フルートが突然、ぼくはここにいる! と言って飛び出していったので、仲間たちは仰天しました。ゼンが、あの馬鹿! と小さく叫びます。フルートは、女王に向かっていた怪物を自分のほうへ惹きつけたのです。
目玉の怪物がフルートを見つけました。
「いたァ!」
と甲高い声を上げて後を追ってきます。
フルートは岩屋から怪物をできるだけ引き離そうとして、じきに立ち止まってしまいました。あたりは大岩が重なり合っているうえに、霧で見通しが効かないので、行き止まりにはまり込んだのです。岩を登って越える暇もないので、フルートは背中から剣を引き抜いて振り向きました。怪物へ炎の弾を撃ち出そうとします。すると、怪物がフルートをにらみつけました。その瞳が赤く輝いたとたん、フルートの体が大きく跳ね飛ばされて、後ろの岩にたたきつけられます。
「フルート!」
とポポロが叫びました。戦うフルートの姿は霧の中ですが、彼女の魔法使いの目にははっきりと見えていたのです。その声に怪物が振り向きます。
「また声がしたァ……マダ人間がイルのか……?」
フルートはすぐさま跳ね起きました。激突の衝撃は魔法の鎧が和らげてくれていました。剣を構え直してまたどなります。
「おまえの相手はこっちだ! 間違えるな!」
駆け出し、怪物へ切りつけると、ふわりと怪物は浮き上がりました。眼球の体をぎょろりと動かして、フルートを見下ろします。
「変ダな……オレの波動を食らって、ナゼ、無事でイル?」
再び瞳が赤く光ったので、フルートは横へ飛びのきました。とたんに、フルートが立っていた場所で、岩が粉々に砕け散ります。
岩屋の方向から仲間が駆けつけてくる音が聞こえたので、フルートはまた言いました。
「来るな! こいつは眼光でものを破壊するんだ!」
仲間たちがあわてて立ち止まる気配が、霧の中から伝わってきます。
フルートは鎧の内側からペンダントを引き出して叫びました。
「光れ、金の石! あいつを消滅させるんだ!」
声に応えて、魔石が金に輝きます――。
ところが、光が届くより早く、怪物の姿が薄れて霧の中に消えました。聖守護石は霧を金色に染めましたが、その中から怪物は現れません。やがて石が光を収めます。
すると、霧の中から怪物が言いました。
「今のは聖なるヒカリ……聖なるヒカリを出す金色の石……そうカ、オマエは金の石の勇者カ!」
声が跳ね上がって、歓声に変わりました。
「知ってイルゾ! 金の石の勇者は願い石を持ってイル! オマエを食えば、オレの願いはなんでもかなうんダ――!」
霧の中から怪物がまた現れました。青い瞳がフルートをぎょろりとにらんで、赤く輝きます。フルートはまた見えない波動を食らって、後ろへ飛ばされました。岩にたたきつけられた拍子に兜が吹き飛び、頭を強く岩に打ちつけてしまいます。
「金の石の勇者……食ってヤル! 願い石を食えば、オレは最強! 世界中の人間はみんな、オレの餌になる……!」
怪物が嬉々として迫ってきました。フルートは頭を打ったので、目眩(めまい)がしてすぐには立ち上がれませんでした。地面に倒れたまま呼びかけます。
「金の石――!」
とたんに怪物はまた霧の中に溶けていきました。金の石がまばゆく光っても、どこからも怪物の悲鳴は上がりません。光が弱まって消えると、入れ替わりに姿を現します。
「無駄無駄……。オレ様はゲドン。霧や吹雪に棲んでイル。だから、聖なるヒカリはオレには届かない」
そう言って、ゲドンという怪物は、ケラケラと笑い声をたてました。同時に、その瞳の真ん中に肉色のトンネルが開きました。トンネルの入口は、白い牙がびっしりと囲まれています。そこはゲドンの口でした。血を流して倒れているフルートに襲いかかって、頭を食いちぎろうとします――。
すると、白い巨大な眼球の背中へ、剣の切っ先が飛び出しました。串刺しにされて、ゲドンの動きが止まります。剣を握ったフルートの右手は、腕の付け根まで怪物の口に入り込んでいました。倒れたままの恰好でゲドンの口の中を突き刺したのです。
次の瞬間、ゲドンは火を吹きました。白い尾を引く眼球が、燃えながら地面に落ちて、じゅくじゅくと溶けていきます。
それと同時に、あたりをおおっていた霧が晴れました。たちまち雲間から青空がのぞき、日の光が降りそそいできます。明るくなった岩場に、仲間たちと馬たちがいました。霧が晴れてみれば、意外なほど近い場所でした。
