王都マヴィカレの宿の部屋で、仲間たちはフルートたちを案じていました。
「いっこうにやまないな……彼らはどうしているだろう」
とセシルが窓の外の雨を見ながら言います。
「かなり強く降ってるからな。どこかで雨宿りしてるといいんだけどよ」
とゼンが低く言いました。さすがの彼も今日はあまり楽観的なことを言いません。床の上にあぐらをかいて、ずっと窓の外を眺めています。
すると、メールが言いました。
「あたいは、フルートたちがこっちに向かってるような気がするよ。急がなくちゃいけないって、わかってるんだもん。雨宿りなんかしてないだろ、きっと」
「そうだな。無理をしていなければ良いのだが」
とオリバンも心配そうに言います。
ユギルはそんな皇太子を見つめていました。ユギルも、朝目覚めたときからずっと、ひどい胸騒ぎがしています。オリバンを通じて、これから起きることをなんとか読み取ろうとします。
すると、ふいにオリバンの右手が紅く染まって見えました。腰に下げた大剣も血の色に変わります。ユギルは立ち上がって叫びました。
「戦いが起きます! 人と斬り合うことになります!」
一同はぎょっとしました。それは――!? と占者に聞き返そうとしたとき、床に寝そべっていたルルも跳ね起きて叫びました。
「ポポロよ! 助けを呼んでいるわ!」
仲間たちはいっせいにルルに駆け寄りました。
「あいつらはどこだ!?」
とゼンが尋ねます。
ルルは二言、三言、見えないポポロとことばを交わすと、ぶるっと大きく身震いをしました。
「テト川よ! あの子たち、船で下って来ているの! 船を岸に着けられないって――!」
「馬鹿な! この激しい雨の中をか!?」
とオリバンがどなります。
ルルがさらにポポロと話してから、皆に言いました。
「ガウス侯がとうとう進軍をはじめたんですって! しかも、ポポロは魔法を使い切っちゃってるわ!」
とたんにゼンが駆け出しました。部屋の出口へ走りながら仲間たちに呼びかけます。
「船着き場に行くぞ! あいつらを助けるんだ!」
そこで一同は宿の外へ飛び出しました。たちまち強い雨が彼らをたたき始めます。
「で――でも、船着き場は二つあるんだよ! フルートたちの船がどっちを通るか、わかんないじゃないのさ!」
とメールが言いました。前の日にゼンと都に出て、船着き場の場所も確かめていたのです。テト川はマヴィカレの手前で二またに分かれ、都の北と南を流れて、都の東側でまた合流していました。行き先を間違えば、フルートたちの船は反対側を通ってしまうかもしれないのです。
すると、セシルが言いました。
「きっと、彼らが通るのは私たちが下りた船着き場のほうだ。あそこは都を守るために後から作られた、人工的な川だった。流れがまっすぐだから、船はそこに来るはずだ」
セシルの故郷のメイには、テトと同じように大きな川がありました。女騎士団を率いて川辺に駐屯したこともあるので、すぐに見当がついたのです。
そこで一行は北の船着き場へ向かって駆け出しました。宿に預けてある馬を引き出す余裕もありません。全速力で都の門へ向かいます。
雨の城下町に人の姿はまばらでした。濡れた石畳の通りに、集団になって走る彼らの足音だけが、慌ただしく響きます。
ところが、じきに通りに人影が増え始めました。距離はあけていますが、彼らと同じ方向へ走っていきます。それを振り向いて、ユギルが言いました。
「追っ手です。船着き場までついてまいりますね」
「しかたあるまい。邪魔をするようであれば、遠慮なく斬る」
とオリバンが答えて腰の剣に手をかけます――。
一行は街の通りを駆け抜けて、とうとう都の城壁に到着しました。入るときには税関を通らなくてはなりませんでしたが、都を出るには無審査です。血相を変えて出口から飛び出していく一行を、槍を持った二人の衛兵が驚いたように見送ります。
雨の中でも、跳ね橋を通って都に出入りする人々はいましたが、増水した船着き場に人の姿はありませんでした。木の桟橋が半分以上沈み、その上を茶色い川の水が勢いよく流れています。
「あいつらは!? どこなんだ!?」
とゼンがまた尋ねました。人がいないので、ルルも遠慮なく答えます。
「まだ都は見えてこない、って言ってるわ! まだよ!」
そこで彼らは川上を眺めました。水はとどろくような音を立てて押し寄せてきます。
「ここを流れてくるのか……。どうやって止めればいいんだ?」
とセシルが茫然とつぶやきました。うねり荒れ狂う川は、まるでのたうち回る巨大な竜のようです。
メールは歯ぎしりをしていました。泳ぎの得意な彼女ですが、川の流れが激しすぎて、とても泳げません。
すると、ゼンが言いました。
「メール、花を呼べ! ルルはこの雨で風の犬になれねえんだ! 花鳥で助けに行くぞ!」
そこで、メールは両手を上げて呼びかけました。
「花! 花たち! 集まってきておくれ――!」
