように距離を取ったんだ。冷静で、やっかいな敵だな」
彼らが見ている間にも、敵は川向こうに集結していきました。川の向こうの麦畑や牧草地が、たちまち兵士で埋め尽くされます。
「敵の様子を見てきましょうか? 私は風だから、攻撃されても平気よ」
とルルが言うと、ゼンは頭を振りました。
「ダメだ。ガウス侯は闇の力を持ってるんだぞ。魔法を繰り出されたら、風の犬だってやられちまうだろうが」
「ゼンの言うとおりだな。まずは敵の出方を見なくては」
とセシルも言います。
そこへアキリー女王がオリバンやユギルと一緒にやってきました。川向こうの敵を眺めて言います。
「いよいよだな。だが、こちらの兵に、敵を見て弱音を吐く者はおらなんだ。負けぬぞ」
女王は敵が到着する前に、都を守る兵全員を激励していました。戦いの最前列まで女王がやってきて、じきじきにことばをかけたので、兵たちは非常に張り切っていました。城壁の上にいる兵士たちは、鋭い目で川向こうを見据え、敵が射程距離に入ってきたら攻撃しようと、弓や投石機を構えています。
すると、見張りの兵が声を上げました。
「敵の中から人が出てきました! こちらへ向かってきます!」
それは馬にまたがった三人の人物でした。白の目立つ鎧兜で身を固め、中央の男は青い竜の旗を下げた棒を高々と掲げています。
「なんだ、ありゃ?」
とゼンが尋ねると、オリバンが答えました。
「使者だ。旗の先に小さな白い布があるのが見えるだろう。戦いではなく話をしに来たと知らせているのだ」
「船を出して使者の要件を尋ねよ」
と女王が言いました。命令はすぐ実行に移され、数人の兵士が城壁の外へ出ていきました。テト川へ船を出して、向こう岸まで漕いでいき、岸辺の使者とことばを交わします。使者から船へ何かが手渡され、船が戻り出したのを見て、セシルが言いました。
「書状が引き渡されたな。ガウス侯からだろう」
そこで彼らは城壁の内側へ下りていきました。ちょうど下に着いたところに、外から戻った兵士が駆けつけてきます。
「女王陛下! ガウス侯より陛下へ親書でございます!」
「見せよ」
と女王は書状を受けとり、広げて素早く目を通しました。その顔がみるみる深刻になっていったので、どうした? とオリバンが尋ねます。
「グルールが交換条件を出してきおった。フェリボ候と、候の子息のミラシュを人質にしているから、捕らえられている自分の派閥の諸侯を解放しろ、と……。人質の交換にはわらわが出てこい、とも書いてある。話がしたい、とな」
オリバンたちは眉をひそめました。話を聞いていた女王の家臣たちが騒ぎ出します。
「危険です! 陛下自らが交渉に臨まれるなど、とんでもない!」
「狙い撃ちにされます! 敵の誘いに乗ってはなりません、陛下!」
「ガウス派の貴族は十数名も捕らえてあります! それを解放すれば、敵の兵力が増強します――!」
けれども、女王はじっと考え込んでいました。やがて、書状を丸めると、かたわらの家臣に渡して言います。
「フェリボ候たちはテトの守り。わらわの大切な家臣じゃ。見殺しになどするわけにはいかぬ。こちらからも使者を立てよ。人質を解放するから、フェリボ候たちを引き渡すように。グルール自ら交渉に来るならば、わらわも交渉に臨む、とな」
家臣たちが声を枯らして説得しようとしましたが、女王はまったく耳を傾けませんでした。手を振って家臣を追い払い、オリバンたちへ言います。
「わらわは、グルールと話すために都の外へ出る。そなたたちの中から、誰か護衛についてきてくれぬだろうか」
「俺たちはかまわねえけどよ。アクが危険だぞ。罠かもしれねえんだから」
とゼンがもっともな心配をしましたが、女王は決心を変えませんでした。
ふむ、とオリバンは言いました。
「では、アキリー女王の護衛に私がついていこう。それならば、危険かどうかわかるはずだ。そうだな、ユギル?」
話を振られて、銀髪の占者は頭を下げました。
「左様でございますね……。この交渉、命に関わるほどの危険はないと思われますが、念のためにもう二、三人お連れになったほうがよろしいようでございます」
「じゃあ、もう一人は俺だ」
とすかさずゼンが言いました。セシル、メール、ルルの女性陣も、自分が! と進み出ます。
ユギルがまた言いました。
「ゼン殿とルル様がおいでください。メール様はセシル様と川のこちら側で待機を。万が一、敵が攻撃を仕掛けてきたときには、メール様が花で橋を作って皆様をこちら側へ避難させ、セシル様は管狐でお守りください」
「わかった」
とメールは答えると、さっそく両手をかざして花へ呼びかけました。都の中から羽虫の群れのように花が飛んできます。オリバンとゼンは、ユギルやセシルと打ち合わせを始めます――。
ルルが女王を見上げて言いました。
「護衛は私たちだけでいいの? 城の兵士は連れていかないつもり?」
「人質を向こう岸へ運び、フェリボ候たちを連れてこなくてはならぬから、そのための兵は連れていく。だが、わらわの護衛はそなたたちだけで充分じゃ。そなたたちは、一人一人が千の兵に匹敵する戦士であるからな」
そう言って笑った女王の顔から、急に笑顔が消えました。ルルからもオリバンたちからも顔をそらすようにして、何もない城壁へ目をむけます。
「アク?」
ルルは驚いて声をかけましたが、女王は返事をしませんでした。じっと考え込むように彼女が見ていたのは、敵軍とその総大将がいる、川向こうの方角でした――。