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第16巻「賢者たちの戦い」

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48.小屋の中

 夕暮れが迫る街道を、二頭の馬が駆け続けていました。背中に乗せているのは、フルートとテトの女王とポチ、そしてポポロです。雲におおわれた暗い空を、夕焼けがぼんやりと赤く染めています。

 街道に、もう人影はありませんでした。かたわらを流れるテト川にも船は見当たりません。ただ、二頭の馬だけが蹄の音を響かせて走っています。

 すると、急に一頭が遅れ始めました。鹿毛(かげ)の雌馬です。速度を落として並足になり、やがて、ぴたりと立ち止まってしまいます。

「ポポロ!?」

 フルートが驚いて引き返すと、ポポロは馬の首にしがみつき、たてがみに顔を伏せてあえいでいました。その体が大きく揺らいで、ずるりと横滑りします。

「危ない!」

 フルートは馬から飛び下りました。ポポロの馬の横で手を広げて、落ちてきた少女を受け止めます。

「ポポロ! ポポロ――!」

 華奢な体を抱きしめて必死に呼びかけると、少女はすぐに目を開けました。のぞき込むフルートを不思議そうに見返し、すぐに我に返ると、今度は真っ赤になります。

「やだ、ぼんやりしちゃったわ……ごめんなさい」

 けれども、少女は自分で立ち上がることができませんでした。フルートの腕に抱かれたまま、ぐったりとしています。

「だいぶ疲れているようじゃな」

 とフルートの馬の上から女王が言いました。無理はありません。船着き場のある街からここまで、ほとんど一日中、ずっと馬を走らせてきたのです。女王自身も、体中がすっかりこわばって、悲鳴を上げたいほど節々が痛んでいました。

「ごめん、ポポロ。急ぎすぎた」

 とフルートは言うと、ポチを振り向きました。

「頼む。今夜一晩過ごせそうなところを探してきてくれ」

「ワン、わかりました」

 ポチが籠から飛び下り、次の瞬間、巨大な風の獣に変身して街道の外へ飛んでいきました。初めて風の犬を見た女王が、びっくり仰天した顔になります。

 すると、ポポロが言いました。

「違うの……。あたし、ずっと透視しながら走っていたのよ。だから、くたびれて、ぼうっとしちゃったの……。迷惑かけて、ごめんなさい……」

 フルートは何も言えなくなりました。疾走する馬に乗っているだけでも大変なのに、彼女は魔法使いの目で周囲の見張りも続けてくれていたのです。透視はひどく疲れることだというのに。

 フルートは、ぎゅっとポポロを抱きしめました。

「ありがとう。気がつかなくてごめんね……。今日はもう休もう」

 ポポロがうなずいて目を閉じます。

 

 やがて、ポチが街道脇の麦畑に建物を見つけて戻ってきました。行ってみると、農具や麦わらをしまっておくための小屋で、中にも周囲にも人はいません。彼らは軒下に馬をつないで中に入ると、ポポロをわらの上に寝かせました。フルートが荷袋から携帯食と水を出して全員に配りましたが、ポポロはほとんど食べずに、水を少し飲んだだけで、すぐに眠ってしまいました。

「ワン、本当に、ずいぶん疲れてる感じですね。闇の雲のせいでよく見えないのに、がんばって見張っていたんだろうなぁ」

 とポチが言いました。

 フルートは自分のマントをポポロにかけながら、こんなに疲れ切るほど透視するなんて、どうしたんだろう……と考えました。まさか、彼女がフルートを死の運命から守ろうとして、必死で周囲を警戒していたのだ、とは思いつきません。

 小屋の外では日が沈み、夕焼けが急速に薄れていくところでした。気温も下がってきたので、女王とポチはわらの中に潜り込みました。今夜はそこが寝床です。フルートは寒さは平気なので、ポポロに近い土の床に無造作に横になり、彼女の寝顔を見つめました。薄暗くなっていく部屋の中で、少女は浅く速い息づかいをしています――。

 

 すると、女王がフルートに話しかけてきました。

「前々から思うておったのじゃが……ひょっとすると、そなたたちは恋人同士か?」

 フルートはたちまち真っ赤になりました。暗くてもう表情は見えないので、はい、と小さな声で答えます。

 女王は穏やかに笑いました。

「やはりそうか……。良いな。互いに相手を大切にしていることが、はっきりとわかる。良い関係じゃ」

 フルートはますます赤くなりました。女王からこんな話をされることが意外にも思えます。女王は誰かを思い出して懐かしんでいるような口調でした。

「ワン、アクにもお子さんがいるんですか?」

 とポチが尋ねると、女王は今度は苦笑しました。

「おらぬ。確かに、そなたたちより大きな子がいてもおかしくない歳じゃが、わらわは結婚しておらぬからな。国の政(まつりごと)のほうが忙しくて、結婚をする暇がなかったのじゃ」

