「さあ、いよいよ来たぜ。山越えの開始だ」
一行の先頭に立っていたゼンが、仲間たちにそう言いました。弓矢を背負い、大きな黒馬に乗っています。栗毛の馬に乗ってすぐ後ろにいたフルートが、目の前の山々を見上げて言いました。
「やっぱりミコン山脈は険しいね……。まるで壁みたいだ」
「ワン、山の中腹あたりまで白くなってませんか? 雪が降り出しているんだ」
とフルートの鞍の前の籠からポチが身を乗り出すと、ゼンがまた言いました。
「この季節、山の上のほうはかなり寒くなってるからな。雨が雪に変わってるところもあるだろう……。寒くなってきたら、すぐ防寒具を着ろよ。山を甘く見ると、命をなくすぞ」
それは特にメールに向かって言ったことばでした。もうだいぶ標高が高くなって、気温が下がってきていたのですが、他の者たちはマントやコートを着込んでいるのに、メールはいつもの袖無しシャツに半ズボンという恰好でいたのです。ただ、さすがに足元だけは革のブーツにはき替えていました。
「いいじゃん、まだ寒くないんだからさ。雪が降ってきたら、ちゃんとコートを着るよ」
とメールが言ったので、ゼンがどなりました。
「それが山を甘く見てるって言うんだ! 例え夏場でも、山じゃ雨に体温を奪われ凍死することがあるんだぞ。気温が下がってきたら、すぐに着ろ!」
「わかってるったら。ホントにゼンは心配性なんだからさ、もう」
「馬鹿やろ! おまえが呑気(のんき)すぎるんだ!」
山の怖さを知る猟師のゼンと、海育ちのメールの間では、いつも見解がすれ違いです。
ポポロが手綱を握る馬の籠からは、ルルが後ろを振り返っていました。道などはありません。彼らは湿地帯の中を通り抜け、さらに森の中を西へ向かって馬を進めて、ミコン山脈の麓へ出たのです。彼らが今いる場所は、岩だらけの小高い丘ですが、眼下に広がっているのは、一面のブナの森でした。
「このあたりには人は住んでないのね。家も畑も全然見当たらないわ」
とルルが言うと、最後尾にいたオリバンが答えました。
「ロムドの辺境部は、ほとんどが人の住まない荒れ地や森なのだ。このあたりは湿地帯で隔てられているから、なおさら町や村はできにくい」
「ワン、ロムドは国土は広いけれど、人の住みにくい場所が多いんですよね」
とポチも言います。
テトの女王は異国の服の上に地味な色のマントをはおって、セシルの馬に一緒に乗っていました。同じようなマントを着たセシルが前に座り、女王がその腰につかまっています。山を登っていくのに、大柄なオリバンに女王が同乗しては、オリバンの馬が疲れてしまうし、フルートたちはいざというときに機敏に動かなくてはならないので、女王を乗せるわけにはいきません。ユギルとセシルのどちらの馬に乗せるかを話し合ったときに、女王自身が同じ女性のセシルのほうを選んだのでした。
女王を後ろに乗せて、セシルはずっと黙り込んでいました。テトはメイの仇敵サータマンの同盟国です。女王の話から、本当の意味でサータマンと同調しているわけではないとわかりましたが、それでも警戒と嫌悪の気持ちは消せません。そんなセシルの心情を、女王のほうでも察しているようでした。こんなことを言います。
「そなたは亡きメイ王の庶子(しょし)であるそうじゃな。敵側の女王であるわらわが、そなたを害すると疑っておるのか?」
庶子とは妾(めかけ)との間に生まれた子どもという意味です。
メイの王女は、そっけなく答えました。
「そんなことは思っていない。私はこう見えても軍人だ。あなたに私を殺すことはできない――その逆はできてもな」
わざと意地悪く最後の一言をつけ足しますが、テトの女王は動じませんでした。
「ロムド国王はテトの救出に協力を申し出てくだされた。そなたは未来のロムドの王妃じゃ。国王の決定に逆らうような真似はできぬじゃろう」
悪びれる様子もなく、セシルの腰に腕を回しています。
そんな女性たちに、ユギルが話しかけました。
「これからわたくしたちはミコン山脈を横断いたします。道案内はゼン殿。わたくしも道に迷うことのないよう注意いたしますが、なにぶん馬の上では占うこともできませんので、山中で何が起きるか予測がつきません。皆様からはぐれることのないよう、くれぐれもお願いいたします」
「わかっている」
とセシルはいっそうそっけなく答えました。ユギルが、くれぐれもお二人仲よくお願いします、と言っているように聞こえたのです。
一方、フルートたちは山を見ながら進路について話し合いを続けていました。
「山の上の方はともかく、中腹までは森が広がっているぞ。迷わずに進むことができるのか?」
とオリバンが心配すると、ゼンが大きく肩をすくめ返しました。
「俺とポチがいて、しかもユギルさんまでいるんだぜ。ぜったい迷子になんかさせねえよ。とはいえ、予想以上に木が混んでるよな。馬で越えるのは、かなり難儀になりそうだぞ」
