ランジュールがフノラスドと消えていくと、部屋の中が急に広くなったように感じられました。シュウシュウとずっと聞こえていた蛇の息づかいも、もう聞こえてきません。部屋に残された一同は、あっけにとられてしまいました。誰も何も言えません。
ただ、ポポロだけは周囲に気をつけていました。フルートに後ろから腕を回し、身を乗り出してささやきます。
「闇王はこっちを見ていないわ。今のうちに脱出しましょう……」
フルートは我に返ると、仲間たちへ合図を送りました。行くぞ、と指で示して、そっと部屋から抜け出そうとします。
ところが、グランダー将軍がそれに気づきました。
「逃がさんぞ、金の石の勇者!」
と叫んで飛び出します。闇王もすぐに彼らへ手を向けてきました。フルートたちがフノラスドを奪ったとでもいうような、怒りに充ちた顔です。
すると、風の犬のルルの上で、ゼンとメールが素早く場所を交代しました。ゼンが後ろ向きで弓を構え、きりきりと矢を引き絞って放ちます。グランダー将軍が剣で矢を切り払うと、とたんに矢が火を吹きました。ユラサイの呪符を巻き付けた炎の矢だったのです。矢は次々に飛んできます。将軍が自分の前に障壁を張ると、ぶつかった矢が炎に変わって空中で燃え上がり、それが闇王と彼らの間をさえぎります。
「どけ、グランダー将軍!」
と闇王は言って、上昇しました。高い場所からフルートたちを攻撃しようとしますが、そこにもまた炎の矢が飛んできました。闇王が攻撃魔法を防御魔法に替えて、矢を防ぎます。
その間に一行は崩れた天井から外へ逃げ出しました。フノラスドの部屋は、城が建つ山の地下に作られていたので、山の中腹に飛び出します。城の尖塔や建物が、急斜面の上に見えています。
そこを目ざして飛びながら、ルルが尋ねました。
「この先どうやって進めばいいの!? どうやったらここから脱出できるのよ!?」
先ほどの脱出ルートの話し合いに、ルルたちは加わっていなかったのです。
ポチが並んで飛びながら答えました。
「ワン、闇の国から脱出する出口は、城の最上階の玉座の間にあるんだ。ポポロが、そこに通じる隠し通路の場所を覚えてた。道案内はアリアンがしてくれるよ」
そのことば通り、アリアンを乗せたグーリーは先頭を飛んでいました。吹き飛ばされないようにゾとヨが支えている鏡を、アリアンが見つめて言います。
「このまま私たちについてきて! 王の魔法攻撃を食らわないようにするわ!」
グェン!
グーリーが緊張した鳴き声を上げました。行く手に岩の壁がせり上がってくるのが見えたのです。侵入者を防ぐための、城の防御システムでした。
「避けろ!」
とフルートが叫び、グリフィンや風の犬たちが急上昇しますが、その行く手でも岩壁がせり上がっていました。先の壁より高くそびえます。越えようとすれば、上空をおおう闇王の呪いの魔法に捕まって、稲妻に撃ち落とされてしまいます。迫ってくる壁にメールが悲鳴を上げます。
すると、グーリーの背中でキースが身を乗り出しました。片手を突き出し、壁を見据えて言います。
「王族の通過だ! 道を開けろ!」
とたんに岩壁が行く手から消えました。グーリーもポチもルルも、すんなりと通過して、さらに頂上へと飛びます。
驚いて見つめるフルートたちに、キースはちょっと肩をすくめ返しました。
「だから、ぼくはこれでも王子なんだったら。城にぼくを止めることはできないのさ」
と言って、頬をかきます――。
その時、ポポロが後ろを振り向いて言いました。
「追っ手がきたわ! 将軍と親衛隊よ!」
この闇の国で、ポポロの魔法使いの目はあまり役に立ちません。国中にたちこめる濃い闇に、視界をさえぎられてしまうのですが、それでも近い場所ならばなんとか見通すことができました。その力で後ろを見張りながら言い続けます。
「フノラスドがいなくなったから、親衛隊員が戻ってきたのよ! 数は――百人以上よ!」
「大丈夫。ついてきて、こっちよ」
とアリアンが鏡で前方を見ながら言いました。グーリーがいっそう強く羽ばたき、ついに頂上に飛び出します。続いて頂上に出たフルートたちへ、アリアンは指さして見せました。
