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第16巻「賢者たちの戦い」

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31.病人

 案の定、騒動はセシルの部屋の前で起きていました。ダチョウの羽を髪に飾った貴婦人が、部屋の扉の前に立つ女性相手にわめき立てていたのです。

「おどきと言っているのよ、無礼者! 私は未来の皇太子妃殿下がご病気と聞いて、わざわざ郷里のカダルから名医を呼んできたのですよ! それを妃殿下に会わせることもなく追い返すとは何事ですか!」

 貴婦人はアーモック公爵夫人、その前でがんばっているのはレイーヌ侍女長でした。侍女長はふくよかな体格の年配の女性で、長年ロムド城の侍女たちをまとめてきた大ベテランです。身分高い女性を前にしても、一歩も退かずに言い張ります。

「セシル様には国王陛下から使わされた医師団がついておいでです。国最高のお医者様が治療に当たられているのですから、この上のご心配は無用でございます。なにとぞお引き取りくださいますように――」

「私は未来の妃殿下を心配して来ているのですよ!」

 と公爵夫人はいっそうきんきん声を張り上げました。後ろに従えた白衣の男を示しながら、わめき続けます。

「それに、私が連れてきた医者をやぶと侮辱するつもりですか!? 妃殿下はおたふく風邪にかかられたと聞いているが、それだって二週間もあれば完治するはず! それなのに、まだ病床に伏せったままということは、医師団の見立てが誤っているということでしょう! こちらの名医が妃殿下を治してさしあげます! さあ、早くそこをおどき!」

「できません」

 とレイーヌ侍女長は、きっぱりと答えました。紺色のドレスの前で手を重ね合わせ、背筋をしゃんと伸ばして、扉の前に立ち続けます。

「セシル様には安静が何より必要でございます。騒々しくされては、セシル様のご容態にさわります。どうぞお引き取りください」

 すると、急に公爵夫人はわめくのをやめました。侍女長を横目で見て、ほくそ笑むように言います。

「まあ、公爵家を代表して来ている私に向かって、なんという言いぐさでしょう。それほど強行に妃殿下に会わせまいとするのには、何かわけがあるのではないの? 例えば――」

 

「例えば、なんでございましょうか、アーモック公爵夫人」

 と、ようやく駆けつけたリーンズ宰相が話しかけました。さすがに息が切れていましたが、極力そんな様子は見せないようにします。

 公爵夫人はぎょっと振り返り、宰相と、その後ろに立つゴーリスやトウガリを見て、あわてて取り繕った笑顔になりました。

「これは宰相様……未来の皇太子妃殿下が長患い(ながわずらい)で起きられずにいらっしゃると伺って、心配でたまらず、名医を連れてまいりましたの。それなのに、この女中が、頑として妃殿下に会わせようとしないので、つい猜疑心(さいぎしん)が起きましたのよ。妃殿下は、本当に部屋の中にいらっしゃるのかしら、と――」

 公爵夫人はしたたかな人物でした。国の宰相相手にも、上目遣いで探りを入れてきます。宰相は表情を変えずに答えました。

「それはどういう意味でしょうかな、公爵夫人。セシル様は部屋の中においでです。通常より症状が重くなってしまわれたので、今もまだ起き上がれずにいらっしゃいます。セシル様に今、一番必要なのは安静です。公爵家のご親切は、後ほどセシル様や国王陛下にも充分お伝えさせていただきますので、今はお引き取りを願います」

 まあ! と公爵夫人はわざとらしく声を上げました。にんまりと笑ってから、こう言います。

「わかりました。それでは、妃殿下のお顔を拝見したら、失礼することにいたしましょう。妃殿下の無事を確認するまでは、心配で心配で、とても帰ることなどできませんから」

 妃殿下を連れてこられるものなら、やってみせてごらん、という表情です。

 ゴーリスは密かに舌打ちしました。トウガリもこの貴婦人の関心をそらす方法がないので、内心苦々しく思っていました。宰相と侍女長が必死で阻止するのを、心配しながら眺めるしかありません。

 