「でも、あたいたち、前にミコン越えしてるじゃないか。赤いドワーフの戦いのときに、サータマンからジタンに抜けたじゃないのさ」
とメールが言ったので、ゼンはまた渋い顔になりました。
「季節が違うだろうが。あの時は春先だったから、山にまだ雪があって、逆に馬では進みやすかったんだよ。山の木は上の方に行くほど小さくなるから、馬でその中を歩くのは大変になるんだ。俺がいた北の峰には猟師道が何本もあるんだが、このあたりには人が住んでねえから、そういう山道もなさそうだしよ。進めるだけ進んで、あとは道を切り拓いていくしかねえだろうな」
「ぼくたちは急いで山を越えなくちゃいけないんだぞ。それじゃ間に合わない」
とフルートが真剣な表情で言って、山を見つめました。山越えの良い方法がないか考え始めたのです。
すると、ルルが後ろのポポロを見上げました。
「そうだわ、あなたの魔法を使えばいいのよ。ほら、堅き石を探しに行ったときに、進路の森や地面を消して通路を作って、継続の魔法で定着させたじゃない。あんなふうに道を作ればいいんだわ」
ポポロはたちまちとまどって、両手を頬に押し当てました。
「地下の堅き石まで通路を作ったときのことね。だけど、あれは道がそれほど長くなかったから……。この山脈に道を拓こうとしたら、とても時間がかかるわよ。あたしの魔法のほうが、先に時間切れになるわ……」
「ワン、それに、あの魔法ではまっすぐな道しか作れないから、登るのも大変になりますよね」
とポチも言いました。彼らの目の前にそびえる山は、斜面が切り立った崖になっていて、まるで壁が立ちふさがっているように見えます――。
けれども、フルートは考え込みながら言いました。
「いや、その方法は使えるかもしれない――。ポポロ、神の都のミコンに行くときに、白の魔法使いと青の魔法使いが、魔法で山の雪を消して通れるようにしたのを覚えているかい? あんなふうに、進路の木を消すことはできないかな?」
ポポロはますますとまどい、思い出す顔になって言いました。
「あの時はたしか、あたしたちが進む前の雪が消えていったのよね……。通り過ぎると、また道は雪におおわれたんだわ。……でも、あれはもともとそこに道があったのよ。何もない場所だと、あたしには、どこにどう道を作ればいいのかわからないわ……」
「ゼンの前に道を作ればいいのさ」
とフルートは言い続けました。
「ゼンはドワーフだから、どんなに深い山に入っても、絶対方角を見失わない。ゼンが行こうとする先に魔法で道を作っていけば、それが最短の山越えの道になるんだよ」
おっ、と一同は驚きました。相変わらず、奇抜な方法を思いつくフルートです。
ゼンが腕組みして言いました。
「俺のほうは問題ねえぞ。ユギルさんが教えてくれた山越えのコースは、しっかり頭にたたき込んであるからな。馬で進むことさえできるんなら、絶対迷わねえで案内してやる」
「ポポロ?」
とフルートは魔法使いの少女を見ました。
「あたしも……できると思うわ。ゼンの行こうとする先の森を消して、道を作ればいいのよね? ゼンと黒星が一緒に向かう方向に道を作ればいいんだわ……。ええ、きっとできる……」
「よし、それじゃ行こう! 出発だ!」
とフルートが声をかけたので、少し離れた場所で待機していたセシルと女王とユギルがやってきました。
「やれやれ、ようやく山越えじゃな。待ちかねたぞ」
と女王が皮肉っぽく言ったので、ゼンとメールとルルは、いっせいにむっとしました。女王は、彼らが険しいミコン山脈を見て臆病風に吹かれたと考えたのです。セシルも怒った表情で後ろをにらみます。
すると、ポポロが片手を上げ、その手を黒馬に乗ったゼンに向けました。
「ケラーヒオチーミヨリモノキサームススノシボロクトンゼー」
指先から緑の星が散り、ゼンと黒星に降りかかります。その光が消えないうちに、ポポロはまた言いました。
「ヨーセクゾイーケ!」
再び星が散って消えていきます。
「なんじゃ? 今のは何をしたのじゃ?」
と女王が目を丸くしましたが、フルートはそれには答えずに、全員に向かって言いました。
「行くぞ! ゼンの後に続いて、ミコンの山越えだ!」
おう! と少年少女と犬たちが言い、オリバンとセシルとユギルもうなずきました。ゼンが馬で丘を下り始めます。その先にはミコン山脈の斜面に続く森が広がっています。
すると、ゼンの行く手から森が消え始めました。大小の木が幻のように薄れて見えなくなり、後にちょうど馬一頭が通れる幅の道ができあがります。ゼンと黒星はその中へ進んでいきました。他の者も馬でそれに続きます。
「な、なんじゃ? 森が道を拓いて、わらわたちを通しておるぞ?」
女王の不思議そうな声も森の中へ消え、やがて道に木々がまた現れて、森は元の姿に戻っていきました――。