ポポロは悲鳴を上げました。兜が外れたフルートの顔を、敵のナイフが切り裂いたのです。左顎と首の境目の傷から鮮血が吹き出して、フルートが倒れます。
そこへ男が飛びかかりました。小柄なフルートに馬乗りになって、またナイフを振り上げます。とどめを刺そうというのです。オリバンがどなりました。
「逃げろ、フルート! ぐずぐずするな!」
すると、ユギルが叫びました。
「勇者殿は金の石をお持ちではありません!」
占者が指さした石畳の上に、金のペンダントが落ちていました。フルートは仲間を守るためにペンダントを鎧の外に引き出していました。敵にしがみつかれて馬から落ちた拍子に、鎖が切れて飛んでいってしまったのです。
フルート! とポポロはまた悲鳴を上げました。金の石がなくては、フルートの傷は治りません。
すると、フルートが男を蹴飛ばしました。男をはねのけ、飛び起きて身構えます。――金の石を取りに行こうとはしません。顔の傷から血を流しながら、剣を握り直して盾を構えます。後ろにかばっているのは、馬から落ちて動けなくなっているテトの女王です。金の鎧が流れる血に染まっていきます。
ポポロは無我夢中でユギルの馬から飛び下りました。道の上に転がっているペンダントへ駆け出します。
それを見て、敵兵がいっせいに襲いかかってきました。女王を守るフルートへ、彼らに近い場所へ走ってくるポポロへ、剣を振り上げて走っていきます。
「こんにゃろう!」
ゼンは馬の上でて弓を構えました。百発百中の矢を、ポポロに迫る敵へ連射します。兵士たちの悲鳴が響く中を、ポポロは走り続けました。勢いあまってつんのめり、転びそうになりながらペンダントを拾い上げます。
「急げ!」
とセシルが叫びました。オリバンとセシルとユギルは、敵兵を追い散らすので手一杯になっていました。フルートと女王の元に駆けつけられなかったのです。
フルートの鎧はさらに紅くなっていました。おびただしい血の量ですが、それでもフルートは女王の前から動こうとしません。その目の前には、ナイフを握った男がいました。女王の命を奪おうと、隙を狙い続けています。
と、男が動きました。ナイフを突き出し、フルートの横をすり抜けようとします。フルートは剣でナイフを弾き返し、とたんにふらつきました。出血が多すぎて、目眩に襲われたのです。すると、男が足払いをかけました。ガシャン、と音を立ててフルートがひっくり返ります。
それを飛び越えて、男は女王へ襲いかかりました。恐怖に目を見開く女王へ切りつけます。
ところが、とたんに男も地面に倒れました。片脚を後ろからつかまれたのです。金の籠手をつけた手が、彼の足首を握っています。
男は振り向き、フルートをにらみつけました。フルートのほうは顔を歪めて目を閉じています。また目眩がして、目を開けていられなくなったのです。男はフルートの眉間にナイフを突き刺そうとしました。確実に相手の息の根を停められる急所です。
すると、男の背中に何かが勢いよくぶつかってきました。ふいを突かれて男がよろめくと、今度はフルートに飛びついていきます。それはポポロでした。傷ついたフルートをかばうように抱きしめます。
「ポポロ!?」
フルートは、ぎょっと目を開け、次の瞬間、彼女を抱いて体を反転させました。男がまた切りかかってきたのです。ナイフが鎧に弾かれます。
ポポロの握る金の石は、フルートにまだ触れていませんでした。ポポロが急いで押し当てようとすると、それより早くフルートは跳ね起き、敵に飛びかかっていきました。まだ傷から血を流しながら、剣を振り上げ、敵のナイフを弾き飛ばします。
武器がなくなった男は、舌打ちすると、すぐにその場から逃げ出しました。混戦の中をすり抜けて、姿をくらまそうとします――。
すると、そこへ白い幻のような獣が飛んできました。ウォン、と鳴きながら男に追いつき、巨大な口にくわえて家の壁にたたきつけます。風の犬になったルルでした。雨が弱まり、霧雨のようになったので、ようやく変身できたのです。
