「ああ、もう! ただ待ってるだけなんて、退屈で退屈で死んじゃいそうだよ!」
長椅子に座っていたメールが、両手を突き上げて叫びました。隣に座るゼンが肩をすくめます。
「しょうがねえだろうが。俺たちはこの都と城を守る役目なんだからよ。敵がここまで来ねえほうがいいに決まってんだぞ」
そこは王都マヴィカレのテト城の中でした。貴賓室に集まったフルートたちは、することもなかったので、所在なく椅子に座ったり、立って窓の外を眺めたりしていました。ただ、ポチとルルだけは部屋にいませんでした。二匹は風の犬に変身して、都に潜む敵がグルール・ガウスと連絡を取り合えないように、都の上空を警戒しているのです。
別の長椅子に座っていたフルートは、テーブルに広げたテト国の地図を眺めていました。
「オリバンとユギルさんは、女王軍の兵士と一緒にフェリボの街に到着したはずだ。先の知らせでは、ガウス侯の騎兵部隊もそろそろフェリボに到達すると言っていた。ずいぶん移動速度を上げていたからな――こっちの動きをつかんだんだろう。今頃はガウス軍とフェリボを守る軍隊が衝突しているかもしれない」
「あたし、フェリボを透視してみるわ。いいでしょう……?」
とフルートの隣からポポロが言いました。疲れ切って弱っていた彼女も、三日ほどしっかり休んだので、もうずいぶん元気になっていました。宝石のような緑の瞳でフルートを見上げてきます。
フルートは迷う表情になりました。テト国は透視や占いをさえぎる闇の雲でおおわれています。その中へ目を凝らして、遠い場所を透視しようとすれば、ポポロはまたひどく疲れてしまうでしょう。彼女に魔法使いの目を使わせる決心がつきません。
窓辺に立って外を眺めていたセシルは、そっと溜息をつきました。青空には綿雲が浮かび、太陽は緑の木々と色鮮やかな花で埋まった庭を明るく照らしています。この国のどこかで戦争が起きていることなど信じられないような、美しい景色です。オリバンたちは今頃フェリボでどうしているのだろう、と思い、心配でたまらない気持ちを、じっとこらえ続けます。
すると、そこへテトの女王が入ってきました。
「皆、ここにおったな。フェリボから知らせが届いたぞ」
フルートたちはいっせいに椅子から身を乗り出し、セシルも窓際から振り向きました。女王は話し続けます。
「わらわの軍勢は昨夜遅く、フェリボの街に到着した。オリバンと占者殿も一緒じゃ」
テト城には、ロムド城にいるような、遠い仲間と心話で話せる魔法使いがいません。知らせは早鳥が運ぶので、どんなに急いでも都に到着するまでに半日余りかかります。女王が伝えているのは、未明にフェリボから放たれた早鳥の連絡でした。
フルートはまたテーブルの地図を眺めました。フェリボの街の西と南を指で押さえて言います。
「西から近づいているガウス侯の騎兵部隊は陽動だ。フェリボ軍がそっちに気を取られて守備に向かうと、南のガウス川から敵が船でやって来て、守りが手薄になった街を襲撃される。そのあたりのことを、フェリボ候がちゃんとわかってくれるといいんだけれど……」
「それは心配ない。フェリボ候は、わらわの命令に従って、西の街道と南の船着き場の守りを固めた。オリバンと占者殿は、南の船着き場のほうを守るつもりのようじゃ」
そうか、と一同はなんとなく安心しました。
「アクがフェリボに送った兵士って、何人くらいだったっけ?」
とメールが女王に尋ねます。
「五千じゃ。騎兵部隊が二千と、歩兵部隊が三千。今、都から送り込める最大人数じゃ。そこにフェリボ候自身の兵士が二千五百ほどいる。フェリボを守る兵力は、合わせて七千五百じゃ」
「それだけの数で守ってるんなら、フェリボは大丈夫かぁ――」
とメールが溜息まじりに言ったので、ゼンが小突きました。
「残念そうに言うな、馬鹿。フェリボの守りはオリバンたちに任せて、ここでおとなしくしてろ」
ガウス川を下ってくる敵の本隊が、守りをはるかに上回る大部隊だとは、誰も想像することができません。
その時、セシルが、つっ! と小さな悲鳴を上げました。顔をしかめて右手をさすります。
「急に指が痛んだ。なんだ、いったい……?」
と自分の手を見て、目を見張ります。セシルの右手の薬指には指輪がはめられていました。痛んだのはちょうどその指輪がある場所です。緑を帯びた輪にはめ込まれた白い石が、血のような色に変わっています。
一瞬、意味がわからなくて茫然としたセシルは、すぐに、はっと気がつきました。この指輪は、ロムドの白い石の丘を訪ねたときに、賢者のエルフからもらった一対の片割れでした。もうひとつの指輪はオリバンがはめています――。
