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第16巻「賢者たちの戦い」

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第3章 賢王と女王

8.歓談

 「で、フルートたちはどうしているのだ? まだ白い石の丘に滞在しているのか?」

 ロムドの皇太子のオリバンは、丸テーブルの上でチェスの駒を動かしながら、そう尋ねました。非常に立派な体格の青年で、ただ椅子に座っているだけなのに、圧倒的な存在感を放っています。

 その向かいの席から、中背の青年が答えました。

「そうだ。彼らがそこから出発する様子を、アリアンがまだ見ていないからね。ずっとあそこに留まっているんだろう」

 こちらはいかにも女性にもてそうな、甘い顔立ちの美青年です。束ねた長い黒髪を背中へ払ってから、クイーンの駒をつまんで進めます。闇の国の王子のキースですが、人間に変身しているので、その肩や指先に翼や長い爪はありません。

 オリバンは、ふぅむとうなりました。

「彼らが闇の国を脱出してから、もう一月半がたつ。こんなに長い間、彼らが一箇所に留まっていたことはなかったのだ。何か悪いことが起きているのでなければ良いのだが」

 と言いながら、自分のキングの駒を後退させます。次の一手で王手をかけられそうになっていたのです。

「白い石の丘にいるのは、賢者のエルフなんだろう? 世界が今の姿になる前からこの世界に住んでいた、強力な魔法使いの直系だ。そんな人物のところで悪いことなんか起きないだろう」

 と言いながら、キースはポーンを進めました。詰みの形に持ち込もうとしたのですが、オリバンが言いました。

「いつでも油断は禁物だ。思いがけない方角から急襲されることがある――このようにな」

 離れた場所にいたビショップが一気にチェス盤の上を動いて、キースのポーンを倒しました。そこは、次の手でキースのクイーンを奪える位置でした。キースがクイーンで逆襲すれば、オリバンのキングにクイーンを倒されるし、キースがクイーンを逃がせば、今度は自分のキングをオリバンのビショップに倒されてしまいます。うぅん、とキースは声を上げました。どちらにしても、クイーンは無駄死にになります。

 

「キースがどう動いても、次の手で今度はオリバンのナイトがキングを襲う。キースの負けは時間の問題だな」

 とかたわらで勝負を眺めていたセシルが言いました。長い金髪を束ねた男装の麗人です。姿もしゃべり方も男のようですが、彼女はオリバンの婚約者、つまり、未来のロムド王妃でした。

「攻めに集中すると守りが甘くなるな、キース。実戦では命取りになるぞ」

 とオリバンが言って、キングの目の前に来たキースのクイーンを容赦なく倒しました。逃げに入ったキースのキングをナイトで追いかけ、これまた詰みへ持ち込みます。キースは両手を広げました。

「降参だ。どうしてもオリバンには勝てない。鉄壁の守りを作っておいて、隙を見て鋭く攻め込んでくるんだからな」

「経験が違う。こっちは、自分自身が生き残る訓練のためにやらされてきたのだ。チェスは用兵の基本だからな」

 とオリバンが答えます。幼少から暗殺者に命を狙われ、辺境部隊に身を寄せていた皇太子です。キースから誉められても、にこりともしません。

 

 そこは、ロムド城の一角にある、キースとアリアンの私的な居間でした。中央のテーブルでは青年たちがチェスに興じ、セシルが観戦していますが、壁際のソファでは、薄緑のドレスを着たアリアンが、小猿の姿のゾとヨに物語を聞かせていました。

「……長年戦っても決着がつかなかったので、人と巨人は話し合い、結局世界は人がもらい受けることになりました。巨人たちは大きな船を作って旅立ち、それきり戻ってきませんでした。今、この世界にいる巨人たちは、出発する時間がわからなくて、船に乗り損ねた巨人の子孫なのです」

