ガウス川を!? と女王と大臣たちは驚きました。口々にフルートへ言います。
「それは無理じゃ! ガウス川はテト川を上回る急流なのじゃ! この雨で荒れていて、船はとても使えぬ!」
「しかも、数千の歩兵を運ぶだけの船を、どうやって準備するというのだ。何百隻も必要になるぞ」
「そうだ。筏(いかだ)ならば簡単に作れるが、ガウス川は筏で下れるような川ではないからな」
これだから子どもは……と、あきれた表情をしている大臣たちへ、フルートは言いました。
「ガウス侯の領地には鉄が採れる山があるんでしたよね? その鉄を運ぶ船があるんじゃないですか? それを借り上げて使えば、歩兵の大軍を一気に運ぶことができるでしょう」
大臣たちは、たちまちことばに詰まりました。フルートの言うとおり、ガウス川には精製した鉄を運ぶ船がたくさんあったのです。
けれども、女王は言い続けました。
「確かに、重い鉄を運ぶ船ならば、大勢の兵も運べるじゃろう。だが、今も言うたが、雨で川はまだ荒れておるぞ。川が治まるまでは、船はとても出せぬ」
「でも、ぼくたちは増水したテト川を下ってきた」
とフルートは言いました。きっぱりした口調です。
「ぼくたちにできたことならば、きっと敵だってやるはずだ。ガウス侯はできるだけ早く都を落とそうと考えている。時間がたてばたつほど、国中から援軍が都に駆けつけてくるんだからな。だとしたら、一番近い援軍がいるフェリボを一気にたたいて、その勢いで都に攻め上がってくるのが一番効率的なんだ」
フルートがあまり確信を込めて言うので、セシルが聞き返しました。
「根拠は何だ、フルート? そこまで言い切るからには、何か理由があるのだろう」
「アクも大臣もみんな、南から敵は来ないと思い込んでいるからだよ。そんなに当然に思えることならば、その裏もかきやすいはずだ。それに何より、ユギルさんが警告している。ユギルさんの占いは、いつだって絶対に当たっていくんだ」
揺らぐことのないフルートのことばに、銀髪の占者は深く一礼しました。
「ご信頼を感謝いたします……。闇の雲に邪魔されているために、未来をはっきりと告げることはできないのですが、テトに入って以来ずっと、不吉な予感が続いておりました。それが今、勇者殿がガウス侯の行動を推理したとたんに、すっと引いていったのです。おそらく勇者殿のおっしゃるとおりでございましょう。北や西へ備えをすれば、ガウス侯に裏をかかれて攻め込まれ、都は血みどろの戦場となってしまいます。ですが、南への守りを固めれば、敵の襲撃を食い止めることができるでしょう。フェリボへ援軍をお送りください、女王陛下。敵の本隊がガウス川を下ってまいります」
そんなまさか……と大臣たちはまだ半信半疑でいましたが、女王はすぐに立ち上がって言いました。
「ここにいるのは大陸随一の占者と金の石の勇者の一行じゃ。彼らのことばを疑ってはならぬ。ただちにフェリボ候へ早鳥を。グルールはフェリボを襲ってくる。都からも出撃の準備じゃ!」
女王の命令を受けて、大臣たちはあわてて部屋を飛び出していきました。会議室には女王とフルートたちだけが残ります。
すると、ずっと普通の犬のふりをしていたポチが、声を潜めて言いました。
「ワン、今出ていった大臣の中で、黄色い上着に白い帯の人がいましたよね? あの人はガウス侯と通じてます。すぐに逮捕してください」
「法務大臣が!? まさか――!」
と女王が驚くと、メールが言いました。
「ポチは人の考えてることが匂いでわかるから、裏切り者はすぐ見抜けるんだよ。ガウス侯にこっちの作戦を連絡されないように、早く法務大臣を逮捕しなよ」
女王は真っ青になって唇を震わせると、すぐに、わかった、とうなずきました。城の衛兵を大声で呼んで廊下に出て行きます。
フルートたちは部屋の中で話し続けました。
「城内にも敵の手の者がかなり入り込んでいるようだな。こんな状況ではまともに戦えんぞ」
とオリバンが難しい顔をすると、ポチが言いました。
「ワン、ぼくが調べてみます。法務大臣が逮捕されれば、ガウス侯に協力している人間は、次は自分の番じゃないかとびくびくし始めるから、匂いですぐにわかります」
すると、ルルも言いました。
「都は橋を揚げて閉鎖しているから、敵との連絡には鳥を使うはずよね。私は風の犬になって、空から鳥の動きを見張るわ」
