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第16巻「賢者たちの戦い」

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第1章 白い石の丘

1.花野

 春のように柔らかな日差しが降りそそぐ下に、花野がありました。

 赤、白、青、黄、オレンジ、ピンク、紫、薄緑……ありとあらゆる色合いの花が一面に咲き乱れて、美しい絨毯(じゅうたん)を大地に広げています。その上を風が吹き渡るたびに、花野は海のように波打ち、蝶たちが舞い上がり、花の香が遠くまで運ばれていきます。

 そんな中に少女が立っていました。長い緑の髪を後ろでひとつに束ね、色とりどりの袖無しシャツとうろこ模様の半ズボンを着たメールです。長身の体は痩せていますが、あちこち丸みを帯びたりふくらんだりして、最近ますます女性らしい体型になってきていました。その顔も、気は強そうですが、相変わらずの美人です。

 メールは両手を高く差し上げて、周囲の花野へ呼びかけていました。

「おいで、花たち! 大きな敵に対抗できるくらいの、大きな獣におなり!」

 とたんに、彼女の周囲で風もないのに花野がざわめき、花たちがいっせいに茎から離れました。ざぁぁ……と雨の降るような音を立てて空に舞い上がり、渦を巻きながら寄り集まって、獣の姿を作っていきます。それは身の丈が数十メートルもある巨大な象でした。花で作られた長い鼻を振り上げて、本物の象のように、バォォ、と鳴きます。

 すると、メールは片手を上げたまま、もう一方の手をさっと振って、また言いました。

「木の葉たちもここにおいで! 花象を援護するんだよ!」

 花がなくなって一面の緑になった野原には、あちらこちらに大きな木も生えています。その梢がざわめき出し、たくさんの木の葉が枝を離れて、花象のところへ飛んできました。虫のように群れを作って、象の周りを飛び回ります。

 メールはにっこりしました。満足そうな笑顔が広がります。

 

 そこへゼンがやってきました。背は低いのですが、がっしりした体格の少年です。大きな弓矢を背負い、腰に山刀を下げて、猟師の恰好をしています。魔力のある青い胸当てや丸い盾は、今日は身につけていません。

 ゼンは花象の周りを飛ぶ木の葉を見上げて、メールに言いました。

「すげぇな。とうとう花以外のものまで操れるようになったのかよ。やったじゃねえか」

 ことばは少し乱暴ですが、明るくて元気な声です。

 メールはゼンを振り向いて、ふふん、と得意そうに笑って見せました。

「この白い石の丘に来てから一ヵ月半、一日も欠かさず練習してきたんだもん、当然だろ」

「だが、おまえは花使いだろ? それなのに木の葉まで操ってるんだから、やっぱりすげえよ」

 遠慮することを知らないゼンは、誉めるときにも、遠慮なくまっすぐに誉めます。メールは顔を赤らめると、照れたように笑って手を振りました。とたんに花象が崩れて花に戻り、木の葉も元の木の枝へ飛び戻りました。茎や枝につながって、何事もなかったようにまた風に揺れ始めます。

 花の中に座って膝を抱えると、メールはゼンに話し出しました。

「前にさ、ポポロに言われたんだよ。あたいには、花だけじゃなく、植物全体に呼びかける力があるんだ、って。それを信じたら、海の王の戦いのときに、海草を操ることができた。だからさ、花だけじゃなく、草や木の葉なんかでも、あたいの言うことを聞いてくれるんじゃないかと思ったんだよ。なかなかうまくいかなかったけどね、昨日あたりから、ようやく木の葉が言うことを聞いてくれるようになったんだ」

 へぇ、とゼンはまた感心しました。

「おまえのおふくろさんは森の姫で、花使いだったんだよな? てことは、おまえはおふくろさんの力を越えたってことだ。大したもんだな」

「あたいのおじいさまは、どんな植物でも操れるんだよ。森の民の長老だから、草でも木でも花でも、みんな、おじいさまの言うことを聞くんだ。あたいは草や木はまだ無理だなぁ。花と、木の葉がやっとさ」

「木の葉が使えるだけでも、かなりの戦力じゃねえか。そら、これを返すぞ。充填(じゅうてん)完了だ」

 そう言ってゼンが左手首から外したのは、美しい腕輪でした。青く光る輪の上で、楕円形の石が深い青色に輝いています。

 メールは歓声を上げて、それを受けとりました。

「ありがとう、ゼン! すごい。みごとに青くなってるじゃないのさ!」

 すると、ゼンはちょっと苦笑して、メールの隣に座り込みました。

「予想より時間がかかったぜ。それこそ、一ヵ月半もかかっちまった。もうちょっと早く俺の力が移ってくれると思ったんだけどな」

 それは、海の気を蓄えることができる、魔法の腕輪でした。半分海の民の血を引くメールは、長期間、陸にいることができません。海から離れている間に体内の海の気が減っていって、やがては命さえ危なくなってしまうのです。腕輪は、そんな彼女に少しずつ海の気を渡してくれる命綱でした。メールが左の上腕にはめるのを見て、ゼンがほっとした表情になります。

 

 青く光る腕輪と石を指先でなでながら、メールがまた話し出しました。

「驚いたよねぇ。闇の国から脱出して、この白い石の丘までたどり着いてさ、ふっと見たら、この腕輪が真っ白になってたんだもん。石もずいぶん色が薄れて、水色になってた。これが完全に白くなったら危なかった、ってポポロが言ってたもんね」