「オリバンに何事かあった!」
とセシルは叫びました。
「これはエルフがくれた指輪だ! 同じものをオリバンがはめている! 間違いない!」
一同は椅子から飛び上がりました。ゼンやメール、女王がセシルへ駆け寄ります。同じように駆け寄ろうとしたポポロを、フルートは引き止めました。
「魔法使いの目だ、ポポロ! 急いでフェリボの船着き場を透視してくれ!」
ポポロはすぐに、はいっ、と答えました。両手を祈るように組み合わせ、方角を確かめると、はるか彼方を眺めるまなざしになります。部屋の人々はそんな彼女を見守りました。永遠にも思える数分間が過ぎていきます。
すると、ふいにポポロが目を大きく見開きました。
「フェリボの街の南側……川岸と城壁の間が兵士でいっぱいよ! 何千――ううん、一万を超しているわ……!」
「オリバンは!? オリバンはどうしている!?」
とポポロに飛びつこうとしたセシルを、フルートはあわてて止めました。ポポロは集中がとぎれると透視ができなくなってしまうのです。
ポポロはいっそう強く手を握り合わせました。念を込め、闇の雲の隙間から見える景色へ目を凝らします。
「オリバンは戦っているわ……手に握ってるのは聖なる剣よ。闇の怪物と戦っているみたい……」
そこまで言って、ポポロは急に息を飲みました。突然、闇の向こうの景色がはっきり見えたのです。船着き場を埋め尽くす兵士たちは、敵も味方もいっせいに同じ方向を振り向いていました。ユギルも川を指さし、オリバンがそちらを振り向いて驚いた顔をします。ガウス川から巨大な水の柱がいくつも出現してきたのです。柱の上にはガウス軍の船が載っています――。
ポポロは叫びました。
「水魔よ! 川から水魔の大群が現れたわ! ものすごい数――百匹以上もいるわ! 信じられない――!」
水魔! とフルートも叫びました。フルートたちはテト川を下るときに、三匹の水魔に襲われて大苦戦したのです。それが百匹以上もいると聞かされて、寒気さえ覚えます。
「グルールはテト中の水魔を従えているのか! 彼が手に入れた竜の秘宝というのは、どれほどのものなのじゃ!?」
と女王がどなるように言いますが、それに答えられる者はありません。
「おい、やばいぞ! いくらオリバンでも、それだけの数の怪物は相手にできねえだろう!」
とゼンが言いました。すぐに助けに行きたいと思うのですが、今ここにポチとルルがいないので、風の犬で飛んでいくことができません。
セシルは腰の筒へ呼びかけました。
「来い、管狐!」
たちまち巨大な狐が部屋に姿を現します。セシルはその背中に飛び乗りました。管狐でフェリボまで駆けつけようというのです。
それをフルートがまた止めました。
「待て! それじゃ間に合わない!」
「間に合ってみせる! 私もオリバンと戦うのだ!」
とセシルは言い返しました。指輪をはめた右手の薬指が、うずくように痛んでいます。指輪の白い石は血の色に染まったままです。
フルートはあせって言い続けました。
「待てって! 考えさせてくれ! 何か方法がある! 絶対にあるはずなんだ――!」
片手で口元をおおい、必死の顔で考えを巡らせます。
ゼンは、今にも飛び出しそうな管狐を引き止めていました。
「よせ! 部屋をぶちこわして出て行くつもりか!? セシルが怪我するだろうが!」
すると、フルートが顔を上げました。そうか、とつぶやいて、ポポロを振り向きます。
「オリバンたちのところへ魔法を送れるね? 魔法で水魔を倒すんだ!」
ポポロはまた目を見張りました。
「ま……魔法を送り込むことは、できると思うわ。今日の分の魔法を二つ一度に使えば……。でも、あんなにたくさんの水魔をどうやって? 集団を一度に倒す魔法は、稲妻の魔法とか、炎の魔法とか……恐ろしい魔法ばかりよ。オリバンたちまで巻き込んでしまうわ……」
大きな瞳にみるみる涙が盛り上がってきて、こぼれそうになります。
フルートは首を振りました。
「違う、そんな魔法じゃない。水魔はみんな川の中にいるんだろう? それなら、きっと倒せる!」
「どうするのじゃ?」
と女王が尋ねます。
フルートは思い出す目になっていました。
「黄泉の門の戦いのときに、ぼくとポチは涸れ川(かれがわ)の中で水魔に出会った。その時、ポチが水魔を退治したんだよ。あの方法が、きっと使える……。ポポロ、魔法を送り出せ! ガウス川の水を、全部聖水に変えるんだ!!」
力を込めて、フルートはそう言いました――。