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第16巻「賢者たちの戦い」

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39.未明

 翌朝、一行は突然聞こえた怒りの声に、びっくりして目を覚ましました。

 宿の一室はまだ薄暗く、テーブルで蝋燭が燃えていました。その灯りの輪の中に黒い石盤を置いて、ユギルがひとりきりで座っていました。怒りの声を上げたのは彼です。

「どうした、ユギル?」

 とオリバンは声をかけました。ロムド城の一番占者が、こんなふうに感情をあらわにするのは、とても珍しいことです。

 ユギルはすぐに深々と頭を下げました。

「お騒がせして申し訳ございませんでした、皆様方。つい声が出ました――」

 そう話す声は、もういつもの平静さを取り戻しています。

 全員はベッドから起き出しました。

「何か悪い占いの結果が出たんですか?」

 とフルートが尋ねると、ユギルは首を振りました。長い銀の髪が揺れて蝋燭の光に輝きます。

「そうではございません。先ほどからずっとこうしておりますが、占盤に象徴がまったく映らないのです……。占うことができません」

 一同は、先よりもっと仰天しました。たちまちゼンやメールが騒ぎ出します。

「占えねえ!? まったく? なんでだよ!?」

「占盤が調子悪いのかい!? それとも、ユギルさんのほうが不調なの!?」

「前に、ポポロが炸裂させた光で、ユギルさんが一時的に占えなくなったことがあったわよね。またそんな感じなの?」

 とルルも言い、ポポロが顔色を変えて口を抑えました。けれども、今回、ポポロはそんな魔法を使っていません。

 ユギルは占盤に目を向けました。何かを探し求めるように眺めながら答えます。

「闇がテトをおおって、その下の象徴を隠してしまったのです……。国の東半分はまだ見ることができます。ですが、西半分は闇の雲の中で、まったく見通すことができません。闇の雲の中心は、ガウス山の麓でございます」

「グルールのしわざか!」

 とテトの女王は声を上げました。握りしめた手をわなわなと震わせます。

「おそらく、ガウス侯はロムドから戻る女王が偽物だと気づいたのです。急ぎ王都を襲撃しようと考え、自分の兵の動きを城の占者に読み取られないよう、闇の雲で隠したのでしょう」

 とユギルは答えました。声は静かですが、占盤を見つめる目には焦りがあります。どんなに心の目を凝らしても、闇の雲の向こうを見通すことができないのです。

 すると、ポチが言いました。

「ワン、ポポロならばどうですか? 魔法使いの目でガウス侯のいるほうを透視できませんか?」

 そこで、ポポロは西の方角へ遠いまなざしを向けましたが、すぐに困惑した顔になりました。

「だめよ……。本当に、とても濃い闇が一帯をおおっているの。あたしの目でも見通すことができないわ……」

 薄暗い部屋の中で、一同は青ざめた顔を見合わせました。敵の動きが、まったくつかめなくなってしまったのです。

 

 やがて、テトの女王が言いました。

「マヴィカレへ急がねば。グルールの狙いはテト城じゃ。攻めてきたところを迎え撃つしかない」

 すぐにも部屋を飛び出していきそうな女王を、セシルが引き止めました。

「あわてるな。王都への船は九時にならなければ出ないだろう」

「とにかく、準備を整えよう。必ず今朝の船に乗って、そして――」

 とフルートが言いかけたときです。ワンワンワン、と突然ポチが吠えて部屋の入口の戸に体当たりしました。驚くフルートたちに言います。

「開けて! 誰かが外で話を聞いてますよ!」

 一同は、はっとしました。すぐにフルートとゼンが外の通路に飛び出しましたが、そこには誰もいませんでした。夜明け前の宿の廊下は、ひっそりと静まり返っています。

 そこへポチとルルとオリバンも出てきました。オリバンは剣を握っています。犬たちは床に鼻を押し当てると、真新しい匂いをかぎ当てて、廊下を進み始めました。じきにひとつの客室の前にたどりつきます。

 オリバンは用心しながら部屋の扉をたたきました。――返事はありません。扉を開けようとしましたが、鍵がかかっていて開きません。オリバンが扉に体当たりしようとすると、ゼンが止めました。

