ルルとフルートたちは、久しぶりの再会を喜び合った後、丘の地下にあるエルフの家に下りて行きました。最初に書庫にいたルルとポチは、また地下の家に戻ったことになります。
白い石の壁に囲まれた居間に入っていくと、エルフの賢者がもう来ていました。長い緑の衣の上に銀髪を光らせながら、一同に向かって言います。
「座りなさい」
居間には椅子がなかったので、フルートたちは敷物を敷いた床に座りました。思い思いに座ったのですが、自然とフルートのすぐ隣にはポポロが、ゼンのそばにはメールが、ポチの横にはルルが来ます。部屋の一方の壁には透き通った青い火の燃える暖炉があって、エルフはその前に立っていました。一同を見回してまた言います。
「ルルが元気になったので、おまえたちは闇の竜を倒す方法を尋ねたいと考えている。竜の宝とは何かということも聞きたがっている。だが、物事には順序というものがある。まず、自分たちのこれまでの旅路を振り返りなさい」
フルートたちは目を丸くしました。このエルフは、見た目はそれほど年取ってはいないのですが、白い石の丘に百年以上も住んでいて、この世のあらゆる出来事を理解しています。フルートたちの考えていることも、いつも手に取るように知っているので、それだけに、旅を振り返るようにと言われたことが意外でした。彼らはここまでもう充分に待たされてきたので、一刻も早く闇の竜について知りたいと思っていたのです。
すると、エルフが言いました。
「四年前、フルートとゼンとポチはこの白い石の丘までやってきて、神殿の中の闇の卵を破壊した。その後、おまえたちは仲間を増やしながら世界中を旅して、再びこの白い石の丘に戻ってきた。おまえたちはこの世界をちょうど一周したのだ。旅路を振り返ることには意義がある」
フルートたちは今度は顔を見合わせました。確かにエルフの言う通り、彼らは世界一周を終えたのですが……。
そんな彼らの目の前に、一枚の地図が現れました。緑の縁取りをした羊皮紙に、海と陸地が描かれ、国の名前が記されています。彼らが住んでいる世界の地図でした。一同はすぐに物珍しく地図をのぞき込みました。
「へぇぇ……これがオレたちの住んでる世界なのかよ。初めて見たぞ」
とゼンが言えば、フルートも真面目な顔でうなずきました。
「ぼくの学校には一枚だけ世界地図があって、校長室に飾ってあったんだけど、これとはずいぶん様子が違っていた気がするよ。陸の形も国の形も」
「あらそう? ちょっと不正確だし絵も荒いけれど、けっこう良くできているわよ、この地図」
とルルが言ったので、ポチが聞き返しました。
「ワン、ルルは世界地図を見たことがあるんですか? ぼくたちのところでは、地図はものすごく高価でなかなか手に入らないから、世界地図なんて、まず見かけないんだけど」
「いやぁね。私たち風の犬は、天空の国から地上へ貴族を乗せて飛ぶのよ。地上の場所がわからなかったら迷子になっちゃうじゃない。地図を見て覚えるのは当たり前のことよ。……この地図、右端がちょっと切れてるわね。イルダ大陸が途中までしか描かれていないわ。イルダ大陸の下のほうには、トムラムストって呼ばれる長い列島があるんだけど、それもないわね」
「トムラムストなら、あたいは知ってるよ。西の大海と東の大海がそこで区切られるんだ」
とメールが言います。
「これは人間が作った地図だからだ」
とエルフが静かに言いました。
「昔、とある魔法使いが、空へ『目』を飛ばして地上を観察したのだが、魔法ではそれを紙に写すことができないので、画描きに命じて地図に仕上げさせた。その過程で実物とずれが生じたのだ。だが、だからこそ、この地図はおまえたちでも持つことができる。天空の国の地図は、正確すぎるために、地上に持ち込むことが許されていないのだ」
フルートはちょっと驚いてエルフを見上げました。
「もしかして、この地図をぼくたちにくださるってことですか……? こんな貴重なものを?」
「私の元へ集まってくるものは、必ず役目を担っている。この世界地図は、おまえたちに手渡されるためにここに来たのだ」
とエルフが答えます。エルフの声はいつも深淵で厳かです。