同様に風の犬になったポチが飛んできて、ルルに並びました。ふんふんと鼻を鳴らして言います。
「ワン、こいつ、テト川で船を襲ってきた刺客だ。同じ匂いがする」
「性懲りもなく、またアクを狙ってきたのね。二度とこんな真似をしないように、こらしめてやるわ」
とルルは言って空に舞い上がり、急降下してきました。ひゅっ、と音をたてて男の真上で身をひるがえすと、男の両手の間をすり抜けます。とたんに鮮血が散って、男が悲鳴を上げました。ルルに両手首の腱(けん)を切られたのです。刺客は手が動かせなくなって逃げ出しました。その後ろにルルが切り倒した街路樹が倒れていきます。
それを見て、兵士たちは肝を潰しました。ポチとルルが牙をむきだしてほえると、総崩れになって、我先に大通りを逃げていきます。
ポポロは泣きながらフルートに抱きついていました。金のペンダントを押し当てると、フルートの顎の傷が跡形もなく消えていきます。
自分の傷が癒えると、フルートはすぐにペンダントを握って女王へ駆けつけました。女王はまだ道の上に座り込んだままでいました。走る馬から落馬したときに、脚の骨を折って動けなくなっていたのです。金の石を押し当てると、こちらもすぐに元気になって立ち上がります。
「ひどい怪我を負わせてすまなんだ、フルート。守ってくれてありがとう――」
女王がフルートに礼を言ったのは、これが初めてのことでした。フルートは、にこりと笑いました。いつもと変わらない笑顔ですが、顎と鎧は流れ出した血で真っ赤に染まっています。
そんな彼らに、オリバンが言いました。
「安心するには早い。すぐに次の敵が来る。城へ急がんと」
すると、二匹の風の犬たちが口々に言いました。
「ワン、雨がやんだから、今度はぼくたちが先払いをできますよ」
「敵はみんな追い払ってやるわ」
「よし、行こう、みんな! 一気に入城するんだ!」
とフルートは言うと、落ちていた兜をかぶり直して、また馬に飛び乗りました。
「女王陛下は、今度はわたくしの馬にお乗りください」
とユギルが言いました。ポポロが泣き続けていて、フルートから離れそうになかったからです。
「さあ、行くわよ!」
とルルが言って、うなりを上げながら飛び始めました。ポチがすぐにそれに並び、城下町の大通りをつむじ風になって突き進みます。通りの店先に広げられた日傘が風に舞い上がり、看板が倒れ、物が吹き飛ばされる中を、四頭の馬が駆けていきます。
やがて、大通りは上り坂になり、丘の上にそびえる城壁と、城の丸屋根が行く手に見えてきました。そこを一気に駆け上がっていくと、鉄の格子戸の下りた大門が現れます。門の前には馬に乗った軍勢が並んでいました。
「兜の房は青と黄色だぜ!」
と目の良いゼンが言いました。
「青はわらわの近衛兵だが、黄色い房はグルール派のサリ候の私兵じゃ!」
と女王が答えます。ここにも敵が待ちかまえていたのです。
フルートが言いました。
「ポチ、ルル、軍勢を吹き飛ばせ! ゼン、門を開けろ!」
「通用門のほうか?」
とゼンは聞き返しました。格子戸で閉ざされた大門の横には、人一人が通り抜けられる幅の通用門があって、こちらには木の扉が閉まっていたのです。
すると、フルートは首を振りました。
「違う、大門のほうだ! 女王が城に帰ってきたんだ! 堂々と正面から入城する!」
ゼンはにやりとすると、自分の前で手綱を握るメールに言いました。
「城壁の上にも兵隊が大勢待ち構えてる。充分気をつけろよ」
「あいよ!」
メールは張り切って答えると、馬の脇腹を力一杯蹴りました。馬が門に向かって疾走を始めます。
風の犬のポチとルルも城門へ突進しました。ルルは馬に乗った兵士たちをなぎ倒し、ポチは上昇して城壁の上から射かけられた矢を吹き飛ばします。その間にメールの馬が門にたどり着きました。ゼンが巨大な格子戸に飛びついて手をかけます。
門の上の隙間や格子戸の間から、城の衛兵が攻撃を始めました。矢や大きな石が雨あられと飛んできます。メールは手を差し上げて花を呼びました。花の壁を作って、ゼンと自分を守ります。