 昔話が終わると、小猿に化けたゴブリンの双子は口々に尋ねました。

「船に乗って旅立った巨人は、どこに行ったんだゾ?」

「戻ってこなかった、ってことは、途中でみんな死んでしまったのかヨ?」

「いいえ。遠い遠い場所へ行って、そこに巨人だけの国を作って暮らしているんだ、って別のお話では言っているわ。とてもすぐれた技術を持つ巨人だったから、魔法の道具もいろいろ持っていたのですって」

 小猿相手に優しく話して聞かせるアリアンは、キース同様、闇の民の角や牙を消して、人間の姿になっていました。長い黒髪に灰色の瞳の、絶世の美少女です。それなのに表情はとても控えめなので、それが彼女をいっそう美しく見せていました。

 物語を聞きつけたセシルが首をひねりました。

「メイにも巨人の昔話はいろいろ残っていたが、そんな話は初めて聞いたな。巨人は昔は大勢いたが、長い年月の間に大半が死んでしまったと言われているんだ。なんだか珍しい話だ」

 それに答えたのはキースでした。

「北の大地のトジー族の間に語られてきた話だからだよ。あそこは一年中雪と氷におおわれた世界だから、彼らにとっては、火を囲んで昔話を語るのがなによりの娯楽なんだ。信じられないほどたくさんの物語が語り継がれているらしいよ」

 すると、アリアンが少し恥ずかしそうに言いました。

「トジー族には本もないですから……。文字はあるんですが、氷の板に染料を使って書くので、暖かい家の中には持ち込めないんです。物語はみんな聞いて覚えて語ります」

「なるほど、世界にはいろいろな生活があるものだな」

 とオリバンが感心すると、ソファの背に留まっていたグーリーが、キィ、と同意するように鳴きました。正体は巨大な闇のグリフィンですが、ロムド城では黒い羽根の鷹(たか)に化けています。

 

 そこへ、部屋の扉が外からノックされました。セシルが扉を開けると、長身の人物が立っていて、部屋の一同へ丁寧に頭を下げます。

「ご歓談中、申し訳ございません。少々お邪魔してもよろしゅうございましょうか」

 灰色の長衣を着た、長い銀髪の青年でした。頭を上げると、驚くほど整った浅黒い顔が現れます。ロムド城の一番占者のユギルでした。

「もちろん。遠慮なくどうぞ」

 とキースは答えました。ここはロムド王がキースとアリアンに貸し与えた部屋なので、キースが主人です。

 ユギルは部屋に入ると、セシルが扉を閉めるのを待ってから、話を切り出しました。

「実は、アリアン様に見ていただきたいものがあって参りました。恐れ入りますが、鏡で透視していただけますでしょうか?」

 この占者の青年は、いつも丁寧すぎるくらいの口調で話します。

 ほう? とオリバンが驚きました。

「中央大陸随一の占い師が、アリアンに透視を頼むのか? 闇のものでも占ってもらうつもりか?」

 すると、ユギルは穏やかに答えました。

「いいえ、殿下。闇ではございません。それに、占いと透視は、似ているようで、実は異なるものでございます。占い師たちはさまざまな媒体や象徴を通じて、過去や現在の出来事を知り、未来の動きなどを読み取りますが、透視者はあくまでも今現在、この世界で起きていることを見て取ります。しかも、アリアン様の透視力は非常に優れていて、細部にわたるまで克明に見ることがおできになる。……実は、わたくしの占盤に気になる象徴が現れております。ロムド国の南東の湿地帯に、ミコン山脈を越えて入り込んできた者たちがあるのですが、その正体が何者なのかを読み切れずにいるのです。……いえ、ひょっとしたら、という心当たりがないわけではないのですが、それがあまりに突拍子もないので、アリアン様に実際に見ていただければ、と思いまして」

「南東の湿地帯に侵入者だと?」

 とオリバンはいっそう驚きました。

「あんな場所を通って我が国に入ってくるなど、尋常ではないぞ。人が通れるようなまともな道はほとんどないというのに。わずかに、湿地帯の中央に細い道が通っているが、途中、休む町や村もない場所だ。旅行者が通るようなルートではない。迷い込んだわけではないのだな? その侵入者は、どの程度の人数だ?」