 そう言って、女王は小屋の窓へ目を移しました。空で厚い雲が切れて、半月がのぞいたのです。それを見上げながら続けます。

「信頼できる相手は大切にすることじゃ。それは個人同士でも、国と国の間でも、変わらぬ。互いに敬意を払って大切にすることができれば、人も国も、いさかいなく共に暮らすことができるのじゃ――」

 女王のことばは、なんだかひとりごとのようでした。どこか淋しげな顔を、半月の光が照らしています。

 フルートは思わず首をかしげました。女王は確かに何かを思い出していて、そのことを人全般や国のことに例えて話しているのです。かといって、何の話をしているんですか、と聞き返すのもためらわれます。

 女王の隣では、ポチが、わらの中から頭を出して、じっと女王を見つめていました。何か言いたそうでしたが、小犬も口には出しません。

 すると、雲が流れてまた月を隠し、女王の顔が見えなくなってしまいました。小屋の中が暗闇になります。

「さあ、もう寝よう。明日も早くから出発するのじゃろう? 休まねば」

 と女王が言って、小屋の中は静かになりました。じきに四つの寝息が響き始めます。規則正しく続く寝息に、夜半から、雨の音が重なっていきました――。

 

 

「ワン、雨ですよ。しかもかなり強く降ってる」

 翌朝、わらの寝床から起きだしたポチが、入口に立って言いました。小犬の言うとおり、外は本降りの雨でした。冷たいしずくが緑の麦畑をたたいています。

 フルートは心配しながら起き出しました。兜を脱いだ顔に当たる空気は、冷たく湿っています。こんな寒さの中を王都まで移動して大丈夫だろうか、と考え、まだ寝ているポポロに目を移して、どきりとしました。少女の頬は真っ赤でした。息づかいが昨夜よりもっと苦しそうになっています。

「ポポロ!」

 とフルートは飛びついて、額に手を当てました。かなりの高熱です。あわてて首のペンダントを外して押し当てると、すぐ熱は下がりましたが、それでもポポロは目を開けません。今度は土気色になった顔で、浅い呼吸を続けています。

「どうしたのじゃ? ポポロは病気か?」

 と女王が心配します。

 フルートは、ちょっとためらってから、ペンダントに呼びかけました。

「金の石! 金の石の精霊――!」

 少しの間、何事も起きませんでしたが、やがて、ペンダントの真ん中で魔石がきらっと光って、小柄な人物が姿を現しました。黄金そのもののような髪に、鮮やかな金の瞳をした少年です。

「ポポロは病気じゃない。疲れすぎて、動けなくなっているんだ」

 仰天している女王を無視して、金の石の精霊はフルートに言いました。姿は小さな子どもなのに、大人のように落ち着き払った口ぶりです。

「ぼくたちは今日中にマヴィカレに行かなくちゃいけないんだよ! 急ぐんだ!」

 とフルートが言うと、精霊は腰に手を当てて首をかしげました。

「ぼくならば、ポポロをここに残して、後で迎えに来るな。いくらぼくでも、疲労までは癒せない。無理に動かせば、結局彼女の生気を減らすことになるぞ」

 フルートは青くなりました。生気を失うことの怖さは、メールでさんざん経験済みです。

 ポチが外を見ながら言いました。

「ワン、雨さえ降ってなければ、ひとっ飛びでポポロを都まで運ぶんだけど――」

 ポチも、雨の降る中では風の犬に変身することができません。

 一同は、どうしたらいいのかわからなくなって、立ちつくしてしまいました。小屋の屋根を雨が激しくたたき続けています――。

 

 すると、ふいにポポロが目を開けました。仲間たちを見ながら、弱々しく言います。

「たくさんの兵隊よ……街道を通って、マヴィカレに進軍していくわ…………」

 一同は、ぎょっとしました。フルートがポポロに尋ねます。

「ポポロ、まさか君――!?」

「ほんの一瞬だったけど、闇の雲の間に見えたのよ……。軍隊の先頭には、白い竜の旗印がひるがえってたわ……。あれは……あれは、きっと……」

「白い竜!? グルールの旗印じゃ! グルールがついにマヴィカレへ兵を動かしたというのか!」

 と女王が叫びます。

 フルートは絶句しました。ポポロは、疲れ切って弱った体で、また透視をしていたのです。行く手の王都を眺め、その先の街道をガウス領に向かってたどって、ついに闇の雲の切れ間に、進軍するガウス侯の私兵を発見したのでした。

 けれども、彼らは小屋に閉じこめられていました。冷たい雨は、音を立てて降り続いています。

「どうしたら……どうしたらいいんだ……?」

 フルートはポポロを抱きしめて、つぶやいてしまいました。

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