淡い緑の光が、きらめきながら南の方角へ消えていくのを見届けて、ポポロは右手を下ろしました。その服は、いつの間にか黒い星空の衣に変わっていました。夜空のような生地の中で、星の光がまたたいています。
と、その体が、大きくよろめきました。
「危ない!」
フルートは、とっさにポポロを抱き支えました。華奢な体が腕と胸に倒れかかってきます。
「ポポロ! ポポロ!」
呼びかけると、少女はすぐに目を開けました。青ざめた顔で答えます。
「ごめんなさい……ちょっと目眩(めまい)がしたの……。水魔は全部消滅したわ。水魔はガウス軍の船を運んでいたみたい。川が船を押し流していったわ……でも」
ほっとしたフルートたちは、ポポロの最後のことばに、どきりとしました。でも? と聞き返します。
「最後の瞬間に見えたのよ……船着き場とフェリボの街の間の大きな門が、内側へ押し開けられていく様子……。誰かが街の門を開けたのよ。敵が街に侵入したのかもしれないわ……」
一同は顔色を変えました。
「フェリボの守りが破られたというのか!? フェリボが落ちたのか!」
と女王が声を上げます。
フルートはポポロを抱きしめ直しました。
「もう透視しちゃ駄目だ! 後は休むんだ!」
ポポロは疲れて弱った体で、またフェリボの街を見通そうとしていたのです。その顔は土気色でした。
「オリバンたちを助けに行かなきゃ!」
とメールが駆け出しました。窓を開け放ち、庭の花たちへ呼びかけようとします。
すると、それより早く、窓から巨大な風の獣が飛び込んできました。ルルです。あっという間に縮んで、茶色の毛並みの雌犬に変わると、ポポロに駆け寄ります。
「いったいどうしたのよ!? 何があったの!?」
ルルとポポロは犬と人ですが、姉妹のように育ってきたので、心の中でつながり合っています。ルルが上空を警戒していると、いきなりポポロから不安や焦りが伝わってきたので、驚いて飛んできたのでした。
フルートは即座に言いました。
「ちょうどいい! ルル、フェリボの街まで飛んでくれ! ガウス軍は予想以上の大軍だったんだ! オリバンたちが危ない!」
ルルは飛び上がりました。わかったわ! と叫ぶと、次の瞬間にはまた風の犬になって、窓から飛び出していきます。
あたいも! と後を追いかけようとしたメールを、フルートは引き止めました。
「メールはまだだ! 君まで行ったら、空への足がなくなる!」
あっ、とメールは立ち止まりました。フルート、ゼン、ポポロ、セシル。確かにこの人数をポチ一匹が運べるはずはありません。
女王は大声で家臣を呼びながら部屋を飛び出していきました。都の南側の守りを固めるよう命令する声が聞こえてきます。
フルートは仲間たちに言いました。
「戦闘準備だ。ぼくたちも南に行くぞ!」
おう! とゼンとメールは答えました。少年たちとセシルは装備を整えに奥の部屋へ駆け込み、メールは花鳥を作りに中庭へ飛び出します。
すると、メールの後をポポロが追ってきました。まだ顔は青ざめていて、足元もふらついています。
「大丈夫かい?」
とメールは心配しました。
「平気よ……あたしも花鳥に乗せてね」
とポポロは答えました。ほんの少しの距離を歩いただけなのに、もう肩で息をしています。
メールは眉をひそめました。
「無理だよ、ポポロ。あんたは闇の雲の向こうのフェリボをがんばって透視したし、二度の魔法を一度に使うような大きなこともやったんだからさ。フルートの言うように休んでなよ。オリバンとユギルさんは、必ずあたいたちが助け出してくるから」
けれども、ポポロは激しく頭を振りました。
「駄目! 駄目なの……! あたしが一緒に行かないと、フルートが……!」
「フルートが?」
メールは聞きとがめました。ちょっと考え込んでから言います。
