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第16巻「賢者たちの戦い」

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66.空

 次にオリバンが目覚めたのは夕暮れでした。空が真っ赤に染まっています。

 どこからか、絶え間ない音が聞こえていました。ごうごうと風が吹くような音、そして、ぱちぱちと何かが弾ける音です。赤い空からは雪が降ってきていました。軽い雪のひらは、地上に舞い落ちても溶けません。地面を薄くおおい、風が吹くと、さざ波のように吹き飛ばされていきます。ひどくきな臭い匂いがあたりに充満しています。

 ちらりと視界の隅を赤いものが這い上りました。空の雲がいっそう赤くなります。空を染めているのは夕日ではありませんでした。燃え上がる赤い炎です――。

 

 オリバンは完全に正気に返りました。

「火事か!?」

 と叫んで跳ね起き、とたんに激痛に襲われてうずくまりました。痛みの源は右肩です。腕がまったく動かせません。

 そこへユギルがやってきました。オリバンに駆け寄って言います。

「ご無理をなさってはいけません、殿下! 肩を骨折されたのですよ!」

 骨折――とオリバンは脂汗を流してうめきました。ユギルが応急処置をしてくれたのでしょう。オリバンの右腕は首から布で吊され、肩が動かないように、さらに上から布で体に固定されていました。ユギルは、オリバンのマントや自分の長衣の裾を、手当に使ったようでした。

 激痛の波をなんとかやり過ごすと、オリバンはまた顔を上げました。ごうごうぱちぱちと音がするほうを眺めて、愕然とします。彼らはいつの間にか船着き場に戻っていました。目の前にはフェリボの城壁があり、その向こうで激しい火の手が上がっていたのです。炎は黒煙を噴き上げ、風にあおられて北へとなびいていました。空からは綿雪のような灰がひっきりなしに降ってきます。

「ガウス軍のしわざか!」

 とオリバンは言いました。立ち上がろうとして、また痛みに襲われて腕を抱えます。

「安静になさってください――。殿下はドワーフの傭兵を倒されましたが、なだれ込むガウス兵の勢いを止めることはかないませんでした。女王軍は突破され、街に火が放たれました」

 なんということだ! とオリバンはどなりました。フェリボは敵の上陸と進軍を食い止めることができなかったのです。

 

 痛みが少し落ち着いてから、オリバンは改めて周囲を見ました。ようやく船着き場の様子が目に入ってきます。先ほどまで戦場になっていた場所に、今はもう戦う兵士の姿はありませんでした。鎧兜を着た兵はいますが、怪我をしてうずくまっているか、倒れて死んでしまっています。

 代わりに、川辺には街から避難してきた住人が大勢いました。老若男女さまざまですが、皆茫然と立ちすくみ、炎上する街を眺めています。燃えているのは彼らの家でした。火勢が激しすぎて、どうすることもできずにいます。

「ガウス軍はどうなった? 城のフェリボ候は?」

 とオリバンはユギルへ尋ねました。言いながら、ユギルが自分を安全な場所まで運んでくれたのだと気がつきます。

 ユギルは答えました。

「街に侵入したガウス兵は、西の門を開放して、街の西で戦っていたフェリボ軍の騎兵部隊を背後から襲撃しました。敵に挟み撃ちにされて、フェリボ騎兵部隊は離散。ガウス侯が率いる騎兵部隊が街へ突入してきて、火を放ったのです……。現在、ガウス軍はフェリボの街を抜け、ガウス侯を先頭に北へ進軍中です。女王軍とフェリボ候が率いる直属部隊が、その後を追っています」

 オリバンはまた歯ぎしりをしました。敵はまんまとフェリボの街を陥落させ、留まることもなく王都へ進んでいったのです。

「次に襲われるのは王都のマヴィカレだ! 追わねば!」

 とオリバンは立ち上がりました。上陸したガウス軍の歩兵部隊はおよそ六千、とオリバンは読んでいました。そこに西で戦っていた騎兵部隊二千が加わったのですから、八千の敵が王都へ押し寄せていることになります。

 すると、ユギルが言いました。

「殿下のその肩では何もおできになりません。まず、勇者殿の金の石で怪我をお治しください」

「フルートは王都にいる! 行き先は同じだ!」

 とオリバンが言い返すと、ユギルは首を振りました。

「いいえ、間もなく迎えがおいでになります。お待ちください」

 ユギルがそう言っている間に、空から風の音が聞こえてきました。燃える街を飛び越えて、風の獣が船着き場に下り立ちます――。

 

