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第16巻「賢者たちの戦い」

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36.違和感

 「やっと出てきたねぇ、皇太子くん!」

 とランジュールが空中から嬉しそうに言いました。細い体の向こう側には、鮮やかな青空が透けて見えています。

「でもさぁ、キミが持ってるその剣、聖なる剣じゃないんじゃないのぉ? ズーちゃんは闇の怪物なんだよねぇ。キミには倒せないと思うんだけど」

 けれども、キースはそれには答えませんでした。空で戦うグーリーとズーを見上げます。鷹のグーリーと怪鳥のズーとでは、大きさがまったく違いました。地上から見ていると、大きな鷲(わし)に小さな虫がまとわりついているようです。間もなくグーリーは追い払われて、空高くへ逃げていきました。

 キースは剣を構えて、自分に向かって急降下してくる怪鳥を見据えました。タイミングを合わせて切りつけると、羽根が散って血しぶきが飛びます。

「無駄だってばぁ」

 とランジュールはにやにやしながら言いました。

「キミじゃ、ズーちゃんには傷ひとつ負わせられないんだよねぇ。さっきからそう言ってるのに、そんなこともわからないなんて、やだなぁ――」

 ウォォォーッ、とズーがライオンの声でほえました。羽ばたきながら、空中で何度も横転して暴れます。ランジュールは驚いてそれを見ました。

「どうしたのさ、ズーちゃん? 皇太子くんの攻撃なんか、すぐに――」

 言いかけて、幽霊は顔つきを変えました。ズーの背中に刀傷が残っていることに気づいたのです。驚いたように、またキースを見ます。

「どういうことぉ? キミのその剣は、普通の剣だよね? それでどうして闇の怪物に攻撃できるのさぁ!?」

「さあね」

 とキースは答えました。闇の民は闇の怪物を攻撃できるからなのですが、それを教えてやる筋合いはありません。怒って襲いかかってきた怪鳥へまた剣をふるい、今度はライオンの顔の真ん中に切り傷を負わせます。ズーがまた大きくほえて飛びのきました。顔の傷はやはり消えません。

 

 ランジュールはいぶかしむ顔になりました。キースを見つめ直して言います。

「キミ、どこにそんな力の元を持ってるのさ? 魔法の道具でも隠し持ってるの? それとも――」

 やはりキースはランジュールを無視しました。駆け出し、貴賓席のある壇上から飛び下り、地面を転げているズーへ切りかかっていきます。

「ズーちゃん、舞い上がれぇ!」

 とランジュールは命じました。怪鳥が空へ逃げて、キースの剣が届かなくなります。

 ランジュールはぶつぶつ言い続けました。

「まったくもぉ、ホントにわけがわかんないなぁ。魔獣使いのお姫様が病気で寝てるって聞いたから、これは皇太子くんを倒すチャンスだと思ったのに……。ズーちゃん、そのまま空から攻撃するんだよぉ。ぐるぐる飛んで、皇太子くんの目を回しちゃえ!」

 怪鳥のズーは空を飛び回り始めました。隙を見ては急降下して、キースに襲いかかります。

「危ない!」

 と青の魔法使いがとっさに杖から魔法を撃ち出し、また跳ね返されて、自分自身に攻撃を食らいました。貴賓席の障壁に激突します。

「手を出すな!」

 とキースは叫んで剣を振りました。ズーが身をひるがえして空に舞い上がり、またぐるぐると飛び始めます。キースの攻撃は届きません。

 

 すると、貴賓席でアリアンが立ち上がりました。空の高みに向かって叫びます。

「グーリー、来て!」

 ズーよりもっと高い空から、黒い影が急降下してきました。回転するズーを直撃します。怪鳥はとっさに身をよじりましたが、黒い影はその背中をかすめていきました。羽毛が雪のように舞い、紅いしぶきがまた飛び散ります。

 影が地上に下りてきて、激しく羽ばたきました。風がどっと湧き起こり、祭壇の供物の山を崩していきます。それは巨大な黒いグリフィンでした。怪鳥のズーに匹敵する大きさがあります。

 風にマントをはためかせて、キースは言いました。

「ぼくを乗せろ、グーリー!」

 グリフィンはすぐに地面に伏せました。その脚から背中へキースが駆け上がると、再び翼を広げて舞い上がります。

「あーららら」

 空にやってきたキースを見て、ランジュールはあきれた声を出しました。

「それって、勇者くんの友だちの闇のグリフィンじゃないかぁ。キミ、どこからそれを連れてきたの? ――って、やっぱりボクのことは無視するわけぇ!? ちょっと、皇太子くん! キミ、ホントにいったいどうしちゃったのさぁ――!?」