 ゼンは肩をすくめました。その時のことを思い出して渋い顔つきになっています。

「闇の国で海の気が急激に奪われたからだ、ってエルフは言ってたよな。もうちょっと脱出が遅れてたら、ルルだけじゃなく、おまえまでまたぶっ倒れるところだったんだ。んとに、危なかったよな」

「もう大丈夫だよ。この花野はすごく力のある場所だから、ここから力をもらえたし、こうしてゼンも腕輪に力をわけてくれたんだしさ。これでまた、世界中どこにでも出発できるよ。――で、ルルのほうはどうなってるわけ?」

 七月の末、彼らは地下の闇の国まで友人たちの救出にいきました。そこは闇が濃く渦巻く場所で、天空の国のもの言う犬のルルは、すっかり具合が悪くなってしまったのです。聖なる力に守られた丘に来て少しは元気を取り戻しましたが、丘に住む賢者のエルフは治療が必要だと言って、ルルを彼らから引き離してしまいました。今はもう九月の半ばです。一ヵ月半もの間、彼らはずっとルルに逢えずにいるのでした。

「どうなってるのか、さっぱりわかんねぇ。エルフは相変わらず、時間がかかるから待ちなさい、ってしか言わねえしな」

 とゼンは答えて後ろを見ました。花野の中に小高い緑の丘があって、頂上に、いくつもの巨大な白い石の柱が、遺跡か何かのようにそびえています。エルフはそこに住んでいるのですが、丘全体が魔法でおおわれているので、ルルがどこで治療を受けているのか、ゼンたちにはわかりません。

 メールは溜息をつきました。

「ルルも早く元気になるといいなぁ。こうして準備は整ったんだしさ、早いとこ、デビルドラゴンを倒す方法を見つけに出発したいもんね」

「馬鹿、その前にエルフから話を聞かなくちゃならねえだろうが。それも後だ、って言って、まだ全然教えてくれねえんだからな」

 とゼンがいっそう渋い顔になります。

 白い石の丘に来てから、彼らはずっと待たされ続けていました。気が短いメールでなくても、いいかげん動き出したくて、じりじりしていたのです。

 

 けれども、日差しは二人の上に穏やかに降りそそいでいました。暦の上では九月ですが、この場所では季節がずっと春のままです。空は青く晴れ渡り、吹く風は爽やかで、花野に座っていると、ピクニックにでも来ているような、のんびりした気分になってきます。

 風が髪を吹き乱していったので、メールはどこからか小さな金の櫛(くし)を取り出しました。後ろでひとつに束ねた髪をほどいて、櫛でとかし始めます。その髪をまた風が持ち上げて、緑に輝く流れを作りました。少し胸を反らして髪をすき続けるメールは、日の光を浴びて、意外なほど女らしく美しく見えます。

 そんな彼女を、ゼンは横目で見ていました。いつの間にか、焦るような表情は消えて、ただじっとメールを見つめ続けます。

 すると、急に風向きが変わって、また髪を乱しました。やだ、とメールが顔にかかってきた髪を押さえます。

 とたんにゼンが動きました。櫛を持つメールの手首をつかみ、そのまま花の中に押し倒してしまいます。荒っぽい動作ですが、もう一方の手を素早くメールの頭の後ろに差し込んで、メールが地面に頭をぶつけないようにかばいます。

「や……ちょ、ちょっとゼン!」

 メールは焦りました。思わず抵抗しようとすると、逆に力任せに抑え込まれて、地面に押しつけられてしまいます。痛みに顔をしかめた彼女の上へ、ゼンがのしかかってきました。熱く光る目で見つめながら、顔を近づけてきます。いくらメールが押し返そうとしても、力では全然かないません。

 

 けれども、唇が唇に触れる直前で、ゼンは動きを止めました。メールを組み敷いた姿勢のまま、目だけを上に向け、そこで牙をむいている花の獣を見ながらメールに尋ねます。

「なんだよ、こいつは?」

「見てわかんないの? 花虎だよ」

 とメールが答えました。真っ赤な顔をしていますが、いつも通りの気の強い口調です。

「んなのはわかってる。なんでこいつを呼び出したんだ、って聞いてるんだ。俺たちは曲がりなりにも恋人同士なんだぞ。キスぐらいしたってかまわねえだろうが」

 とゼンが文句を言いますが、花虎が頭上で牙をむきだして唸っているので、無理に唇を重ねることができません。

 メールはいっそう赤くなって言いました。

「やだよ。なんか、絶対にキスだけじゃすまない気がするんだもん」

「なんだよ、それ!?」

 とゼンはメールの上から跳ね起きました。怒った口調ですが、図星をさされたようにゼンがぎくりとしたことを、メールは見逃しませんでした。花虎を近くに呼び寄せて、太い首に腕を回すと、虎はいっそう大きな声でゼンへうなりました。今にも飛びかかっていきそうです。

「ちぇ、相変わらずかわいくねえな、おまえは」

 そんな憎まれ口を残して、ゼンはすごすご退散していきました。たくましい後ろ姿が、しょんぼりと肩を落としています。

 花の獣を抱きながら、メールは口を尖らせました。

「どうせあたいはかわいくないさ――。あんたこそ、もうちょっと雰囲気ってのを大事にしたらどうなんだい。ホント、ゼンったらデリカシーがないんだからさ」

 と真っ赤な顔のままつぶやきます。

 雰囲気が良ければどうなっていたのか。

 ゼンはもうメールの声が聞こえない場所まで離れていたので、そのあたりを突っ込んで聞き返すことはできませんでした――。

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