日没が迫ると、ガウス侯が率いる騎兵隊は街道を外れ、宿営のために陣を張りました。空で星がまたたく頃には、大小の天幕が小高い丘を埋め尽くします。
ガウス侯の天幕は丘の頂上に建っていました。候の側近が報告のために訪れると、天幕の中から黒い鳥のようなものが飛び出してきて、夜の中へ消えていきます。側近が驚いて見送ると、ガウス侯から声をかけられました。
「ただのコウモリだ、イタート。気にするな」
ガウス侯はランプに照らされた天幕の中で、折りたたみのテーブルに向かって座り、一人でワインのカップを傾けていました。兜は脱いで足下に置いてあるので、黒い口ひげの品の良い顔がよく見えます。
側近はまだ外を見ながら天幕に入りました。
「コウモリなど、どこから入り込んだのでしょう」
「あれは夜の中を徘徊する生き物だ。闇に紛れて、どこへでも飛んでいく」
ガウス侯のことばはどこか意味ありげでしたが、側近はそれに気づきませんでした。コウモリのことはすぐに忘れて、報告を始めます。
「アズマの町を中継して、都から連絡がありました。殿のおっしゃっていたとおり、城にアキリー女王が帰還したようです。犬や狐の怪物を引き連れた一行が護衛についていたそうで、女王の入城後、都の跳ね橋はすべて揚げられ、城下でいっせいに逮捕が始まったとのこと。サリ候も軍勢と共に監禁された模様です」
すると、ガウス侯が落ち着いた声で言いました。
「怪物を引き連れた一行というのが、金の石の勇者たちだ。そして、逮捕されたのはサリ候だけではない。城下町にいた我々の支援者や城内の味方も、すべて逮捕されている。この後は早鳥での知らせも期待できなくなるだろう。空が見張られているからな」
側近のイタートは思わず絶句しました。彼の主君は、いつも誰より早く都の情勢を把握しています。早鳥で運ばれてくる知らせよりも早いのです。正当なテトの王である自分に、グル神が知らせてくれるのだ、とガウス侯は言いますが、そうと思わなければ理解できないことでした。
「女王は我々の進軍をすでに把握している」
とガウス侯は話し続けました。
「都の迎撃態勢を整えつつあるし、国中の諸侯には援軍の要請を出している。ぐずぐずしていると、情勢は我々の不利になるばかりだ。今夜はここで宿営と言ったが、命令を変更する。三時間の仮眠の後、再び行軍開始。夜を日に継いで進んで、三日で、最初の攻撃地のフェリボに到着するぞ」
強行軍の命令に、イタートは仰天しました。あわてふためいて言います。
「で、ですが、殿――我々が急いでも、川を下ってくる歩兵部隊がそれに追いつかないでしょう。五日後に合流して、フェリボを陥落させる作戦になっていたわけですから。我々だけでフェリボに攻撃を仕掛ければ、本隊の到着までに多大な被害が出ます」
「本隊には明朝の日の出と共に船を出すように命じた。彼らも、我々と同じ三日後にフェリボに到着する」
とガウス侯が答えたので、イタートはまた驚きました。いつの間にそんな命令を? と考えます。彼らが今いる場所と、川上に集結している本隊の間には、早鳥でも一日以上かかる距離が横たわっているのです。
けれども、すぐにイタートは納得しました。彼の主君はグル神に守られています。はるか遠い場所にいる本隊にも、神の力で命令を伝えることができるのに違いありません。確かめるように、こう言います。
「雨が上がって間もないので、ガウス川はまだ荒れております。ですが、神のご加護で、本隊は無事に到着できるのでございますね?」
「そうだ。ガウス川は彼らを安全にフェリボまで運ぶ。――時間が惜しい。全軍に三時間後の出発を伝えろ」
「承知いたしました、殿」
とイタートは言って、すぐに天幕から出ていきました。ガウス侯は、また一人きりになります。
すると、候はワインのカップをテーブルに置きました。側近の前では落ち着き払っていた顔が、いまいましそうな表情を浮かべます。
「女王が城に戻っただけでも誤算だったのに、私に味方する者をことごとく見つけ出して逮捕するとはな。金の石の勇者を甘く見たつもりはなかったが、それでも過小評価していたということか……。となると、私が北からではなく南から現れることも読まれているのだろうか。まったくあなどれん」
ガウス侯は腕組みして、じっと考え込み、やがて椅子から立ち上がりました。天幕の片隅へ行き、そこに置かれた大きな木箱にかがみ込みます。木箱は全体に立派な彫刻が施され、さらに刺繍をした布がかけられていました。
「目覚めろ。またおまえの力が必要だ――」
と候が箱に向かって命じると、風もないのにランプの火が急に揺らめき、光と影が天幕の中で入り混じり始めました。かたかたかた、と箱が小刻みに動き出します。
「来い!」
ガウス侯が言ったとたん、刺繍の布がひとりでに吹き飛びました。箱の蓋が音を立てて開きます。
また静かになった箱の中をのぞき込んで、ガウス侯は、にんまりとほくそえみました――。