ガウス川の川面いっぱいにそそり立った水魔の大群に、人々は立ちすくんでいました。ガウス兵も茫然としています。彼らは、自分たちの乗った船が水魔に運ばれていたとは、気づいていなかったのです。
一番岸に近い場所にいた水魔が、しなるように倒れてきました。下にいた兵士たちを敵味方かまわず水で打ちのめし、そのまま蛇のように上陸してきます。水の体の上には三隻の船を載せています。
街の門目がけて突進してくる水魔を見て、オリバンは我に返りました。闇の怪物の水魔は、オリバンが持つ聖なる剣でしか倒せません。生きた水の流れを見据え、その体に水の動かない場所を探します。それは、水魔の頭のすぐ下にありました。流れの違う渦の中心で、水が留まっています。オリバンは水魔へ向かって駆け出しました。急所へ剣を突き立てようとします。
すると、ユギルが叫びました。
「危ない、殿下!」
とたんに水魔が頭から水を吹きだしてきました。とっさにかわそうとしたオリバンですが、逃げそこねて水をくらいました。激しい流れに体が吹き飛ばされ、地面にたたきつけられてしまいます。そこへ水魔が突進してきました。殿下! とユギルがまた叫びます。オリバンは立ちあがれません――。
その時、戦場を淡い光が駆け抜けていきました。人々の頭上を渡って南へ飛び、ガウス川へ降りそそいで消えていきます。光は緑の星のきらめきを宿しています……。
ボァァァァァ!!!
川面にそそり立った水魔たちが、いっせいにほえて揺れ始めました。水魔に持ち上げられた船から、ガウス兵たちの悲鳴も響きます。
オリバンに迫っていた水魔も、ぴたりと動きを止めました。長い水の体の色が、川に浸かった後ろのほうから変わっていきます。にごった赤い色から、透き通った水の色に――。
全身が透明になると、水魔の体がいきなり、ぱんと弾けました。水が周囲へ飛び散り、上に載っていた船が降ってきて地響きを立てます。飛び散った水は、雨のような音を立てて地面を流れていきます。
川の中でも、水魔たちがもがいていました。荒れていた川が急に静まり、澄んでいったのです。その水を体に吸い上げると、水魔が苦しみだし、やがて全身透明になって破裂します。破裂した水魔は川の水と一緒になって、見分けがつかなくなります。
ガウス軍の船は、支えるものがなくなって、川へ落ちていきました。高く持ち上げられていたので、川に落ちたとたん、音をたてて船体が壊れます。ガウス兵の悲鳴は続きます。
「な……何が起きているのだ?」
オリバンは、駆けつけてきたユギルに尋ねました。彼らの目の前で水魔が次々と消滅し、ガウス軍の船は墜落していきます。船底が壊れた船は沈没してしまいます。
ユギルは澄み切った川を眺めて言いました。
「ポポロ様が魔法をここに送り込んで、ガウス川を聖水に変えられたのです。水魔は闇の怪物なので、聖水を吸えば消滅いたします」
なんと、とオリバンは絶句しました。テト城からこの戦場を見守る仲間たちの存在を、はるかな距離を越えて強く感じます。
ガウス川からすべての水魔が消えると、間もなく川の色はまた赤くなりました。静かだった水面が、再び荒れ始めます。
支えていた水魔が消滅したので、ガウス軍の船も流され始めました。波に持ち上げられ、白いしぶきと共に滑り落ち、バランスを崩して川の中へ転覆していきます。ガウス兵たちは川に投げ出され、船に捕まる間もなく押し流されていきました。激しい流れが船も人も呑み込んでいきます。
女王軍の兵士は歓声を上げました。敵の船は流されていきます。もうこれ以上、上陸してくることはありません。
「フルートたちに助けられたな」
とオリバンは言って立ち上がりました。水魔の攻撃にたたきつけられて全身痛んでいましたが、大きな怪我はありません。
すると、急に右手にぬくもりを感じました。鎧の籠手におおわれた下の、薬指の上――エルフの賢者からもらった指輪がある場所です。同じ指輪をはめたセシルの姿が、一瞬見えた気がしました。男装の美姫は涙ぐみながら笑っています……。
ところが、そこへ鐘が鳴り出しました。城壁の上の鐘楼が、狂ったように打ち鳴らされています。
驚くオリバンたちの耳に、街の入口のほうから声が聞こえてきました。
「門が開けられた……敵が侵入するぞ……!」
フェリボの街を囲む壁にはめ込まれた大門が、きしみながらゆっくり向こう側へ開いていました。門の前にいるのは、がっしりした体に、棘がついた鎧兜を身につけた、小柄な男でした。たった一人で城壁の大門を押し開けていきます。先ほどオリバンと戦った、ドワーフの傭兵でした。門を開放すると、戦場を振り向いてどなります。
「門は開けたぞ! さあ、街に攻め込め!!」
そのまま、ガラガラと笑い声をたてます。
船着き場のガウス兵はいっせいに大声を上げました。開け放たれた門に向かって突撃を始めます。女王軍の兵がそれを阻止しようとしますが、勢いが激しすぎて止めきれません。門を閉めようとした兵士たちは、ドワーフの戦斧に切り伏せられてしまいます。
「行け! フェリボの街を落とせ!」
口々にそう叫びながら、ガウス兵は街の中へとなだれ込んでいきました――。