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第16巻「賢者たちの戦い」

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33.誹謗(ひぼう)

 収穫感謝祭は、例年と同じように始まりました。

 ケルキー神殿の前には大きな祭壇が設けられ、その上に、今年採れた大麦、小麦、野菜や果物、パンや焼き菓子、仕込んだばかりのワインの樽が、山のように積み上げてあります。それを前に、大司祭が長々と感謝の祈りを捧げるのです。

 今年は、年明け早々に仮面の盗賊団が北の街道沿いの町や村を襲い、三月末にはサータマンの疾風部隊と飛竜部隊が王都を攻撃する事件がありましたが、その後はおおむね穏やかな日々が続き、天候にも恵まれたので、農作物は大豊作で、家畜も丸々と太りました。大司祭の祈りの声も、自然と晴れやかになります。

 祈りが終わると、おもむろに祭壇にエール酒が振りかけられ、牛と豚と羊が一頭ずつ引き出されて、その場で屠殺(とさつ)されました。家畜を殺すのは、神へ収穫の一部をお返しして恵みを感謝するためです。その後、神殿の裏手で丸焼きにされて切り分けられ、他の捧げものと一緒に参列者に配られるので、祭りの中でも特に人気のあるイベントでした。

 すべてがつつがなく進行する中、とうとう皇太子が祝辞を述べる順番がやってきました。貴賓席から皇太子が立ち上がり、祭壇の前へと進みます。その威風堂々とした姿に、群衆は感嘆の溜息をつき、女たちはうっとりとしました。貴族の令嬢たちもすっかり見とれてしまって、皇太子に自分を売り込むどころではありません。

「私は、ロムド皇太子のオリバン・ロムディア・ウィーデル。晴れやかなこの良き日に、ディーラの市民と共にケルキー神へ収穫の感謝を捧げられることを、まことに喜ばしく思う――」

 若い王のような貫禄で話し出した皇太子の声を、神殿の魔法司祭が広場中へと広げます。

 

「キースは落ち着いているな。これなら大丈夫そうだ」

 と貴賓席の後ろで、ゴーリスがリーンズ宰相へささやきました。

 宰相は、目は祭壇の前へ向けたままで答えました。

「そうでございますね……話し方も殿下によく似せていらっしゃる。これならば、誰も疑わないでしょう」

 人々に聞きつけられないように、こちらもごく低い声です。

 オリバンに化けたキースは、とうとうと祝辞を述べ続けていました。好天と豊かな恵みを与えてくれた神への感謝、暑い日にも寒い日にも雨や雪の日にも勤勉に働き続けた農民たちへのねぎらいのことば、さらにそれを売り買いする商人たちや、ロムド各地へ荷を運ぶ馬脚にまで、日々の仕事をご苦労である、と言及したので、市民たちは喜んで、また歓声を上げます。

「いい反応だ。だが、これだけ長い祝辞を、よくキースは覚えられたな」

 とゴーリスがまた宰相へ言いました。キースは原稿などまったく見ずに、群衆へ話をしていたのです。

「キース殿がおっしゃるには、暗記は得意なのだそうです。特に、女性の顔や名前は、一度見聞きすれば絶対に忘れないのだとか」

「なるほど」

 ゴーリスは思わず吹き出しそうになって、あわててそれをこらえました。キースは本物のオリバンのように、落ち着き払って話しています――。

 

 貴賓席の片隅では、青の魔法使いがこぶだらけの杖を握って、祝辞を言うキースを見守っていました。王族や重臣たちを守るために、姿を消して控えているのです。同様に姿を消して警備に付いている深緑の魔法使いへ、心話で話しかけます。

「アリアンが倒れたときには心配しましたが、どうやらうまく行きそうですな。キースは殿下に本当にそっくりだ。殿下の様子がおかしいと疑っていた貴族たちも、すっかり納得していますぞ」

「そうじゃな、そっちのほうはもう大丈夫じゃろう」

 と深緑の魔法使いが、青の魔法使いにだけ聞こえる声で答えてきました。魔法使いの老人は、神殿の前の祭壇に近い場所にいます。

「じゃが、ここから気になる連中が見えとる――。占者ミントンの弟子どもじゃ。あれは、よからぬことを企んでいる顔じゃぞ」

「ミントン殿の?」

 と青の魔法使いは驚きました。かつてのロムド城の一番占者で、その座をユギルに奪われたことを根に持って、ユギルを殺そうとしたり、失墜を狙って騒動を起こしたりした人物です。今は本人は牢に幽閉されていますが、ミントンの下で学んでいた弟子の占者たちが、師匠の恨みを晴らそうと機会を狙っていました。王都の要注意集団です。

「祭りの中で何をしようとしておるんでしょうな? 武器などは?」

「それは持っておらん。持っていれば、逆に、それを警備兵に知らせて、しょっぴいてやれるんじゃが。ただ、そいつらの中に、城の占者がひとり一緒にいるのが気になる。ミントン派ではなかったはずなんじゃが――。連中の目的は、ユギル殿に師匠の復讐をすることじゃ。アリアン嬢が占いを告げるときが危いかもしれんぞ」

 それを聞いて、青の魔法使いは低くうなりました。ユギルの姿で椅子に座っているアリアンを、気がかりそうに眺めます。

「連中は何をするつもりでしょうな? アリアンに警告しておきますか?」

「警告と言っても、何をしてくるつもりか読めん状態では、用心のしようもないじゃろうしな……」

 と深緑の魔法使いが苦い声で答えます。

 