土砂降りの雨の中に、花使いの姫の声が響きます。
ところが、空を飛んで集まってきた花はあまり多くありませんでした。そのあたりに咲いているのは小さな花ばかりなので、強すぎる雨にたたかれて、途中で地面に落ちてしまうのです。
「ダメだよ! 少なすぎて花鳥が作れない!」
とメールが半泣きになって言いました。頭上を飛ぶ花では、人ひとりを乗せることもできません。
そこへ追っ手が駆けつけてきました。七、八人の男たちですが、空飛ぶ花を見ると、いっせいに向かってきました。魔女だぞ! 逃がすな! と言い合う声が聞こえます。
オリバンとセシルは即座に剣を抜きました。
「追っ手は我々に任せろ!」
「フルートたちを助ける方法を早く考えるんだ!」
と言い残して、追っ手へ駆け出します。たちまち、剣と剣がぶつかり合う激しい音が響き始めます。
「助ける方法を考えろって言われてもよ……」
とゼンは困惑しました。彼の単純な頭では、この状況を切り抜ける方法は浮かんできません。
すると、ユギルが言いました。
「ルル様、ポポロ様を通じて勇者殿をお呼びください。こちらの状況を勇者殿に伝えるのです」
あっ、とゼンとメールは声を上げました。確かに、フルートならば名案を思いついてくれそうです。
「ポポロ! 花鳥を作るには花が少なすぎるわ! どうすればいいか、フルートに聞いて!」
とルルが空中へ叫びます。
一、二分の沈黙の後、ポポロからの返事がありました。ルルが仲間たちに伝えます。
「花で綱を作れ、ってフルートが言っているって……。それに船をつなぐから、って」
よっしゃ! とゼンが拳を握り、メールはまた両手を上げました。
「花たち! 丈夫な綱を作っとくれ!」
花がメールの周りで渦を巻き、花首の下から蔓を伸ばして絡み合いました。より合わさって、長いロープになっていきます。
ゼンは地面に落ちたロープの端を取り上げました。足元から適当な石を拾って縛りつけ、川のすぐ際まで駆けて行って、ぶんぶんと振り回し始めます。
「都が見えてきたってポポロが――! もうすぐ来るわよ!」
とルルが言ったので、仲間たちは川上へ目を凝らしました。茶色の濁流に船の影を見つけようとします。
ところが、その様子にオリバンやセシルと戦っていた追っ手が気がつきました。何かが来るぞ! と叫んで、二人が川へ駆け出します。
「行かせん!」
とオリバンはどなって、行く手をふさいでいた男に剣を振り下ろしました。血しぶきが飛び、男が悲鳴を上げて倒れます。
「オリバン!」
とセシルは思わず言いました。ここは外国です。いくら理由があっても、一国の皇太子や婚約者がその国の人間を切り殺せば、国家間の問題に発展しかねないので、彼らは手加減をして戦っていたのです。
「大丈夫だ。急所は外した」
とオリバンはぶっきらぼうに答え、それ以上は話せなくなりました。仲間が倒されたのを見た追っ手たちが、前以上の激しさで切りかかってきたからです。セシルも応戦するので手一杯になってしまいました。川に向かった二人を追いかけることができません。
すると、ユギルが、すっとゼンたちから離れました。迫ってくる二人の追っ手へ、単身で歩き出します。
先を行く男が剣を振り上げ、大声を上げながらユギルに切りかかってきました。鎧兜はつけていませんが、筋骨たくましい体つきは紛れもなく軍人のものです。
ところが、男の目の前で、ユギルがするりと身をかわしました。剣を空振りして前のめりになった男の背後に回り、その首の後ろへ肘打ちを食らわせます。とたんに、男はその場に倒れて動かなくなりました。気を失ったのです。
「こいつ――!」
もう一人の追っ手がユギルへ剣を振り下ろしました。それと同時に腰からナイフを抜き、剣をかわしたユギルを横から突き刺そうとします。
ところが、ユギルはその動きも見切っていました。身を沈めて剣をかわしながら、ナイフを握る敵の左腕を捕まえ、手首に手刀を振り下ろします。男がナイフを取り落とすと、跳ね起きて男の顎に頭突きを食らわせ、さらに腹に肘打ちをめり込ませます。その男も、一声うめくと、ばったりその場に倒れました。もう起き上がってきません。
その様子を見ていたルルが目を丸くしました。
「ユギルさんは占者なのに、どうしてそんなに強いのよ?」
「占者だからです。敵が動く前にその動きが読めるので、かわすのも受けるのも楽でございますから」
とユギルは言って、頭突きした拍子に脱げたフードをかぶり直しました。落ち着き払っていて、なんだかすましているようにさえ見えます。
「楽って……そんなまさか」
とルルは思わずつぶやきました。動きが先読みできることと、それに応戦できることは別物のはずです。
すると、ユギルが川上へ目を向けて声を上げました。
「いらっしゃいました。あれです!」
占者が指さす先に、流れてくる船が見え始めていました――。