すると、女王がユギルの後ろから身を乗り出して叫びました。
「わらわがわからぬのか、衛兵!? 攻撃をやめよ!」
その声は城壁の上の兵士たちに届きました。見張りが目を凝らし、女王陛下!? と声を上げたのが聞こえてきます。明らかな動揺が城壁の上の兵士たちに広がり、矢の攻撃がやみます。
ところが、黄色い房の軍勢から別の声が上がりました。
「あれは女王陛下ではない! 敵が仕立てた偽物だぞ!」
風にも飛ばされずに踏みとどまった一団が、フルートたち目がけて疾走してきます。フルートとオリバンとセシルは女王の前に飛び出しました。馬の上から剣をふるって、敵の攻撃を防ぎます。ポチとルルもやってきて、敵兵を馬ごと吹き飛ばします。
女王がまた声を張り上げました。
「わらわは本物のアキリー二世じゃ! わらわの臣は、主君も見分けられぬ愚か者か!? 早う開門せよ!」
衛兵たちは恐れおののきました。どれほどみすぼらしい服を着ていても、その声と口調は、紛れもなく彼らの女王のものだったのです。いっせいに弓を下ろしてしまいます。
衛兵に続いて、青い房の近衛兵たちも攻撃をやめました。まだ女王たちに襲いかかろうとしているサリ候の兵士の前に飛び出し、剣をかざして叫びます。
「攻撃をやめろ!」
「あれは本物の陛下だ!」
近衛兵が敵を押し返していく中を、女王は門の前へ進んでいきました。馬の上でしゃんと背筋を伸ばし、頭を上げて呼びかけます。
「女王の帰還じゃ! 開門せよ!」
「か――開門!」
と城壁の上から返事がありました。急げ、門を開けるんだ、とあわてふためく兵士の声が、城壁の内側から聞こえてきます。
「ったく。遅ぇってんだよ!」
とゼンは言って、ぐっと力を込めました。鉄の格子戸を引き上げ、持ち上げていきます。その様子に衛兵たちは仰天しました。城の正門に取りつけられた格子戸は重さが何トンもあって、男が数人がかりで巻き上げ機を回さなければ上がらないものだったのです。
すると、ゼンがどなりました。
「なにぼさっと見てやがる! 早くこれを上げろよ! 俺の身長じゃ、馬が通れるくらいには上げられねえんだからな!」
衛兵が我に返り、巻き上げ機に飛びついて動かし始めます。
格子戸が上がり、正門が開きました。門の向こうに広がるのは、緑の庭園と大きな丸屋根の王宮です。
そこに向かって、ユギルは馬を進めました。後ろにはテトの女王が乗っています。オリバンとセシル、フルートとポポロの馬がそれに続き、ゼンとメールが徒歩でその後についていきます。風の犬のポチとルルは城壁の上を飛び越えます。
城の衛兵たちは、この状況にまだ、あたふたしていました。王宮へ知らせに走る者、女王へ駆け寄ってくる者、状況がよく飲み込めなくてぽかんとしている者、さまざまです。城壁の外からは近衛兵が敵と戦う音もまだ聞こえてきます。
すると、オリバンが声を張り上げました。
「テトの女王の入城だ! 出迎えよ!」
その声に弾かれたように、衛兵がたちまち集まってきました。城壁の上で守っていた者も、駆け下りてきて正門の内側に整列します。
剣を抜き、地面に立てた姿で頭を垂れる衛兵の間を、女王は進んでいきました。行く手の王宮からは、城の家臣たちが血相を変えて駆けつけてきます。彼らの真ん中でユギルが馬を停めると、女王は言いました。
「グルール・ガウスが兵を起こして謀反を企み、この城目ざして進軍を始めておる! 跳ね橋をすべて上げて都を閉じよ! 城下にいるガウス派の人間は一人残らず逮捕! 応戦の準備じゃ!!」
女王の命令に、衛兵や家臣はまた驚きました。ガウス侯の謀反の知らせは、この城にはまだ届いていなかったのです。
けれども、城では女王の命令が絶対でした。すぐに数人の衛兵が城壁に駆け上がり、銅鑼(どら)を打ち鳴らし始めます。別の衛兵は鐘楼(しょうろう)に走って、跳ね橋を上げる合図を橋に送ります。それは戦の始まりを告げる音でした。ジャーン、ジャーン、ガラーンガラーン、と都中に響き渡ります。
女王の帰還と共に、テトの内戦の火蓋は切って落とされたのでした――。