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第16巻「賢者たちの戦い」

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第18章 フェリボの戦い

59.開戦

 早朝。

 明るくなっていく景色の中に、フェリボの街が姿を現し始めていました。

 そこは川岸に拓けた古い街でした。周囲を高い石の壁で囲まれ、壁を隔てた南側にガウス川の船着き場があります。川は白い波を立てながら流れていて、今は一隻の船も見当たりません。

 オリバンとユギルは、街中の小高い山の上からその景色を眺めていました。オリバンはいぶし銀の鎧兜を身につけ、左腕に盾を装備しています。ロムドから自分の馬に積んできた愛用の防具です。ユギルのほうは、いつもの灰色の長衣を着て、フードをまぶかに下ろしていました。衣の上を流れる二筋の銀髪が、朝日に輝き始めています。

 彼らの後ろにはフェリボの領主の城がそびえていました。彼らは王都から馬車で二日二晩走り続け、昨夜遅くにここに到着したのです。

 すると、城の中からフェリボの領主がやってきました。顔に深いしわを刻んだ老貴族ですが、鎧兜を身につけて戦支度(いくさじたく)をしています。オリバンたちに話しかける声にも、力強さがありました。

「たった今、斥候から連絡が入りましたぞ、ロムドの皇太子殿。街道の西からガウス侯の騎馬隊が接近しています。数はおよそ二千騎。女王陛下のご連絡の通りでした」

 オリバンは老貴族に向き直りました。

「こちらの迎撃態勢は?」

「フェリボの西の街道に、わしの騎馬隊を配置してあります。数は二千百騎、指揮官はわしの息子です。数の上ではわずかに我が軍が勝っています」

 オリバンはうなずいて、山の上から街の西側を眺めました。城壁の外には畑や野原が広がっていますが、なだらかな丘と森にさえぎられて、フェリボ軍も迫る敵も確認することはできませんでした。

 

 すると、フェリボ候が大真面目な顔になりました。自分よりはるかに背の高いオリバンを見上げて言います。

「女王陛下がロムド国王を訪ねて国を離れたと聞かされたとき、わしは、陛下は何をお考えなのだ! と腹を立てたものでした。たかが夢の話を外国の王に尋ねに行くなど、王にあるまじき愚行だ、とも考えました。まさかそれがロムドに援助を求めるためだったとは、想像もしておりませんでした。しかも、あのグルール・ガウスが陛下に対して兵を起こし、このフェリボに進軍してくるとは……。何もかも予想外のことばかりです。皇太子殿が女王陛下を守って駆けつけてくださらなければ、フェリボや王都は敵の不意打ちを食らって、陥落したことでしょう。心から感謝いたします」

 国の恩人に対して、フェリボ候はとても丁寧な口調でしたが、オリバンはあっさりと答えました。

「私のことはオリバンでいい。それに、テトの救援を決めたのは私ではない。金の石の勇者の一行がテトを助けに行くと言うので、我々はそれに同行してきたのだ。彼らはアキリー女王と共にテト城にいる」

「まこと。あの有名な金の石の勇者たちが駆けつけて来てくれたことも、信じられないような出来事です。どれほど立派な勇者たちなのか、ぜひ実際にお会いしてみたいものです」

 フェリボ候は金の石の勇者を大の大人だと想像しています。

「会えばきっと驚くだろう」

 とオリバンは苦笑して言うと、すぐに話題を変えました。

「先にも言ったとおり、西から来るガウス侯の騎馬隊は先発隊だ。すぐにガウス川を下って本隊がやって来る。これはかなり大規模な部隊だ。これに対する迎撃態勢はどうなっているのだろう?」

「女王陛下が都から五千の兵を派遣してくださいました。そのうち、三千名を船着き場に、残りの二千名をフェリボの城下町に配置してあります。城下町にいるのは騎兵と歩兵の混合部隊です。だが、オリバン殿――こう申し上げては失礼かもしれないが、このガウス川から本隊がやって来るというのは、さすがに信じられませんぞ」

 フェリボ候はそう言って、街の向こうを流れる川を示しました。

「ここからでも目を凝らせばわかりますが、ガウス川の水は赤くにごっています。三日前の大雨のせいで、上流のガウス山から鉄を含む赤い泥が流れ出して、大量の水に運ばれてきているためです。川が非常に荒れている証拠でもあります。ガウス川は普段から流れが激しいので、水かさが増せば、テト川とは比較にならないほどの激流になります。そのために、『ガウスの白い竜が赤い血を流している間は船を出してはならない』という諺(ことわざ)があるほどです。いくらガウス侯の軍勢でも、この増水がおさまるまでは、川を下れるはずがありません」