 わめき続けるランジュールを、キースは徹底的に無視しました。グーリーの背の上で剣を構え、グーリーと一緒にズーへ突撃します。剣が怪鳥の胸に突き刺さると、ライオンの頭が大きくほえます。

 その時、突然またアリアンが叫びました。

「さがって、グーリー! フノラスドよ!」

 グーリーとキースは、ぎょっとしました。反射的に後ろへ飛ぶと、その目の前へ小山ほどもあるヘビの頭が現れて、ばくりとズーを呑み込みます。一瞬でも遅れれば、グーリーとキースまで一緒に食われたところです。

 空中に現れたのは、真っ黒な頭のヘビでした。その首から後ろは青空の中に消えていて見ることができません。ズーの咆吼(ほうこう)がヘビの口の中で消えていきます。

 と、ヘビはまた口を開けてズーを吐き出し、地の底から響くような声で言いました。

「チガウ!」

 吐き出されたズーは、血まみれの肉の塊に変わっていました。地面に墜落して、びしゃりと潰れます。傷が治って生き返ってくることはありません。

 キースとグーリーは恐怖に体が震え出すのを止められませんでした。フノラスドは闇の国の城で数年ごとに目覚めては、百人の生贄を食ってきた、恐ろしい怪物です。キースたちを倒すために、ランジュールがズーの陰に潜ませていたのです――。

 

 すると、ランジュールが空中で腕組みしました。首をかしげて、空にいるキースと貴賓席のアリアンを見比べます。

「変だよ、変だよ、なんか変だよぉ……。二人とも、今までのキミたちとすごく違うよねぇ? これっていったいどういうことぉ?」

 腕組みをしたまま、んんー? と考え込み、やがて、ぽんと手を打ちました。

「そぉっかぁ、わかった! キミたち、本物の皇太子くんと一番占者さんじゃないね!? そっくりさんの偽物なんだぁ! そうか、そぉっかぁ。――で、本当の皇太子くんは今、どこにいるのかなぁ?」

 ランジュールの細い目が、突然ひやりとするような光を浮かべました。薄笑いの顔はいつもと同じですが、その陰に怒りの炎がちらちらとのぞいています。

「ボクってね、すごぉく穏やかで平和主義なんだけどさ、誰かに馬鹿にされるとか、だまされるとか、そういうのって本当に嫌いなんだよねぇ。キミたちはボクをだました。このままじゃ、すませられないよねぇ。早く皇太子くんの居場所を教えなよ。そうしないと、ここにいる全員を、キミたちも含めてひとり残らずフノラスドに殺させるよぉ。うふふふ……」

 笑っていても、その声は危険なことこの上ありませんでした。嘘やはったりではないのです。キースたちは何も言えませんでした。黒い蛇の頭のフノラスドに押されて、じりじりと空中を後ずさります。

 

 ところが、その目の前で、いきなり白い光が炸裂しました。フノラスドの鼻先に光の弾が激突して弾けたのです。フノラスドは大きく後ろへ弾き飛ばされ、シャァァ、と怒って声を上げました。キースたちも同じ光に木の葉のように吹き飛ばされてしまいます。

「誰ぇ!?」

 ランジュールが叫ぶと、その目の前に天使が現れました。白い衣に長い金髪をたらした美しい巨人です。ようやく立ち上がった青の魔法使いが、それを見上げて言いました。

「白が護具で守護獣を呼び出しましたか……」

「やっと守りの塔にたどりついたんじゃな。赤が影虫を追い払って、白に近づかんようにしているようじゃ」

 と深緑の魔法使いも言います。巨大な天使は両手と翼を広げると、背後に人々とグーリーに乗ったキースをかばいました。それを操っているのは、城の守りの塔にいる白の魔法使いです。魔法使いの目で広場の様子を見ながら、護具を使っているのでした。

 天使の胸元が白く光り出したので、ランジュールは、はっとしました。あわててフノラスドに命じます。

「退却、フーちゃん! 急げぇ!」

 黒い蛇の頭が消えるのと、天使の胸元から光がほとばしるのが同時でした。蛇がいなくなった空間を、聖なる光が照らしていきます――。

 

 やれやれ、とランジュールは言いました。彼自身は闇の悪霊というわけではないので、聖なる光を浴びても平気です。ふわふわと空中に浮きながら、また腕組みして言います。

「しょうがない、今日のところはこれで引き上げるよぉ。皇太子くんがいないんじゃ、ここにいたって意味がないし、おっかない天使にフーちゃんが怪我させられるかもしれないからねぇ。ああ、愛しの皇太子くんと勇者くんはどこにいるのかなぁ? 早く探し出して、ボクのフーちゃんにおいしく食べさせてあげなくちゃ。じゃあね、皆様。ごきげんよぉ」