 祝辞が終わり、割れるような拍手の中をキースが貴賓席に戻っていきました。椅子に座って、隣のアリアンへ何かを話しかけます。アリアンはうなずき、静かに立ち上がりました。次は、城の一番占者が、来年の天候や作物の実り具合について、人々の前で語り聞かせる番だったのです。

 灰色の衣の占者が祭壇前に進み出てくると、拍手は潮が引くように収まっていきました。来年の天候は、農民だけでなく、さまざまな職種の人々にとって非常に関心のある出来事です。占者のことばを一言も聞き洩らすまいと、耳をそばだてます。

 占者の前には小さなテーブルに載せた占盤が運ばれていました。黒光りのする石の円盤を、占者はじっと見つめました。おもむろに口を開いて、語り始めようとします――。

 

 すると、会場の中から突然声がしました。

「一番占者の言うことはわかっているぞ! この冬は寒さが厳しいが、来春は例年通りの穏やかな気候が巡ってきて、作物はよく実り、家畜は肥えるだろう――だ! そうだろう!? 一番占者に聞くまでもない!」

 叫んでいるのは、ミントン派の占者のひとりでした。そばに魔法使いがいるようで、声は祭りの会場全体に響き渡ります。

 驚いてそちらを見たリーンズ宰相が、はっと顔色を変えました。

「あそこに一緒にいるのは、今回のユギル殿の占いのために、城で来年の天候を占わせた占者のひとりです」

 とゴーリスに耳打ちします。

「ミントン派に丸め込まれて、占いの結果を連中にばらしたのか――」

 とゴーリスも歯ぎしりをします。

 ざわめく会場の中で、ミントンの弟子が叫び続けました。

「我々の占いには、城の一番占者は不在だと出た! これは、ユギル殿の占いの力が失われたという意味だ! そこにいても、占えなくては、もう一番占者ではないのだからな! だからこそ、城の他の占者たちに命じて、来年の天候など占わせたのだ! そこにいるのは、一番占者をかたるペテン師だ! 王をあざむく大逆者なのだ!」

 人々はそれを聞いて仰天し、祭りの会場が蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。

 

「ミントンといい弟子どもといい、間抜け頭の大馬鹿者ばかりじゃな! あんな連中は魔法でヘビの牢獄へ放り込んでくれるわ!」

 と深緑の魔法使いは心話でわめきました。自国の一番占者の不都合を公の場で口にすれば、それはじきに外国にも伝わってしまいます。ロムドへ攻め込む機会を、敵に与えることになってしまうのです。師匠のミントンがその失敗を犯して国王の逆鱗に触れたのに、弟子たちがまた同じことをしているのでした。

「陛下が、待て、とおっしゃっています――」

 と青の魔法使いが深緑の魔法使いを止めました。魔法で弟子たちを逮捕しますか、とロムド王に尋ねて、今はならん、と言われたのでした。貴賓席から飛び出そうとしたキースやゴーリスも、同じように王に止められていました。

「連中を排除してはならん。それこそ、連中の思うつぼだ。我々がユギルを守れば、ユギルに占いの力がないということを、我々が認めたことになってしまうのだからな」

 とロムド王が言います。だけど――とキースが反論しようとすると、ならん! ともう一度強く言い渡されます。

 リーンズ宰相は、やきもきしながら口の中でつぶやいていました。

「ご自分の占いを確認するために、城の占者たちに占わせたのだとおっしゃってください、アリアン様……自分自身でも同じ結果が出ていたのだと……。今、この場さえ切り抜けることができれば、あとはこちらでうまく対処いたしますから……!」

 けれども、宰相からアリアンがいる場所までは、距離がありすぎました。宰相のことばは伝わるはずがありません。

 アリアンは驚いたようにミントンの弟子を見ていました。会場の騒ぎは、いっそう大きくなっています。すべての目が彼女を見つめていました。突然起こった誹謗(ひぼう)が本当なのかどうかを確かめようとする目です……。

 

 すると、アリアンがうつむきました。目の前のテーブルに載った占盤を一度眺め、また顔を上げると、おもむろに灰色のフードを脱ぎます。輝く銀髪と、浅黒い整った顔があらわになって、今度はどよめきが起こりました。貴族の令嬢や若い娘たちが、美しい占者に、きゃあきゃあと大騒ぎを始めます。

 そんな人々を色違いの瞳で眺めながら、アリアンは言いました。

「確かに、この冬、ロムド国は例年にない寒さに見舞われることでございましょう。それは、わたくしの占いにも出ております――」

「だから、それは城の占者の占いだと言っている! おまえは、その結果をただ読み上げているだけだ! ここにいる城の占者が証人だぞ!」

 とミントンの弟子がまた叫び、その周囲にいた弟子たちも、そうだそうだ、とわめきます。警備兵は騒乱者を逮捕しようと向かっていましたが、会場が大勢の人で埋め尽くされているので、なかなかたどり着くことができません。騒ぎがますます大きくなります。

 けれども、アリアンは批難を無視しました。

「通常、寒い冬の翌年には、穏やかな春と夏が訪れますが、来年は違ってまいります。春以降、ロムド国は黒い雲におおわれ、太陽の光は例年の半分以下になってしまうことでございましょう。寒い春と夏が予想されます。どうぞ冷害にお気をつけください」

 魔法司祭が広げた占者の声は、厳かにそう人々に告げました――。

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