食事をすませ、後片付けも終わると、いよいよ彼らは出発の準備に取りかかりました。
と言っても、すでに装備も荷物も整っていたので、新たに準備するようなことはありません。おのおのが装備を確認して、荷物の紐や鞍の帯を締め直す程度のことでした。
フルートはいつもの金の鎧兜に真新しい緑のマントをはおり、襟元を赤い石のブローチで留めました。リュックサックは馬につけることができたので、二本の剣だけを交差させて背負っています。丸い大きな鏡の盾は、馬に乗るには邪魔になるので、荷物と一緒にしてありました。
ゼンもいつもの青い胸当てを身につけ、渋茶色のマントをはおっていました。その上から愛用の弓と矢を背負い、腰にはショートソードと青い小さな盾と荷袋を下げます。猟師のゼンは、馬がいても腰の荷袋は絶対に手放しません。中には携帯食や水筒、ロープなど、いざというときのための七つ道具が入っています。
メールは花のように色とりどりの袖無しシャツに、うろこ模様の半ズボン、編み上げのサンダルと、いつもとまったく変わらない恰好でした。九月末の日差しはまだ暖かかったので、防寒具を着る必要はなかったのです。肩から下げていた荷袋も馬につけてしまったので、すっかり身軽な様子になっています。
ポポロの黒い星空の衣は、いつの間にか青い上着と白いふくらんだズボンの、乗馬服に変わっていました。やはり、コートや荷袋は馬に積んで、軽快な姿になっています。
ポチとルルの二匹の犬は、特に準備するものも装備するものもなかったので、いつものままでした。それぞれの首の周りには、銀糸を編んだような首輪が巻かれていて、風の魔石が光っていました。ポチの石は緑色、ルルの石は青い色をしています。フルートとポポロの馬には、鞍の前に彼らが乗る籠も取りつけてありましたが、二匹ともまだそこに入るつもりはありませんでした。
「では、行こう」
とオリバンが呼びかけ、セシルとユギルがうなずきました。この三人は布の服にフード付きのマントをはおった旅姿です。
ところが、全員が自分の馬にまたがっても、ポポロだけは馬の手綱を握ったまま、地面に立っていました。宝石のような瞳を荒野の彼方へ向けて、そっと呼びかけます。
「おじさん……」
荒野の先には、広がる花野と、小高い丘にそびえる白い石の柱が見えていました。そちらへ向かって、ポポロは言い続けました。
「あたしたち、出発します。でも、もしも運命が許してくれるならば、またおじさんのところを訪ねたいと思います。おじさんも、体には気をつけて……」
人の何倍もの命を生きるエルフの賢者へ、お元気で、と言うのも妙なことかもしれませんが、ポポロは心からそう言っていました。丘は遠く離れていても、自分の声はエルフへ届いている、という確信もありました。
フルートたちは、馬上でいっせいに居住まいを正しました。
「本当に、いろいろ助けてくださってありがとうございました。行ってまいります」
とフルートが丘に向かって深く一礼すると、仲間たちがそれにならいます。二匹の犬も、地上から頭を下げます。
オリバンとセシルは顔を見合わせ、ユギルは色違いの目を細めました。どんなに目を凝らしても、彼らには花野も白い石の丘も見ることができません――。
ところが、一陣の風が運んできたように、突然彼らの目の前に一人の人物が姿を現しました。緑色の衣に長い銀の髪の男性――賢者のエルフでした。驚く一行に向かってこう言います。
「おまえたちは急がなくてはならない、勇者たち。敵は女王の動きに警戒して、計画を早めようとしている。間もなくテト国では内乱が始まるだろう。戦火が起きてからでは、おまえたちには阻止できない。おまえたちは最大限急がなくてはならないのだ」
フルートたちはいっそう驚き、馬から飛び下りると、ポポロと一緒にエルフへ駆け寄りました。
「女王のいるロムド城に急げ、っていうことですか!? それとも、ぼくたちだけでテトに直行したほうがいいんでしょうか!?」
とフルートが尋ねると、賢者は答えました。
「ロムド城までは、どんなに急いでも五日がかかる。そこから女王を連れてテトに向かっては、おまえたちは間に合わない。だが、女王を連れずにテトへ行けば、国民はおまえたちを信用しないだろう」
勇者たちはいっそうあわてました。
「それじゃ、いったいどうしろって言うんだよ!?」
「空を飛んで女王様を迎えにいけって言うわけ!?」
「ワン、それは無理ですよ!」
「そうよ。私たち、知らない人を乗せて飛ぶ事はできないんだもの!」
すると、ポポロは手を組んで考え込み、顔を上げてエルフを見ました。
「おじさん……あたしならば、できると思いますか? ロムド城まで空間を越えていって、女王様をここに連れてくることが……?」
少女は不安そうな顔をしていましたが、同時にとても強い目をしていました。だめかもしれない、という心配を、意志の力で克服しようとしているのです。祈るようにエルフを見つめます。
エルフは静かに言いました。
「ここからロムド城までは遠い。おまえにできなければ、この世の人間の誰にも、それはできないだろう」
できるのかできないのか、判断に悩むような言い方でしたが、ポポロはすぐにうなずきました。組み合わせた手をさらに強く握り合わせて言います。