「ちょっと! なんなのよ、この火事は!?」

 とルルはオリバンとユギルへ言いました。突然やってきた風の犬に、船着き場の人々が仰天して逃げ出しましたが、ユギルはかまわず答えました。

「ガウス軍のしわざです。殿下が怪我をなさいました。勇者殿の元までお連れください」

 なんですって!? とルルは驚き、すぐに地面に伏せました。

「早く乗って! 私のほうも、あまりぐずぐずしてはいられないのよ。早く飛びたたないと」

「なんだ――?」

 オリバンは、ユギルの手を借りてルルの背に乗りながら、尋ねました。ユギルはその後ろに座ります。

「ロック鳥よ!」

 とルルは言って、空に舞い上がりました。急上昇して、たちまち船着き場から離れます。逃げまどっていた人々が遠ざかります――。

 空を飛ぶと、風が真正面からまともに吹きつけてきました。オリバンは右腕を抱え、また脂汗を流しながら言いました。

「ロック鳥と言えば、闇の鳥だ……追われているのか?」

「いくら倒しても、また復活して追いかけてくるのよ。しつこくて。そろそろまた追いついてくる頃よ。しっかりつかまっていて」

 そう言うと、ぐん、とルルは速度を上げました。肩に当たる風がいっそう強くなって、オリバンが思わずうめきます。

 

 すると、眼下に大軍が見えてきました。両脇を騎兵に守られた歩兵部隊です。全員が赤みを帯びた防具を身につけ、先頭には、ひときわ赤い鎧兜を着た二人の将がいます。

「フェリボ候と、候の息子のミラシュ殿ですね。ご無事だったようです――」

 とユギルが色違いの目を細めて言いました。

 さらに先を眺めていたルルも言います。

「向こうにも大軍が見えるわ。もっと人数が多いわよ。あれがガウス軍ね?」

 先を行くガウス軍も、後を追うフェリボ軍も、全力で突っ走るようなことはありませんでした。騎兵部隊と歩兵部隊が歩調を合わせ、後ろには物資を運ぶ馬車部隊を従えて、整然と北へ進んでいます。間にいくつも丘を挟んでいるので、互いの姿は見えていないようでした。

「フェリボ軍は、わざと敵と距離を取っているのだ……。あの人数差では、追いついて攻撃を仕掛けても、反撃されて壊滅させられてしまう。ガウス軍が王都に到着するまで追いかけて、都の女王軍と協力して倒す作戦でいるのだろう……」

 とオリバンが言うと、ルルが答えました。

「都ではアクが迎撃の準備を命令しているわ。フェリボに敵の大軍が上陸したのを、ポポロが透視したのよ」

 こうなっては、敵が到着するまでに都の迎撃態勢が整うように、と祈るしかありませんでした。一行は眼下に二つの軍勢を眺めながら、その上を飛び越えていきます。

 

 やがて、ユギルが行く手を指さしました。

「まいりましたね……。ロック鳥です」

 青空の中に黒い影が見えてきました。ぐんぐん近づいて、大きな鳥の形に変わります。

「背中につかまって!」

 とルルが急に方向を変えたので、乗っていたオリバンとユギルが振り回されました。また肩に力がかかって、オリバンがうめきます。

 鳥が後を追ってきました。キェェェ、と鋭く鳴くと、翼を大きく打ち合わせます。

「危ないっ!」

 ルルは急降下しました。ロック鳥の翼から発射された羽根が、黒い光に変わって、オリバンやユギルのすぐ上を飛びすぎていきます。また体を揺すぶられて、オリバンはルルの上に突っ伏しました。激痛に声も出せなくなります。オリバンの肩の骨は、ドワーフの拳でめちゃくちゃに砕かれていたのです。

 今度はロック鳥が上から襲いかかってきました。強力な脚がオリバンやユギルを捕らえようとします。ルルはさらに降下しましたが、地上から吹き上がってくる風に押されて、下がりきれませんでした。かぎ爪が二人に迫ります。

 すると、ユギルが身を起こしました。鋭く片手を上げます。

 とたんに、キェェ、とまたロック鳥が鳴きました。羽ばたいて上昇していきます。その脚の指に短剣が突き刺さっていました。ユギルが投げつけたのです。

 ロック鳥の脚から短剣が抜け落ち、傷が治っていくのを見ながら、ユギルは言いました。

「ルル様、あちらへ! 全速力でお飛びください!」

 占者が示したのは、北西の方角でした。何故? と聞き返す余裕もないままに、ルルはそちらへ飛びました。風が一行の耳元でうなり続けます。背後からまたロック鳥の羽ばたきが近づいてきます。

 

 すると、行く手の彼方から、かすかに声が聞こえてきました。彼らがよく知っている声です――。

「いたぞ、ゼン! 矢を撃て!」

 すぐに、本当に矢が飛んできました。ルルやオリバンたちをかすめるようにして飛びすぎ、後ろに迫っていたロック鳥の胸に命中します。鳥がキァァと叫んで後退します。

 行く手の空に風の犬のポチが現れていました。背中にフルートとゼンを乗せて、ものすごい勢いで突進してきます。

「ワン! 後ろにメールたちがいます! ルルはそっちへ!」

 とポチは叫ぶと、ルルの隣をすり抜け、また襲ってきたロック鳥へと飛びかかっていきました――。

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