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第16巻「賢者たちの戦い」

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28.噂

 ロムド城の長い廊下を、オリバンに化けたキースが足早に歩いていました。

 すれ違う家臣や貴族たちが、廊下の端へ寄ってうやうやしく彼へ頭を下げます。キースはそれへ軽く会釈を返しながら城の奥へ向かって、やがてひとつの扉の前で立ち止まりました。扉の前に立つ二人の衛兵が、キースを見るなり敬礼をします。

「これは皇太子殿下。ユギル様に面会でございますか?」

「大変申し訳ありませんが、ただ今ユギル様にはお会いすることができません」

 キースは眉をひそめました。

「今朝、ユギルは挨拶の間に姿を見せなかった。具合でも悪いのか?」

 ロムド城では毎朝、城の重臣たちが国王へ朝の挨拶をしますが、そこにユギルが現れなかったので、心配して様子を見に来たのでした。ユギルの正体はアリアンですから、病気であれば普通の医者には治せません。

 すると衛兵は首を振りました。

「いいえ。ユギル様は今、大切な占いをなさっている最中です。結果が出るまでは、例え国王陛下であっても中にお入れしてはならない、と言いつかっております」

 占い? とキースはいっそういぶかしい顔になりました。命令を忠実に守って扉の前でがんばる衛兵たちへ、片手を振って言います。

「そうか。じゃあ、ちょっと通してもらおうかな」

 とたんに、二人の衛兵は凍りついたように動かなくなりました。直立不動の彫像のようになります。

「後で戻してあげるから」

 と言いながら、キースは扉を開けて部屋に入っていきました。

 

 扉の向こうには殺風景なほど簡素な居間があって、机の上に小猿のゾとヨが座っていました。ワシのグーリーは椅子の背に留まっています。ところがユギルに化けたアリアンの姿がありません。

「彼女はどこだ?」

 とキースが尋ねると、ゾとヨがすぐ駆け寄ってきて言いました。

「ダメだゾ、ダメだゾ、キース」

「入って来ちゃダメだヨ。アリアンは寝室で透視をしてるんだヨ」

「本当に透視をしていたのか。いったい何を見ているんだ?」

「知らない。でも、すごく難しい透視なんだ、って言ってたゾ。だから、誰も邪魔しちゃいけないんだゾ」

「途中で部屋に入ると、それでもう透視ができなくなって、また最初からやり直しになるんだヨ。だから、オレたちもずっとここで待ってるんだヨ」

 ゾとヨは奥の部屋に気を遣うように小さな声になっていました。グーリーがキースの前に飛んできて、ばさばさと翼を鳴らしてとおせんぼうをします。

「わ、わかったよ」

 とキースは言いました。居間に続く寝室の扉は、固く閉じたまま静まり返っていて、中からアリアンは現れません。キースは退散するしかありませんでした。

「ちぇ」

 またひとりで通路を歩きながら、キースは思わず舌打ちしました。

 もちろん、アリアンの透視の内容も気にはなるのですが、それ以上に、彼女から拒絶されたことにショックを受けていました。透視の内容くらい、ぼくにだって見せてくれていいのに、と心の中でアリアンに恨みごとを言います。なんだか、急に自分がひとりぼっちになって、胸の中まで空っぽになってしまったような感じでした。たったひとりで住んでいた闇の国の屋敷が、ふと思い出されます……。

 

 すると、そこへ娘を連れた貴婦人が通りかかりました。祝宴があるわけでもないのに、母子で豪華な衣装に身を包み、宝飾品で飾り立てています。

「まあ、これは皇太子殿下!」

 と貴婦人がキースを呼び止めて、娘と一緒にお辞儀をしました。

「どうなさいました、殿下。そんな仏頂面をなさって? 何か面白くないことでもございましたの?」

 いささかぶしつけな質問でしたが、キースは癖でにっこりと貴婦人たちに笑い返しました。

「いいや、そんなことはない。申し訳ないが、あなたたちはどなただっただろうか? お名前を忘れてしまった」

「まあまあ、殿下がわたくしたちのような下々の者に名前を聞いてくださいますなんて!」

 と貴婦人は甲高い声で言って、満面の笑みになりました。

「わたくしはラライル子爵夫人、こちらは娘のマデラでございますわ、殿下。娘はつい先日十七になったばかりでございます」

「初めまして、マデラ嬢。大変綺麗な方だ。お目にかかれて光栄に思う」

 とキースは片手を胸に当てて一礼しました。その姿がいかにも美しく立派だったので、令嬢が頬を真っ赤に染めます。

 子爵夫人はいっそう笑顔になると、キースへ身を乗り出すようにして言いました。

「殿下、よろしければ娘と庭園のお散歩などいかがでございます? 美しい庭を眺めておしゃべりをすれば、きっとお気も晴れますわよ」

「それはすばらしいな。迷惑でなければ、ぜひマデラ嬢にご一緒していただこう――」

 この後の時間にはまた会議の予定が入っていましたが、キースはそれを忘れることにしました。着飾った令嬢へ腕を差し出し、彼女が夢見るような顔つきでそこへ手をかけると、連れだって中庭のほうへと歩き出します。