「そういや、このところ、ポポロはずっとフルートから離れようとしなかったよね。今だって、そんなに必死になるしさ。なんかあったのかい?」
ポポロはためらいました。フルートに聞かれてはいけない、とユギルから注意されたことを思い出して、貴賓室を振り返ります。フルートは奥の間で装備を整えているので、姿は見当たりません。
「ポポロ!」
メールから強く促されて、ポポロはとうとう話し出しました。
「ユギルさんから言われたのよ……フルートがこのテトの国で命を落とすかもしれない、って……。それを防ぐのに、あたしは絶対フルートから離れちゃいけないんだ、って。それであたし……」
大きな目から涙がこぼれだして止まらなくなります。
「フルートが命を落とすだってぇ!?」
メールは思わず大声を上げました――。
風の犬になったルルは、王都を飛びたって、南へ向かいました。都の上空を警戒していたポチが、驚いて追いかけてきます。
「ワン、どうしたんですか、ルル? 何をしに行くんです?」
「フェリボを敵の大軍が襲ったんですって! オリバンたちを助けに行くのよ!」
とルルが答えたので、ポチはいっそう驚きました。
「ワン、フェリボには大勢の兵士が援軍に行ったじゃないですか。それより多くの敵が襲ってきたって言うの?」
「詳しくは知らないわ。ただ、急いでオリバンたちのところへ行け、ってフルートに言われたのよ!」
ルルは南へ全速力で飛びます。ポチのほうは速度を落として後に残りました。
「ワン、だとすると、フルートたちもフェリボに向かうはずだ。ぼくはフルートたちのところへ行かなくちゃ」
とテト城へ飛び戻っていきます――。
ルルはさらに南へ飛び続けました。フェリボの街の位置は、地図を見て覚えていました。地図が正確ならば二、三時間で到着できるはずです。お願い、それまで持ちこたえて……と心の中でオリバンやユギルに呼びかけます。
彼女が飛ぶ空は青く晴れ渡り、白い雲がヒツジの群れのように浮かんでいました。本当に、腹立たしくなるほど、のどかな景色です。
すると、雲の合間に小さな黒い影が現れました。みるみる近づいてきて、鳥の形になります。ルルは、ぎくりとしました。まだ遠くにいるのに、鳥の影は驚くほど巨大だったのです。
ルルはあわてて進路を変えました。急降下して鳥をかわそうとしますが、鳥は後を追ってきます。ルルは振り向いて、思わずうなりました。
「ロック鳥――!」
闇に属する鳥の怪物です。翼の端から端まで二十メートルもあり、非常に力が強くて、象も空へ持ち上げると言われています。ガウス侯が送り込んできたんだわ、とルルは考えました。彼女は今、フルートから離れた場所にいます。金の石の守りの外に出たために、敵に見つかってしまったのです。
ルルはぐん、と速度を上げました。地表すれすれを飛んで森をくぐり抜け、急上昇して今度は雲に飛び込み、なんとかロック鳥をまこうとします。
ところが鳥はしつこく追ってきました。翼を打ち合わせる音が背後から迫ってきます。
と、その翼から、いきなり何十という羽根が飛び出しました。黒い光に変わってルルに襲いかかります。とたんに、ルルの体から青い霧のような血がほとばしりました。ロック鳥の羽根は、ルルの風の体を切り裂いたのです。
ルルは歯を食いしばりました。風の体は幻のように絶え間なく流れ、羽根の傷をふさいでいきます。ロック鳥に追いつかれないように、いっそう速く飛び続けます。
キェェェェ
ロック鳥が鋭く鳴いて、また羽根を飛ばしてきました。今度はルルの尾の先が切り裂かれて、青い血がほとばしります。
ルルは大きくうなりました。空の中でUターンして、ついに敵に向き直ります。
「いい加減にしなさいよ! この馬鹿鳥!」
歯をむき出して叫ぶと、ルルはロック鳥へ飛びかかっていきました――。