少年少女と犬たちは、わっと地図に群がりました。自分たちのものだと思えば、がぜん興味が湧いてきます。頭をつき合わせながら地図をのぞき込んで、知っている地名を探し始めます。
「北の峰! 北の峰ってのはどこにあるんだよ!?」
「ワン、ここにロムドがあった! 中央大陸の真ん中ちょっと左よりのところ。北の峰はその北ですよ」
「おっ、あったあった! へぇ、こんな場所にあったのかよ。けっこう冷たい海に近かったんだな」
「あれ、西の大海がクロンゴン海、東の大海がユーラス海になってるね。これって人間たちの呼び名だろ。なんか変な感じがするなぁ」
「この地図は上が北で下が南、右が東で左が西よ。それなのに、海の呼び名は逆だってことのほうが妙よ。西の大海が東側に、東の大海が西側にあるんだもの」
「そんなことはないさ。あたいたちが住む海から見れば、ちゃんと東と西になってるんだから。あ、西の大海の真ん中に父上の島があった!」
「エスタもザカラスもメイもサータマンもミコン山脈もあるわよ……あたしたちが今までに行った場所は全部名前が書いてあるみたいね」
全員がてんでに地名を見つけては読み上げるので、部屋の中は非常に賑やかになっていました。収集がつかなくなってきたので、フルートが言います。
「それじゃ、ぼくたちが旅してきた順番に地図を見ていくことにしようよ。エルフに言われたようにさ」
「順番って言うと、俺の北の峰からか!」
「やだね、何言ってんのさ、ゼン! 最初に出発したのはフルートなんだから、ロムドからに決まってるだろ!」
やっぱり賑やかさは変わりません。
フルートは苦笑しながら、ロムド国を指先で示しました。
「そう、最初の冒険はこのロムドだった。黒い霧の沼も闇の神殿も、この白い石の丘も、全部ロムドの領地内にあったからね。でも、ユギルさんに仲間を見つけるように、って占いで言われて、まず北の峰まで行ったんだ。そして、ゼンと出会って、それから、沼地に行くまでの間にポチと出会った――」
「ワン、その次の冒険の行き先はエスタ国でしたよ。ロムドの東隣の。シオン隊長がフルートのところまで来て、見えない殺人鬼退治を頼んだんです。その途中で白い石の丘に立ち寄ったら、ポポロがいて――」
「一緒にエスタで戦って、最後には空の上の天空の国まで行ったのよね」
とポポロがポチの話を引き継ぎました。天空の国は世界地図には載っていませんが、懐かしそうにほほえみながら地図を見ています。
ところが、ルルはしょんぼり耳と尻尾を垂れました。
「風の犬の戦いでエスタを襲った殺人鬼は、私たちだったのよ……。私はその後もデビルドラゴンに取り憑かれて魔王になってしまったし、今回も……。私は天空の国の生き物なのに、とても闇が濃いんだわ」
「ワン、そんなことはない!」
「そうさ! 君は闇なんかじゃないよ!」
とポチとフルートが即座に言うと、エルフがうなずきました。
「そう、おまえは闇ではない、ルル。ただ、何度も闇と関わって、闇とのつながりが強くなってしまったために、闇のほうでおまえを覚えて、捕まえようとしたのだ。この一月半、おまえが受けていたのは、そのつながりを解くための治療だった。もう心配はない。闇はもう、おまえの心を見つけることはできないだろう」
エルフの声は、淡々と聞こえるほど静かなのに、どこかに力強さがありました。それに勇気づけられてルルが頭を上げると、ポチがその顔をぺろりとなめます。
「ねぇさあ、次行こうよ! 次はあたいと出会った謎の海の戦いなんだよ。父上の軍勢と一緒に海を渡ったよね」
とメールが陽気に言って渦王の島を指さしたので、一同はまた地図に注目しました。今度はゼンが懐かしそうに笑います。
「そうそう。この時には渦王の島から、東の大海の海王の城まで行ったよな。東の海が魔王に乗っ取られて、海の連中はみんななぞなぞしか言えなくされててよ。あんときの魔王の正体はゴブリンだった。なんて腹黒で心のねじ曲がった怪物だ! と思ったんだけどな――」
「同じゴブリンにも、ゾとヨみたいな、いい奴らもいた。ゴブリンだから、闇の怪物だから、絶対に悪いというわけでもなかったんだよね」
とフルートがしみじみと言います。
