「ついに見えたぜ。あれがテトの国だな?」
先頭を進むゼンが、急な峠道を登りきったところで馬を止めて、行く手を指さしました。
仲間たちはゼンの後ろへ集まって、そちらを眺めました。周囲は背の低いハイマツの群生地なので、雲の多い青空の下に長い山裾が一望できます。尾根の間に谷が入り込んだ荒々しい地形は、まるで巨人が鑿(のみ)で削って山の形を作ったようです。
けれども、その裾野まで行くと、山は急になだらかになりました。柔らかな緑色の地面が、もやにかすみながら広がり、その中央を曲がりくねった川が流れています。
「あれがテト川じゃ。ミコン山脈から発した川がいくつも集まって大河になり、王都マヴィカレまで流れておる」
とテトの女王が言いました。緑の中にくっきりと浮かび上がる川は、空の色を映して青く輝いています。
「テトの国民はあの川を青い竜と呼ぶことがあるそうだな。確かにそんなふうにも見える」
とオリバンが感心すると、ルルとポチも馬の上の籠から伸び上がって言いました。
「あれが竜だとしたら、中央大陸の竜じゃなくて、ユラサイの竜のほうよね」
「ワン、そうですね。ユラサイの竜は大蛇みたいな形をしているわけだから」
それを聞いて、セシルが女王へ尋ねました。
「テトの東には、ユラサイの影響を強く受けた国々がたくさんあると聞く。テトにもユラサイの文化が入り込んできているのではないのか?」
セシルとテトの女王は、山越えの間、ずっと同じ馬に乗ってきました。最初は女王を嫌っていたセシルも、いつの間にか警戒を解いて、平気で話しかけるようになっていたのです。
そうじゃな、と女王は答えました。
「テトは大陸中の文化が出会って混じり合っている国じゃ……。東にあるユラサイとは昔からつながりが深いし、西の国々からもサータマンを経て、いろいろなものが運ばれておる。量はあまり多くはないが、ミコン山脈の峠道を越えて、北のエスタとも人や物の行き来はあるし、南隣のカナスカ国の塩湖からは塩が運ばれてくる。ミコン山脈の北側には大砂漠があるから、ユラサイへ行くのにも命がけじゃが、こちら側では、我が国を経て、もっと楽にユラサイへ向かうことができる。テトは小国じゃが、昔から交通の要所として栄えてきた国なのじゃ」
「なるほど、サータマンがテトの領土を狙うはずだな」
とオリバンが納得します。
すると、麓へ目を凝らしていたフルートが言いました。
「ぼくたちが行く王都はどのあたりにあるんでしょうか? ここからは見えないですよね」
彼らは、ミコン山脈を越えたら精いっぱい急いで城を目ざす必要がある、と占者のユギルから言われているのです。
「王都のマヴィカレは、あのテト川の川下じゃ」
と女王は答えました。
「テトの国は、西から東へ、大きく三つの地形に分かれておる。西側はミコン山脈やガウス山が連なる険しい山岳地帯、中央部は高原地帯、東側はジャングルにおおわれた熱帯の低地じゃ。王都は、その高原地帯のちょうど中央にあって、周囲をテト川の流れに囲まれておる」
「川で都を守っているのだな。中州に都を作ったのか? それとも堀の代わりに周囲に川を流したのか?」
とオリバンが尋ねました。
「川の大きく蛇行したところに都を作り、都の北側に運河を引いて、川の水が都の周囲を囲むようにしたのじゃ。都へはいる門は東西と北の三箇所にあって、どこも跳ね橋がかかっているから、橋を上げてしまえば敵は陸からは侵入できなくなる」
「でも、俺たちは船で城へ行く、って言ってたよな? どこから乗って行くんだよ」
とゼンが口をはさみました。ゼンとしては、船で川下りをするのが、かなり楽しみだったのです。
「山岳地帯は流れが急で、ところどころに滝もあるから、船は使えぬ。高原地帯に出たあたりで流れが緩やかになって、川幅も広がるから、そこから先に船着き場があるのじゃ。陸路を馬で行けば王都まで四日というところじゃが、船ならば丸一日で着く」