 すると、レイーヌ侍女長の背後で扉がきしんで、わずかに開きました。

「なんの騒ぎだ……目が覚めてしまったではないか」

 隙間から、男性のような女性の声が聞こえてきます。侍女長と宰相は驚いて振り向きました。ゴーリスとトウガリも、まさか、と耳を疑います。

 公爵夫人も驚いていましたが、すぐに我に返ると、扉へ飛びつきました。侍女長たちが止める間もなく、扉を押し開けてしまいます。

「妃殿下!? 妃殿下でいらっしゃいますの!?」

 と部屋をのぞいた公爵夫人の前に、長身の女性が現れました。長い金髪を束ねることなくたらし、白い夜着の上に毛織りのガウンをはおっています。それは、頬から顎にかけて白い布を回して、頭の上でしばったセシルでした。疲れたように扉にもたれて立ちながら、部屋の外の人々を眺めます。

「やれやれ……皆が集まってなんの騒ぎだ、いったい? うるさくて寝てもいられない」

 ま、まさか――と公爵夫人はつぶやきました。驚きのあまり、茫然と立ちつくしてしまいます。

 それへ目を向けて、セシルは言いました。

「あなたはどなただ? 私に何か用か?」

「あ――わ、私は――いえ、わたくしは、アーモック公爵夫人でございます、妃殿下――。そ、その、妃殿下がご病気と伺って、名医をお連れしたのですが――」

 しどろもどろで言う公爵夫人へ、セシルはそっけなく答えました。

「けっこうだ。私はもう峠を越した。ただ、回復に時間がかかっているだけだ。アーモック公爵夫人のお名前は覚えておく。ご心配ありがとう」

 セシルが胸に手を当てて一礼してみせたので、公爵夫人はまた目を白黒させました。男の挨拶ですが、板についていて、少しも不自然ではありません。それこそが本物のセシルだという証拠でした。夫人は顔色を失うと、医者を連れて、あっという間に退散していきました――。

 

 セシルがまた部屋の中に戻っていったので、宰相、侍女長、それにゴーリスとトウガリはその後を追いかけました。部屋の扉を閉めてから、宰相が尋ねます。

「アリアン様……ですか? それとも、キース殿でしょうか?」

 ここにいるのが本物のセシルのはずはありません。闇の民の二人のどちらかが、とっさにセシルに化けてくれたのではないかと考えたのです。

 すると、女性が答えました。

「キースは会議に出席している最中だし、アリアンは部屋にこもって透視をしている。ここに来られるはずはない」

 やっぱり口調はセシルにそっくりです。

 それでは!? と一同が驚くと、女性の後ろにもう一人の人物が現れました。青い長衣を着た大男で、手にはこぶだらけの杖を握っています。

「ま、みごとでしたな。この代役に、あなた以上の適任者はいなかったでしょう」

「そうかもな」

 と女性は答え、次の瞬間には姿が変わりました。白い長衣を着た女神官が現れます。

「白の魔法使い殿でしたか!」

 と宰相は声を上げ、レイーヌ侍女長は笑い出しました。

「まあまあ……私としたことが、すっかり失念しておりました。確かに、セシル様の代役は白の魔法使い様が適任でございます。これからは、セシル様にお呼びがかかったときには、白の魔法使い様にお願いすることにいたしましょう」

 すると、女神官は、にこりともせずに言いました。

「できるだけ少なく願いたい。あまりひんぱんでは、城を警備する任務に差し障るし、セシル様も、病人姿を人前にさらすのは、あまり嬉しく思われないだろうからな」

「いやいや。腫れた頬をしばって登場するあたりなど、芸が細かくてなかなか迫真でしたぞ。いっそ、ずっとセシル様の代役をしていても良いのではありませんか? あなたも久しぶりにのんびり休養できますぞ」

 と青の魔法使いが冗談を言って、白の魔法使いからにらまれます――。

 

 リーンズ宰相は、やれやれ、と安堵の息をつきました。

「これで問題はひとつ解決ですね。冷や汗をかきましたが」

「セシル姫と殿下が仲違いをして姫が国へ帰った、という噂は、これで消えていくだろう。側室騒ぎに熱を上げる貴族たちも、少しは頭が冷えるといいのだが」

 とゴーリスも言います。

「あとは、収穫感謝祭が無事に終わるのを待つばかり。期待通りいってほしいものでございますね」

 とトウガリは言って、一同へ大げさな道化のお辞儀をしてみせました。

 キースのオリバンと、アリアンのユギルが、大勢の前で大役を果たす感謝祭は、あと二日後に迫っていました――。

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