さらに一行は自分たちの旅の痕をたどっていきました。トジー族やトナカイの姿のロキやグーリーと出会い、雪と氷の中を駆け続けた北の大地の戦い。ロムドとザカラスの国境近くにあるジタン山脈へ、オリバンと一緒に堅き石を探しに行った願い石の戦い。ゼンが毒虫にかまれて死にかけた黄泉の門の戦いは、ロムド国の東の方にある、リーリス湖畔での出来事でした。この時、フルートとポチはゼンを救うために大砂漠を越え、ユラサイとの国境のシェンラン山脈まで、魔王レィミ・ノワールを倒しに行ったのです。
「で、ロムドの西隣のザカラス国へ、あの天然ピンク色の王女を助けに行ったのが、薔薇色の姫君の戦いだ」
とゼンが言ったので、メールが小突きました。
「そんな言い方するんじゃないよ。メーレーン王女は素直ないい子じゃないのさ」
「俺は嘘は言ってねえ。あんなおめでたいお姫様は見たことねえぞ」
とゼンは言い張りました。なんとなく、あんな馬鹿な姫は見たことがない、と聞こえるような言い方です。あら、とルルが言いました。
「でも、そのおかげでザカラスとロムドは和平を結ぶことができたんだ、ってオリバンが言ってたわよ。メーレーン王女とメノア王妃がザカラス城へ行って、喧嘩していたアイル王と息子の王子を仲直りさせたんですって」
へぇ? と一同は感心しました。薔薇の使節団事件、とロムド城で呼ばれている出来事ですが、彼らにはそこまではわかりません。
フルートはまた地図を見ながら言いました。
「その後、ぼくらは家を出て、デビルドラゴンを倒す手がかりを探すために世界に出た。その最初の事件は――」
「ワン、やっぱりロムド国の中の出来事でしたね。北の街道を仮面の盗賊団が襲ったから、オリバンやユギルさんと駆けつけたっけ」
とポチが尻尾を振って言います。
「次は神の都の戦いね……。ミコン山脈の一番高い山の上にある、宗教都市ミコンに行ったのよ」
とポポロが言いました。ミコン山脈はロムド国やエスタ国の下の方に、南の国々との間を隔てるように存在しています。
フルートは、仲間たちの言うとおりに地図をなぞりながら、話し続けました。
「その後は、サータマンに下って、それからまたミコン山脈を越えて、ロムドのジタン山脈に戻った。サータマンとメイの連合軍がジタンの魔金を狙っていたからね。赤いドワーフの戦いだ」
すると、ゼンが得意そうに、にやりとしました。
「今じゃ、ジタンは俺の故郷から移住したドワーフが守ってるぜ。ラトムたちノームも一緒だ。もう狙われる心配はねえ。で、次に行ったのが――」
「一角獣伝説の戦い。サータマンの西隣のメイに行って、ここでセシルと出会ったんだよね。そして、次がまた海。眼鏡の魔王が父上を連れ去ったから、ユード海峡を越えてジムラの入り江まで大遠征したんだ」
とメールが言います。ゼンが意外なほど立派に海の王の代理を務め、最後には渦王になることを断った事件です。
フルートはさらに地図をなぞりながら言いました。
「次は天狗さんやオシラさんたちに出会ったヒムカシの国、それからユラサイ国に渡って竜子帝やリンメイと出会って、おとぎ話から竜の宝という手がかりをつかんだ。その後、地図には載っていないけれど、闇の国へ行って、キースやアリアンたちを助け出して、そして――」
「そして、またロムド国の白い石の丘に戻ってきた!」
と仲間たちはいっせいに答えました。フルートの指は、あちこちへ飛びながら、完全に世界地図の上を一周していました。よくこれだけ旅をしてきたものだ、と誰もが改めて思います。
すると、エルフがまた静かに口を開きました。
「今から二千年あまり昔、今のエスタ、ロムド、ザカラスの三国は、中原の国と呼ばれるひとつの国だった。それが王の死に際して、三人の息子たちに分け与えられて、三つの国に別れたのだ。その時の呼び名が、東の国、西の国、そして要(かなめ)の国。ロムド国は、ロムドと呼ばれる前には要の国と呼ばれていた。文字通り、国々の要となる大切な役目を担った国で、その王の息子に、金の石の勇者のセイロスが生まれてきたのだ」
フルートたちはびっくりして、エルフの顔を見つめてしまいました。これは二千年前の光と闇の戦いに直接つながる、世界の歴史です。エルフはなんの前触れもなく、核心に触れる物語を始めたのでした――。