「それはいいな。城からの知らせを運ぶ早鳥は、いつも決まった場所から放たれる。それ以外の場所から、脚に書状をつけた鳥が放たれたら、それは怪しい知らせだ」
とセシルが賛同します。
フルートはまだ地図を眺めていました。真剣な声で言います。
「ガウス侯は闇の怪物も従えている。ぼくたちがテト川を下るときにも、水魔を送り込んできたからな……。ガウス侯の騎馬隊と本隊だけでなく、闇の怪物も襲ってくるかもしれない。ぼくもフェリボに行ったほうがいいみたいだ」
そう話すフルートは、右手にペンダントを握りしめていました。鎖は切れてしまっていますが、透かし彫りの真ん中で聖なる石が輝いています。
すると、ポポロがフルートに飛びつきました。
「あたしも……! あたしも一緒に行くわ、フルート!」
フルートは首を振りました。
「君は休まなくちゃ。ここに着くまでにずいぶん無理をさせたからね。しっかり休んで、元気にならなくちゃ」
ポポロは土気色の顔をしていました。ひどくだるそうな様子で、やっと会議の席に着いていたのです。
ところが彼女は絶対に承知しませんでした。フルートの腕にしがみついて言い張ります。
「嫌よ、絶対に残らないわ……! あたしもフルートとフェリボに行く!」
ポポロは泣いていませんでした。緑の瞳を燃えるように輝かせて、ひしとフルートを見つめています。腕に押しつけられた胸の柔らかな感触に、フルートが思わず顔を赤らめます。
その様子を見て、オリバンが言いました。
「フェリボには私が行く。おまえたちは城で休養を取れ」
「そんな、オリバン――!」
「あたいたちに城で留守番しろって言うのかい!?」
とフルートやメールが声を上げると、馬鹿者! とオリバンに叱られました。
「留守番ではない。フェリボが突破されれば、ガウス軍は都に押し寄せて来るのだぞ。しっかり休んで次の戦闘に備えるのは戦士の義務だ!」
未来のロムド王のことばには、有無を言わせない迫力があります。フルートたちが思わず口をつぐむと、セシルが言いました。
「私にまで城に残れと言うのか、オリバン? 私はフェリボに同行してかまわないのだろう?」
「いや、あなたもだ。フェリボには私とユギルで行く」
「何故だ? 私だって軍人だぞ。役に立つはずだ」
とセシルが食い下がると、ユギルが口をはさみました。
「セシル様は城にお残りください。そして、後を守っていただきたく存じます――」
静かに言いながら、じっとセシルを見つめます。彼女のほうでも、その視線の意味に気がつきました。ユギルはセシルに、城に残ってフルートを危険な運命から守ってくれと言っているのです。
「わかった」
とセシルもしぶしぶ承知します。
そこへ女王が戻ってきました。
「法務大臣は逮捕した。だが、わらわに忠誠を誓っているように見せて、裏でグルールとつながっている者は、他にもいるだろう。それをどうやって見つけるかが問題じゃ」
「ワン、ぼくがお手伝いしますよ」
「私も空から怪しい早鳥を見張ってあげるわ」
と二匹の犬たちが言いました。
「私とユギルは、ガウス軍の迎撃隊に加わる。テトの兵に、私たちの身元を保証してほしい」
とオリバンも言い、なんと! と女王を感激させます。
慌ただしく動き出した部屋の中で、ポポロはまだフルートにしがみついていました。
「行かないよ、ポポロ」
とフルートは困ったように言いました。
「君はちゃんと休養しなくちゃ。そばにいてあげるから、もう休もう」
すると、そんなフルートをゼンが小突きました。
「休まなくちゃいけねえのは、おまえも同じだぞ。あの荒れたテト川を下ってきたんだからな。平気なような気がしても、実際にはかなり疲れてるんだ。二人とも、もう寝ろ」
「なんだったら、二人にひとつのベッドを準備してもらおうか?」
とメールがからかって、真っ赤になったフルートからどなられます。
けれども、ポポロはフルートの腕を放そうとしませんでした。必死で抱きしめるのに、それでもその腕をすり抜けて、フルートがどこかへ行ってしまいそうな気がするのです。あの優しい微笑を浮かべながら――。
「行かせない……絶対に行かせないから……」
フルートの腕に額を押し当てて、ポポロはそうつぶやいていました。