 けれども、オリバンは首を振りました。

「いいや。ここにいるユギルが、間もなく川からも敵が来ると言っている。彼はロムドの一番占者だ。占いは必ず当たる」

 それを聞いて、フェリボ候は曖昧(あいまい)な表情をしました。やはり信じられないのです。白い波間から赤い水面をのぞかせているガウス川を眺めながら、また言います。

「船着き場が水に半ば沈んでいるのは、おわかりになるでしょうか……? もしも、本当にガウス侯の軍勢が船でやってきたとしても、あそこに船を着けることはできません。いくつもの桟橋が水の下に隠れておりますからな。船底が引っかかって、船は転覆してしまいます。川から敵が来るのは、もうしばらく先のことです。女王軍の部隊を、まず西からの敵に投入するべきでしょう。川の守りは、それからでも遅くはありません」

 説得する口調でしたが、オリバンはまったく応じませんでした。

「兵を今の場所から動かしてはならん。まもなく川からも敵がやって来るのだ」

 と断言します。ユギルのほうは、フードをまぶかに引き下ろし、その陰で目を閉じていました。何かをじっと待っているようにも見えます。

 

 そこへ、街の西の方角から、かすかに銅鑼(どら)の音が聞こえてきました。何度も何度も繰り返し打ち鳴らされています。

 フェリボ候はそちらへ目を向けました。

「戦闘が始まりました――グルール・ガウスが率いる騎馬隊と我が軍が衝突したのです」

 けれども、やはり戦いの様子はここからは見えません。ただ、なだらかな丘の向こうに、薄いもやのようなものが立ち上り始めました。もやは丘の上に広がっていきます。

「あれだな」

 とオリバンは言いました。騎馬隊が戦い始めたので、馬の蹄が砂埃を巻き上げているのです。間もなく、城の中からも伝令の家来が駆けつけてきました。

「報告いたします! 街の西の街道上で、ミラシュ様が率いる騎馬隊が敵の騎馬隊と遭遇、戦闘に入ったと見張り塔から連絡がありました! 敵はガウス侯の騎馬隊と思われます!」

「わかった」

 とフェリボ候が答え、オリバンへまた言いました。

「ミラシュというのが、わしの息子です。息子は、国を守るために訓練された兵士を率いています。相手がガウス侯であっても、決して負けはしませんが、さらに兵を投入すれば、戦闘は早く決着するでしょう」

 そんな言い方で、船着き場の兵を移動させたい意向を伝えますが、オリバンは何も答えませんでした。フェリボ候が、しわだらけの顔に、じれったそうな表情を浮かべます。

 

 すると、突然ユギルが目を開けました。すっと腕を上げ、ガウス川の川上を指さして言います。

「まいりました。ガウス軍の本隊です」

 なに!? と老貴族は思わず声を上げ、オリバンは身を乗り出しました。ユギルが示すほうへ目を凝らします。川は赤い水に白いしぶきを立てて流れ続けています――。

 と、その上流に黒い影が見え始めました。たちまち数が増えていきます。フェリボ候は仰天しました。

「船だ! 本当に下ってきたぞ! そんな馬鹿な!!」

 オリバンは、まだそばにいた伝令にどなりました。

「敵襲を街に知らせろ! 大軍が上陸してくるぞ!」

 伝令が弾かれたように駆け出すと、城の天守閣の上からも、けたたましい鐘の音が響き始めました。見張り塔の兵士も、川からやってくる敵に気がついたのです。

「来い、ユギル!」

 とオリバンは近くに待たせてあった馬に飛び乗りました。同じく馬に飛び乗ったユギルを従えて駆け出します。

 敵の到来を知らせる鐘は、街に鳴り続けていました。川上からは次々と船が流れてきます。あまり数が多いので、増水して広がった川が船に埋め尽くされて、黒くなっていきます。

「すさまじい数だ――! 予想以上だぞ! 急げ!」

 とオリバンはまたどなりました。ユギルと共に馬で山道を駆け下ります。

 川の船着き場でも銅鑼が鳴り出し、兵士たちが川へ駆けつけていました。上陸する敵を船着き場で阻止するのは、三千の女王軍の兵です。

 後に「フェリボの戦い」と呼ばれる激戦が、ついに開始したのでした――。

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