 うふふふ……。いつもの笑い声を残して、ランジュールは消えていきました。それを見届けて、天使も姿を消していきます。広場には、青と緑の二つの障壁に守られた人々と、血まみれの肉塊になった怪鳥のズーが残されました。広場に静けさが訪れます。

 怪物の死体を魔法で消しながら、青の魔法使いが深緑の魔法使いへ言いました。

「敵は去りましたが、まずいことになりましたな。ランジュールが暴露していったおかげで、皇太子が身代わりだとばれてしまいましたぞ」

「いや、心配はいらんわい。どうも良くない状況になっていきそうな気がしたんで、途中から、障壁の中に音が届かんようにしていたからの。市民も司祭たちも、キースがグーリーに乗って戦っている姿は見とるが、ランジュールの声までは聞こえておらん」

 と魔法使いの老人が言ったので、武僧は頭をかきました。

「さすがは深緑、年の功ですな……。私はそこまでは思いつきませんでした。私の障壁の中にいた方々には、ランジュールの話も筒抜けだったことでしょう」

 青い障壁が消え、内側にいた人々が立ち上がりました。ロムド王、リーンズ宰相、ゴーリス、アリアン、小猿のゾとヨ、道化のトウガリ、そして、王妃とメーレーン王女。この中で事情を知らなかったのは、王妃とメーレーン王女です。

 王女が王妃のドレスの袖にしがみついて言いました。

「お母様、あの幽霊はなんだったのでしょう? なんだか、とてもおかしなことを言ってましたわよ。お兄様が――お兄様とユギル様が、本当は――」

 不安そうな顔で言いよどみ、まだ空にいるキースと、王の後ろで青ざめているアリアンを眺めます。他の者たちは、それにどう答えたものかと困惑しました。ロムド王でさえ、とっさには返事が思い浮かびません。

 すると、メノア王妃が落ち着いた声で言いました。

「何もおかしなことはありませんよ、メーレーン。あれはあなたのお兄様です。ここにいるのも、ロムド城の一番占者のユギル様。お二人は闇の怪物や幽霊を追い払って、私たち全員を守ってくださいました。そんな方たちが、私たちの敵のはずはないでしょう? 一番大切なのは、そのことだけ。それさえ忘れずにいれば、何も恐れることはありません」

 穏やかで、揺るぎのない声でした。まだおびえている娘を優しく抱きしめます。メーレーン王女は母の腕の中で安堵の息をつきました。

「一番大切なこと……一番大切な。はい、わかりましたわ、お母様」

 と素直に言って母の胸に顔を埋めます。

 そのやりとりにロムド王は黙ってうなずき、トウガリはうやうやしくお辞儀をしました。人を信じ、人の善意というものを疑わないメノア王妃ならではの説得でした。他の者たちも、ほっとした顔を見合わせます。

 そこへ空からキースが下りてきました。グリフィンの姿のグーリーは、またすぐに舞い上がり、空の彼方へ飛んで行ってしまいます。

「お兄様ぁ!」

 とメーレーン王女はすぐにキースへ走りました。手を打ち合わせ、キースの手を取って言います。

「すごかったですわ、お兄様! グリフィンで空を飛んで怪物に立ち向かって! 凛々しくて、本当に素晴らしゅうございました!」

 メノア王妃もキースへ歩み寄ると、優しい笑顔を向けて言いました。

「皆を守ってくださって、本当にありがとう、オリバン。お怪我がなくてなによりでしたわ」

 王妃の態度も、いつもとまったく変わりません。キースが顔を赤らめて微笑します――。

 

 その時、ようやく深緑の光の障壁が消え、静かだった広場が一気に騒々しくなりました。また音が伝わるようになったのです。キースがメーレーン王女に手を取られ、王妃にほほえみかけられている様子に、割れるような拍手と歓声が起こりました。皇太子の名前が連呼されます。

「でも、あいつらを本当に追い払ったのって、四大魔法使いなんだけどな――」

 とキースが照れて頬を人差し指でかくと、青の魔法使いが笑いました。

「なんの。彼らは殿下が敵と戦うために危険な場所に出てきてくれたことを見ておりますからな。そのことに感激して、感謝をしておるのですよ」

「左様です。素直にお受けください」

 とリーンズ宰相も言います。

 そこで、キースは群衆へ手を振り返しました。拍手と歓声がいっそう大きくなります。

 すると、そこへ空から黒い鷹が舞い下りてきました。貴賓席の椅子の背に停まると、何事もなかったように翼をたたみます。アリアンはそっと話しかけました。

「ご苦労さま、グーリー。よくやったわね」

 キェェ。

 鷹は一声鳴くと、満足そうに目を細めました――。

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