「ああ、やれやれ! やっと終わった!」
立派な衣装とマントをまとったオリバンが、そう言いながら部屋に入ってきました。そこはロムド城の一番占者ユギルの部屋でした。タペストリーひとつない殺風景な室内で、銀髪の占者がテーブルの占盤に向かっています。
オリバンは壁際のソファにどっかと腰を下ろすと、革張りの背に腕を載せ、大きな体をもたせかけました。
「まったく、忙しすぎるぞ、皇太子ってのは――! 朝八時から城の衛兵の謁見式(えっけんしき)に国王の代理で出席して、九時からは外国からの訪問客と、これまた国王の代理で会見して、十一時からは二週間後の式典を打ち合わせる会議に出席。午後二時からはまた別の客に逢って、やっとそれも終われば、もう三時半だ! この後、夕方からはまた予定が入っているし。一日中、ゆっくりできる時間なんてないじゃないか!」
それは皇太子のオリバンに化けたキースでした。文句たらたらの彼を、占者ユギルに化けたアリアンが、困ったような目で見ます。
そんなアリアンへ、キースは尋ねました。
「どうなんだい? オリバンたちは無事にフルートたちと逢えたのか?」
アリアンはまた占盤へ目を向けました。ユギルの占いの道具ですが、黒い大理石を磨き上げた表面は、まるで鏡のようになっていました。その上に乾いた荒野の景色が映っています。
「わからないわ」
とアリアンは答えました。男の姿と声で女ことばを話しているのが、なんとも奇妙です。
「確かに白い石の丘には近づいていたのだけれど、昨日の午後、急にその姿が見えなくなってしまったから。聖なる力の中に入ってしまったのだと思うわ……」
「聖なる力の中ってことは、つまり白い石の丘に入ったってことだな。じゃあ、無事にたどりついたわけだ。彼らには早く戻ってきてほしいな。こんなふうじゃ、こっちが参ってしまうよ」
とまたぼやいたキースに、部屋の隅で遊んでいたゾとヨが言いました。
「キースが参ってるのは、貴婦人とデートできないからだゾ」
「あんまり女の人に話しかけるな、って、昨日も宰相から叱られていたヨ」
「こ、こら! 変なことを言うな! そんなことあるもんか――!」
キースがあわてて二匹の小猿をたしなめ、アリアンが苦笑めいたものを漂わせました。その顔が淋しげなので、椅子の背に留まったグーリーが、心配そうに首をかしげます。
こほん、とキースはごまかすように咳払いをすると、改めてアリアンに話しかけました。
「君のほうはどうなんだい? 女の子なのに男のユギル殿に化けてるんだ。いろいろやりにくいだろう?」
アリアンは視線を伏せました。人と話すときに、すぐにそうやってうつむいてしまうのが、この少女の癖です。ただ、それは占者ユギルの姿でやっても、あまり不自然には見えない行動でした。
「私はいつもの生活とほとんど違いませんから……。部屋に引きこもって透視しているだけで、誰ともほとんど逢っていません。外に出るのは、国王陛下に朝のご挨拶をする時間だけです」
「まあ、君は占者だからそれでもいいわけだね――。でも、それなら、部屋にいるときには元の姿に戻っていてもいいんじゃないか? ぼくが君にかけた魔法は、君が望めばいつでも自分の姿に戻れるようになっているんだよ」
すると、アリアンが今度ははっきりと微笑しました。
「いつ誰が部屋に入ってくるかわかりませんから。その時に正体を見破られたら大変です」
「本当に真面目だなぁ、君は」
とキースは大きく手を広げて肩をすくめました。本物のオリバンなら、まずやりそうにないしぐさです。すると、ゾとヨがすかさず言いました。
「キースが不真面目なんだゾ。もっとオリバンらしくするんだゾ」
「そうだヨ。オリバンじゃないってばれたら大変だヨ」
「やれやれ。ゴブリンから説教されるなんて、世も末だよなぁ」
とキースがまたぼやいて、天井を仰ぎます――。
そこへ入口の扉をノックして、初老の男性が入ってきました。リーンズ宰相です。何故か少し青ざめた顔で部屋の一同を見回し、扉を閉めながら言います。
「良かった。皆様ここにお揃いでしたね。とんでもない知らせが入ってまいりました」
老宰相は明らかに動揺していました。いつも落ち着き払っている宰相には、非常に珍しいことです。どんな知らせ? とキースが聞き返します。
「皇太子殿下やセシル様とご一緒しているユギル様が、早鳥で文書を送ってこられたのです。無事に、ロムド国の南の外れで勇者殿たちと合流したと――」
「それはいい知らせだゾ」
「心配いらない知らせだヨ。どうして宰相は心配してるんだヨ?」
とゾとヨが言います。
リーンズ宰相は頭を振りました。部屋には彼ら以外誰もいないというのに、それでも声を落としてこう言います。
「ユギル殿の文書には、このまま勇者殿たちと一緒に、テト国へ向かうとありました。皇太子殿下とセシル様もご一緒です」
「なんだって!?」
とキースはソファから跳ね起きました。アリアンも驚き、あわてて占盤をのぞき込みました。鏡になった黒い石はまた荒野を映しますが、相変わらずフルートやオリバンたちの姿は見えません。
「まだ聖なる白い石の丘の近くにいるのね……私には見えないわ」
「殿下たちはテトの女王と合流されました」
とリーンズ宰相は話し続け、いつの間に? と驚くキースたちに頭を下げました。
「昨日の午後です。勇者殿とポポロ様が魔法で女王を迎えに来られました。陛下にはすぐに知らせがあったのですが、女王の不在を隠さなくてはならなかったので、キース殿たちにはお知らせできませんでした。殿下と勇者殿たちは、女王を連れてミコンを越え、テトの国へ向かうおつもりのようです」
「ちょ――ちょっと待ってくれよ!」
とキースはまた声を上げました。
「それじゃ、なんだい? ぼくとアリアンは、このままオリバンとユギル殿に化けていなくちゃいけないってことか? このままずっと――彼らがテトから戻ってくるまで!?」
「そういうことになります。どのくらいで殿下たちがお戻りになるか、見当がつきませんが、山越えをしてテトへ向かうとなると、半月やそこらではとても城に戻ってこられないだろうと……間もなく収穫感謝祭がありますのに!」
宰相はついに頭を抱え込みました。
キースとアリアンは絶句すると、宰相に劣らず青ざめた顔を見合わせてしまいました。
「たたた、大変だゾ!」
「こここ、これからどうなるんだヨ!?」
小猿に化けた二匹のゴブリンが、飛び跳ねながら大騒ぎをしていました――。