「フルート!!」
と仲間たちが駆けつけてきました。フルートは立ち上がり、にこりと笑って剣を収めました。その足元でゲドンが黒い燃えかすになっていきます……。
「フルート! フルート!!」
ポポロが真っ先に飛びついてフルートにしがみつきました。そのまま、わあっと声を上げて泣き出してしまいます。
「だ、大丈夫だよ、ポポロ。もう怪物はやっつけたんだから……」
とフルートが赤くなって言いますが、ポポロは泣きやみませんでした。彼女は戦いの一部始終を魔法使いの目で見ていたのです。ゼンが低い声で言います。
「ったく。ひとりで無茶するなって、何万回言ったらわかるんだよ、このすっとこどっこいは」
「まったくだ。単身で霧の中に飛び出していくから、駆けつけられなかったではないか。私は聖なる剣を持っていたのだぞ」
「私だって管狐を繰り出せたのに」
とオリバンとセシルも恨みがましく言います。
「ごめん」
とフルートが首をすくめていると、テトの女王が歩み寄ってきました。意外なほど真剣な顔でフルートを見つめて、その頭へ手を伸ばします。
「怪我をしておる……早く手当をせねば」
ああ、とフルートは額へ手をやって笑いました。
「大丈夫です。ぼくは癒しの魔石を持っているから、怪我はすぐに治るんです。なんでもありませんよ」
その手の下に確かに傷はもうありませんでしたが、流れ出た血が顎の先まで伝っていました。かなりの出血量です。かき上げた髪の先からは、焦げた髪がぱらぱらと落ちてきます。燃え上がった怪物の炎で火傷も負ったのです。
けれども、フルートは平気な顔で仲間たちに言いました。
「さあ、霧が晴れたから出発するぞ。まだ日没までには時間がある。今日中にこの峰を越えてしまおう」
と先頭になって馬へ駆け出します。待てよ! と仲間たちが後を追いかけます。
それを見ながら、テトの女王は言いました。
「なんでもないじゃと……? あれだけの怪我を負いながら? 癒しの魔石を持っていると、痛みも感じなくなるのか……?」
すると、その場に残っていたユギルが言いました。
「いいえ、女王陛下、あの石にそこまでの力はございません。負傷したときの痛みも、炎の熱さも、勇者殿は普通に感じておいでです。ただ、それを他者にはお見せにならないのです」
「何故じゃ? 熱いときには熱い。痛いときには痛い。そう口にするのが普通であろう。まして子どもであればなおのこと――」
「あの方たちは、子どもではありません」
とユギルは言い、いぶかしそうな女王の表情を見て続けました。
「もちろん、あの方たちの体は、まぎれもなく子どもです。生きてきた年月も、たかだか十四、五年――。ですが、あの方たちの精神は、すでに年齢よりずっと大人になってしまわれました。それが、金の石の勇者たちに科せられた定めなのでございましょう。闇の竜と戦うために、そうならざるを得なかったのです」
女王はしばらくの間、何も言いませんでした。賑やかに出発の準備をする少年少女たちをまた眺めます。
「いいかげん顔の血を拭きなったら! いつまでもポポロを心配させてるんじゃないよ!」
とメールがフルートを叱っていました。
「ポポロを泣かせたのはおまえなんだからな。責任とって泣きやませろよ」
と涙が嫌いなゼンが文句を言います。
「ワン、フルート、ポポロを抱いていったほうがいいんじゃないですか?」
「そうね。ついでにキスしてあげれば? ポポロもきっと泣きやむわよ」
と犬たちも言い、ええっ!? とフルートが焦った声を上げます。そんなやりとりだけを聞いていると、年相応の、ごく普通の少年少女にしか見えません。
「それが金の石の勇者の一行というものなのか……?」
と女王は言いました。どこか茫然とした響きの声です。
「左様でございます。だからこそ、昨日まで赤の他人だったテト国を救うために、こうしてミコン越えをなさっているのです」
とユギルは静かに答えます。
「確かにその通りじゃ……」
と女王は答えると、セシルに呼ばれて馬のほうへ歩き出しました。
全員が馬に乗ると、一行はまた出発しましたが、それから後、どんなに旅路が困難になっても、女王はもう一言もフルートたちに不満を洩らさなくなりました――。