「俺の出番だぜ」

 と扉を無造作に押すと、めきっと音がして鍵が壊れ、扉が内側へ開きます。

 客室の中はもぬけの殻でした。ただ窓が大きく外に向かって開いていて、鎧戸が風に揺れています。一同は窓へ駆け寄って外を見ました。薄明るくなった町の通りを走っていく人影が見えます。

「あれだ!」

 とフルートは叫ぶと、窓から身を躍らせました。そこは二階だったのです。窓の横の木の梢に飛び込むと、枝をつかみながら地面に下り立ち、人影を追って駆け出します。そこへ同じように飛び下りてきたゼンとオリバンが追いついてきました。

「何者だ、あいつ!?」

 と言うゼンに、オリバンが答えます。

「追われて逃げるからには、敵の間者かもしれん。捕まえて問い詰めなくては」

 けれども人影は逃げ足が速くて、なかなか追いつくことができませんでした。いくつも通りの角を曲がり、やがて川岸に出てしまいます。

 すると、人影はまっすぐ川へ走りました。どぶん、と音がして、姿が消えてしまいます。

 川岸にたどり着いたフルートたちは、口惜しさに歯ぎしりしました。川に飛び込んで逃げてしまったのです。流れに目を凝らしても、賊の姿は見当たりません――。

 

 フルートたちが宿へ戻ってくると、部屋の前に人だかりができていました。宿の人々が騒ぎで目を覚ましたのです。セシルが宿の主人相手に、泥棒が部屋に侵入しようとしていた、と説明していたので、オリバンはそこに加わりました。フルートとゼンは部屋の中に入ります。

「ねえ、どうだった!? 捕まえたのかい!?」

 とメールが飛んできたので、ゼンは肩をすくめ返しました。

「見失った。川に飛び込んで逃げやがったんだ」

「ワン、すみません。人が集まってきたから、風の犬に変身して追いかけられなかったんです」

 とポチが言います。

 フルートは青ざめている女王に言いました。

「あれはきっとガウス侯の手の者だと思います。女王様がここにいると知られてしまったかもしれません。今すぐここを出発して、船が出る時間まで隠れていましょう」

「そうね。こんな泥棒がいるような宿には泊まっていられない、って言えば、不自然じゃなく宿を出られるわ」

 とルルも言ったところへ、廊下からオリバンとセシルが戻ってきました。

「宿の主人に確かめたが、あの部屋に泊まっていた男の正体はわからなかった。おそらくガウス侯の間者だろう」

「このうえは一刻も早くここを離れたほうがいい」

 と二人もフルートと同じことを言います。

 そこで、一行は慌ただしく準備を整えました。装備を身につけ、荷物をまとめ、マントをはおります。

 ところが、ユギルだけは立ちつくしたままテーブルの占盤を見ていたので、オリバンが声をかけました。

「気にするな。先が予測できなくなっているのはユギルのせいではない」

 占者の青年は皇太子へ一礼しました。

「ありがたいおことばでございます、殿下……。ですが、落ち込んでいたわけではございません。過去にも何度か占うことができなくなりましたが、そのたびに別の道を見いだしては乗り越えてまいりました。今回もそのような方法がないかと考えていたのです」

「何か名案は見つかったのか?」

 とセシルが期待して尋ねましたが、ユギルは首を振りました。

「今はまだ思いつきませんが、必ず見つけ出します――テトと勇者殿のために」

 そのフルートは金の鎧を身につけ、二本の剣を背負って、窓の鎧戸の隙間から外の様子をうかがっていました。さらにポポロをそばに呼んで、魔法使いの目で周囲を確かめさせます。ガウス侯がいる西の方角は見通せなくても、近い場所ならば透視することができたのです。

「大丈夫みたい。怪しい人はいないわ」

 とポポロが言ったので、フルートは全員に呼びかけました。

「宿を出るぞ。行こう」

 仲間たちが動き出す中、フルートはごく自然にテトの女王のそばに来て、女王のすぐ前を歩き出しました。襲撃に遭ったら、体を張って女王を守ろうとしているのです。

 そんな様子を見て、オリバンは短くユギルへ言いました。

「頼むぞ」

 銀髪の占者は黙ったまま、また頭を下げました――。

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