「そんなに違うんだ!」
とメールは声を上げました。できる限り早く王都に到着するためには、やはり船に乗るのが良さそうです。
ユギルが静かに言いました。
「船には多くの人が乗り合わせますし、その中にはガウス侯の手の者も紛れているかもしれません。女王陛下は正体を隠して船に乗り、都へ入る必要がございます」
「それは心配なかろう。わらわはこんな恰好じゃ。誰もこれを女王とは思わぬ」
とテトの女王は苦笑しました。女王は立派な衣装でロムド城を出てきたのですが、山越えをする間に野宿をしたり、雨や雪に降られたりしてきたので、泥と埃ですっかり汚れ、裾もぼろぼろになって、見る影もない様子になっていたのです。
「それでも用心するにこしたことはございません。人のいる場所へ出たら、ベールで顔を隠して、目につかないようになさってください」
とユギルが念を押します。
「よし、とにかく、あの川を目ざして下りていけばいいんだな? 行くぜ! ついてこい!」
とゼンが元気に言って、尾根筋を下り始めました。ゼンの乗った馬の前で、ハイマツの茂みが左右に分かれて道を作るので、仲間たちが一列になって続きます。
今回のしんがりはオリバンでした。すぐ前はユギルで、さらにその前をフルートが行きます。オリバンはユギルに追いつくと、馬を寄せて、そっと尋ねました。
「どうなのだ? 相変わらずあいつには同じ占い結果が出ているのか?」
あいつ、とオリバンが言っているのはフルートのことです。
ユギルはうなずきました。
「今朝も占いましたが、やはり勇者殿には死の影がつきまとっております。テトに近づくにつれて影は濃くなり、未来の方向を眺めれば、必ず勇者殿の象徴は死の影に呑み込まれてしまいます」
「運命を避ける方法はないのか? あいつは世界を救う勇者なのだぞ」
「敵のグルール・ガウス侯はまだ我々の居場所をつかんでおりません。ですから、今はまだ死も勇者殿の遠くにあります。ガウス侯が女王に気づいて、こちらへ牙をむいたときに、女王を守ろうと勇者殿が前に出るのです。そうなれば、勇者殿と死の影の間をさえぎるものはなくなってしまいます」
話し合うオリバンとユギルの声は真剣でした。どんなに止めても、フルートが敵の攻撃の矢面に立つことは、わかっていたからです。
「ガウス侯が手に入れた竜の秘宝がどういうものか、というのが問題だな。武器か、魔法か、それとも怪物か……」
「残念ながら、占盤でもその具体的な姿を知ることはできません。ただ、計り知れない闇の力が、そこに渦巻いております。かのデビルドラゴンに準ずるほどの力です」
「竜の宝というのは、デビルドラゴンから分かれた力だ、とフルートたちが言っていたな。強力なのも当然だが、非常にやっかいだ。そんなものを人間に使いこなせるはずがない」
「ですが、権力を求める者は、しばしばその闇の力を手に入れようといたします……。竜の宝は、王座を奪おうとするガウス侯の野心に惹かれて現れました。ガウス侯がそれを使って王になれば、非常に大勢の人々が殺され、生き残った人々にも圧政が行われます」
「そうなれば、なおさらあいつは人々を救おうとして敵前に飛び出す。結局、ガウス侯からテトの国と女王を守ることが、フルートを守ることにもなる、ということか」
「左様です。人々の苦しみを見て見ぬふりができない勇者殿でございますから」
そこまで話し合って、オリバンとユギルは前を行くフルートを眺めました。フルートは、まさか自分の話をされているとは思わずに、ただ前だけを見て馬を進めています。オリバンは思わず溜息をつきました。
「なんとしても、あいつを救わなくてはな。あいつは世界を守る勇者であるし、我々はその勇者を守る者たちなのだ」
「承知しております。必ず」
とユギルは答えると、行く手に広がるテトの国へ、遠いまなざしを向けました――。