「あたしやります、おじさん。ロムド城へ行って、テトの女王様を連れてきます――!」
「ぼくも行く、ポポロ」
とフルートが言いました。
「金の石の勇者はぼくだ。女王に話をして、一緒に来てもらおう」
ポポロは泣き笑いの顔になってうなずきました。見知らぬ人に会って説得するのは、ポポロには非常に難しいことだったので、とても安心したのです。
そんな彼らにエルフはまた言いました。
「女王を連れに行くには、この場所はあまり適当ではない。先ほど闇の怪物と戦った場所に近いからだ。ポポロ、星の花が群生している場所はわかるだろう。あれは光の花だから、おまえの魔法の手助けをしてくれる。あの場所で移動の魔法を使いなさい」
「はい、わかりました――!」
とポポロは言うと、花野に向かって駆け出しました。フルートがすぐにそれに並び、ゼン、メール、ポチとルルもその後を追って駆け出します。
急な展開に驚いていたオリバンが、やがて苦笑する顔になりました。走っていく勇者たちを見送りながら言います。
「もう行ってしまうのだな。ようやくまた逢えたと思ったのに……」
テトの女王をここに連れてくるならば、彼らがロムド城へ行く必要はなくなります。彼らはこの場所からテトへ向かうことになるのです。
「私たちはロムド城へ戻らなくては、オリバン。城のみんなが待っている」
とセシルが言いました。オリバンの心情を思いやって、慰めるような口調になっています。
ユギルも言いました。
「キース殿もアリアン様も、いつまでもわたくしたちの代役を務められるわけではありません。再来週の収穫祭までに戻らなければ、キース殿たちも城の皆様方も、大変な苦労をなさることになります」
「わかっている。まったく、皇太子というのは因果な役目だな」
と言って、オリバンは大きな溜息をつきました。行く手の荒野からはフルートたちの姿が消えていました。結界の中の花野に走っていったので、オリバンたちには見えなくなってしまったのです。オリバンは口を一文字に結ぶと、馬の背の上でうつむきました。
すると、まだ彼らの前に立っていたエルフが、静かな声で話しかけてきました。
「この地は、人が知恵や求めるものと巡り会うための場所だ。勇者たちのためにこの地までやってきたおまえたちにも、約束されていたものがある。受けとりなさい」
とたんに、オリバンとセシルの右手の中に何かが現れました。手を開いてみると、それは一対の指輪でした。全体が緑色を帯びた金属でできていて、小さな白い石がはめ込まれています。これは? とオリバンとセシルはエルフに尋ねようとして、急に顔を伏せてしまいました。突然、おそれ多い気持ちでいっぱいになってしまったのです。彼らを見ているエルフの瞳は、深い緑色をしていました。この世ではない場所から人の世界を見渡している、人ならざるもののまなざしです。
そして、一緒に馬を並べていたユギルも、オリバンたちと同じように目を伏せていました。エルフのようだと言われ、実際本当にエルフの血を引いている彼ですが、本物のエルフを前にすれば、やはり人間には違いなかったのです。何も言うことができなくなって、ただ馬の上で頭を垂れます。
そんな三人に、賢者のエルフは話し続けました。
「皇太子と王女はその指輪を常に身につけていなさい。いつかきっと、それに救われるときが来るだろう……。占者に約束されていた道具はない。おまえに必要なものを、おまえはもう持っているからだ。それを使って、勇者たちの未来を占いなさい」
えっ? とユギルは思わず顔を上げました。フルートたちの未来は、ユギルがどれほど集中して占っても、絶対に読み取ることができないものでした。ほんの少し先の出来事ならば見えるのですが、その先は霧に隠れるように渾沌としていて、彼らが将来どうなっていくのか、まったく見当がつかなかったのです。
ところが、その時にはもう、エルフはそこにいませんでした。ユギルの声に目をあげたオリバンたちと、あわてて周囲を見回しますが、どこにも賢者の姿は見当たりません。白い石の丘へ戻っていってしまったのです――。
ユギルは急いで馬から下りると、荷袋から黒い石の占盤を取り出しました。それを乾いた地面の上にじかに置いて、かがみ込みます。
同じく馬から下りたオリバンとセシルが、後ろからのぞき込んで言いました。
「フルートたちの未来を占うのだな?」
「彼らに何が起きるのだ?」
ユギルは磨き上げられた石の表面にじっと目を注ぎ、やがて、遠い声になって言いました。
「勇者殿たちはこれからテトへ向かわれます……その行く手で待つのは白い竜。竜が前脚に握る宝は、以前よりもっと黒く暗くなっております……。竜は宝の力で勇者殿を捕らえるでしょう。勇者殿の象徴は金の光。その輝きが消えていきます……」
厳かにさえ聞こえるユギルの声に、オリバンとセシルは、ぎょっとしました。象徴が消えるということの意味は、たった一つです。その恐ろしい予想を、占者はことばにしていきます。
「ガウス侯が勇者殿を捕らえます。勇者殿は、テトの国で命を落とされるでしょう」
乾いた風が荒野を吹き渡り、悲鳴のような音を立てながら、彼らのマントをはためかせていきました――。