「まあ、まあ、まあ――!」

 ラライル子爵夫人は顔いっぱいを笑顔にしました。笑いすぎて化粧が崩れてきますが、そんなことは気にしません。彼女の頭の中には、娘が皇太子に見初められて、城住まいになった姿が浮かんでいました。王や未来の王ならば、正妻の他に愛妾を持つことも認められるし、愛妾の地位は正妻の后に並ぶほど高くなります。そうなれば、親である自分たちも、子爵家の一族も、皆大変な出世をするでしょう。

「マデラや、殿下をしっかりものにするのよ」

 と夫人はつぶやくと、娘の首尾を確かめるために、二人の後を急いで追いかけていきました。

 

 一方、そんな様子を物陰から眺めていた貴族がいました。すぐさま城内のサロンへ行って、友人の貴族たちに見たものを報告します。

「皇太子殿下がそんなことを言われたのか? どうも殿下らしくないなぁ」

 と一同が驚くと、ひとりの貴族が言いました。

「いや、最近、殿下は変わってこられているぞ。前よりずいぶんと愛想が良くなっている。セシル姫と婚約されてから、人間がまるくなってきたんじゃないか、と皆が噂しているんだ」

 すると、別の貴族が腕組みして言いました。

「そのセシル姫なんだが、どうも妙だと思わないか? もう二週間も、誰の前にも姿を現していないんだからな。いくらおたふく風邪で顔を見られたくないからと言っても、二週間もたてば腫れはひくはずだ。それなのに、セシル姫はまったくどこにも現れないんだぞ」

「どういうことだ?」

 と友人たちから尋ねられて、その貴族は腕組みしたまま身を乗り出しました。

「ぼくはね――セシル姫はこの城にいないんじゃないかと思っているんだよ。密かにメイに帰ってしまったんじゃないかとね」

「どうしてまた?」

 とまた友人たちが尋ねます。

「その頃から、殿下の様子が急に変わられたからさ。今回に限らず、女性によく声をかけるようになっている。セシル姫がいない物寂しさから、そうしているんじゃないかと思うんだな」

「ははぁ。さてはセシル姫と喧嘩されたな」

「それで姫が怒ってメイへ帰ってしまったのか。ということは、殿下は今現在、約束された方がいない自由の身のわけなんだな」

「いや、まさか国同士で決めた婚約が、当人たちの喧嘩くらいで破棄されるはずはないだろう」

「だが、ロムドの妙齢の令嬢たちには、願ってもないチャンスが訪れたとことになるぞ。どうせ国同士の結婚は、ただの形式に過ぎないんだ。殿下の本当の奥方捜しはこれからになるわけだ」

「なるほど。ではさっそく我が家へ帰って、娘にはっぱをかけて来るかな」

「うちにも年頃の娘が二人もいる。今度の感謝祭に参列させよう」

「では、我が家でも――」

 サロンの中の貴族たちがいっせいに浮き足立ちます。

 

 そんな貴族たちのやりとりを、給仕の召使いが聞いていました。勤務時間が終わると城を出て城下町の自宅へ帰りますが、その途中で通りから路地裏へと曲がります。そこには間口の小さな薬屋がありました。押し戸をくぐって店内にはいると、眼鏡をかけた店主に挨拶をします。

「やあ、こんばんは。景気はどうだい?」

「ぼちぼちですね。そちらさんは、旦那? 城で何か面白い話はありましたか?」

 と店主が聞き返します。召使いはにやりとしました。店に他に客がいないのを確かめてから、話し出します。

「皇太子殿下の様子が変だ、と暇な貴族たちが大騒ぎをしているよ。殿下の婚約者のセシル姫は二週間も姿を見せていない。故国に帰ったんじゃないかともっぱらの噂だ。しかも、一番占者のユギル殿まで、ずっと引きこもりきりと来ている。何か起きていると俺はにらんでいるね」

「それを判断するのは、上の方たちですよ。旦那はただ事実を伝えてくだされれば、それで充分なんです」

 と薬屋の店主はやんわりとたしなめました。引き出しから銀貨を取り出すと、召使いの前のカウンターに置きます。

「また何かあったら知らせに来てくださいよ。いい内容なら高く買わせていただきます」

「いったい誰にとってのいい知らせかね? まあ、俺が言える義理じゃないんだが」

 と言いながら、召使いは銀貨をポケットにしまい込みました。じゃあな、と店から出て行きます。

 そこはサータマン王と裏でつながりのある店でした。眼鏡の店主は間者(かんじゃ)です。

「皇太子たちの様子がおかしい、か」

 とひとりごとを言いながら、店主は店の奥へ引っ込み、今聞いた情報を小さな紙に書きつけました。同じ部屋では、たくさんの鳩が籠の中で、グルル、グルッポと泣いています。ロムド城の情報は、いつも伝書鳩の脚につけられて、サータマン王のもとへと送られるのです。

 思いも寄らない方向へ転がり出した王宮の噂は、いつしか、本当に危険な相手までロムドへ呼び寄せようとしていました――。

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