「ひょっとして、ロムドの侵略を企む他国の軍隊ではないのか?」

 とセシルも鋭く尋ねます。

 

 ユギルは首を振りました。頭の動きに合わせて、銀の髪が揺れて輝きます。

「いいえ、そうではございません、セシル様。その者たちがこの国に害をなすつもりがないことは、占盤にも現れております。ただ、正体がつかみきれないのでございます。アリアン様、鏡で見ていただけますでしょうか?」

 黒髪の少女はすぐにうなずいて立ち上がりました。居間の壁にかかった丸い鏡の前に行って、じっと目を向けます。

 とたんに、その銀の鏡面に、一つの景色が映り始めました。黒っぽい湿地帯を進んでいく人々です。彼らは緑の草が生える細道を、一列になって歩いていました。鎧兜をつけた戦士たちで、全員が大きな荷物を背負っています。

「やはり軍隊だぞ!」

 とセシルがアリアンの後ろから鏡をのぞいて声を上げました。戦士たちがいるのはロムド城から遠い場所ですが、その姿が克明に映し出されているので、思わず腰の剣を握ってしまいます。

「人の通らない場所を通って攻め込んできたのか! どこの国の軍隊なんだ!?」

 とキースも言います。その両肩には小猿姿のゾとヨが座っていましたが、一緒に鏡をのぞき込んで言いました。

「あの人間たち、宝物を持っているゾ」

「そうそう。あの大きな荷物はみんな金銀財宝だヨ。オレたちはゴブリンだから、お宝はすぐにわかるんだヨ」

 財宝? と一同は驚きました。オリバンが腕組みして言います。

「どこかで戦ってきて、戦利品を運んでいる途中なのか? だが、何故こんな場所を。それにどこの国の軍隊だ。このあたりでは見かけない装備だぞ」

 オリバンの知る戦士たちは金属製の鎧兜を身につけるのが普通なのに、この戦士たちの防具は、革や布の上に金属の小片が無数に留めつけてありました。兜もオリバンたちの兜とはだいぶ様子が違っていて、お椀型の金属の帽子の縁を布で巻いて、頭に留めつけています。

 すると、セシルが言いました。

「おそらくテトだろう。サータマンの東隣の国だ。以前、メイの捕虜になったサータマン軍の中にテトの兵士が混じっていたが、ちょうどこんな装備をしていた」

 ユギルはセシルへ一礼しました。

「わたくしの占いにも、彼らはテトから出発してきたと出ておりました。問題は、彼らに守られて行く人物なのでございます。アリアン様、ご覧になれますでしょうか?」

 とたんに、鏡の景色が大きく動きました。まるで鳥が羽ばたいていくように、兵士たちの頭を下に眺めながら進んでいって、隊列の中ほどで止まります。そこにはロバに乗った四人の女性たちがいました。全員が薄絹や刺繍をした布を使った美しい衣装を着ていますが、どの服も裾や袖が破れ、泥と埃で汚れています。一見捕虜の女たちのようですが、それにしてはおびえた様子がありませんでした。特に中央にいる中年の女性は、意志の強そうな目で行く手を見据えています。

 誰だろう? と鏡の前の一同は考えました。どう見てもただ者ではありません。

 

 その時、隊列の前の方から、異国風の長衣を着て布の帽子をかぶった男性がやってきました。中央の毅然(きぜん)とした女性へうやうやしく頭を下げてから、こう呼びかけます。

「あと二キロほど先に少し足場の良い場所がございます。そこで休憩をお取りになれますので、もう少々ご辛抱ください、陛下」

 アリアンの鏡は、映った人々の話し声まではっきりと伝えてきます。

「陛下だと!?」

 とオリバンは思わず大声を上げました。セシルも同じように叫んでしまいます。

「では、この女性はテトのアキリー女王か! そんな人物が、何故ロムドに!?」

 一同は驚き呆気にとられて、鏡の中を見つめてしまいました――。

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