「あそこへ。あの間を通り抜けて!」
それは低い塔がいくつも建ち並んだ場所でした。一同はためらうことなく、そこへ飛び込み、塔の間をくぐり抜けていきました。通り過ぎていく塔は、古びた石でできていて、窓や入口はどこにもありません。ここは……とキースがつぶやきます。
そこへ、背後に空飛ぶ集団が現れました。親衛隊員が追いついてきたのです。ドルガやトアは手に手に魔法の武器を構えていました。逃げる一行を見つけると、いっせいに攻撃しようとします。
すると、先頭のグランダー将軍がそれを止めました。
「待て! あそこは幽閉の獄だ! 攻撃してはならん!」
親衛隊員が、はっとしたように手を止めます。
その様子をゼンが見ていました。
「連中、攻撃をためらったぞ。どうしたんだ?」
と首をひねると、キースが答えました。
「ここが王子や王女を幽閉している牢獄だからだよ――。この塔の一つ一つが結界になっていて、その中にぼくのきょうだいたちが閉じこめられている。魔力も野心も強い、本物の王族さ。外に出れば、すぐに闇王を倒して、自分が王にのし上がろうとする。牢獄が壊れて連中が出てくるかもしれないから、攻撃できないわけだ。――賢いね、アリアン」
キースにほめられて、黒髪の少女は思わず顔を赤らめました。
「私たちはこんなふうにして、ずっと追っ手から逃げてきたから……」
とだけ答えます。
「ねえさぁ、この先あたいたちはどこに行くわけ!?」
とメールが尋ねてきました。ポポロがそれに答えます。
「中庭に面した尖塔よ……。そこの黒い鉄の門をくぐって、通路を行き止まりまで進むと、隠された扉と通路があるの。この城が天空城とそっくりに造ってあったら、その入口や通路も、きっとあるはずなのよ」
言いながら、ポポロは急に不安になっていました。自分たちが今通過している牢獄の塔は、天空城の中にはないものでした。美しい花が咲き乱れ、鏡の泉と呼ばれる池がある庭園が、ここでは王族を幽閉する場所になっているのです。城自体も、天空城は光り輝く金と銀ですが、こちらの城は黒と金です。よく似ていても、まったく同じというわけではないのです。隠し通路や隠された塔は、本当にあるのかしら、と考えると、心配で泣きたくなってしまいます。
やがて、牢獄の塔を抜けた一行は、建物の密集した場所に飛び込みました。グーリーを先頭に、建物の間の細い隙間を通り抜けていきます。
後に続いて飛び込んだグランダー将軍と親衛隊は、すぐに大きく遅れ始めました。フルートたちは右へ左へと大きく向きを変えながら飛んでいます。それを追っていくと、すぐに建物や曲がり角に突き当たって、隊列が混乱してしまうのです。
「速度を落とせ! 前をよく見て飛べ!」
とグランダー将軍がどなり、追っ手はいっそう遅くなります。
「見えたゾ! 中庭の尖塔だゾ!」
とゾがアリアンの鏡を見ながら声を上げました。
「黒い門がついているヨ! 本当にあったヨ!」
とヨも言います。
一行がまた建物の間をすり抜け、右へ曲がると、行く手に鏡と同じ建物が見えてきました。正面に黒い門がある石の塔です。見張りはいませんが、分厚い扉がぴったりと閉じられています。
「こじ開けなよ、ゼン」
とメールが言い、よし、とゼンが行く手に向き直ると、その下からルルが言いました。
「あれはただの鉄の門でしょう? それなら私がやるわ。つかまっていて」
ひゅっと音を立ててルルは先頭に飛び出しました。ゼンとメールを乗せたまま塔へ突進していって、門の前でいきなり向きを変えます。とたんに風の音がまた鋭く響き、鉄の門に斜めの白い筋が走りました。筋の上と下で黒い扉がずれ、音を立てながら滑り落ちていきます――。
真っ二つになった扉が地響きを立てて地面に倒れました。ぽっかりと口を開けた入口へ、グーリー、ポチ、ルルが飛び込みます。その先に石造りの通路が伸びていました。大きなグーリーが翼を広げる幅はなかったので、グーリーは地面に下り立って、四本の脚で駆け出します。
通路の壁では、魔法の松明が燃えていました。通路に面して、いくつもの部屋があります。それは、三年前、フルートとゼンとポポロとポチが、魔王に呪われた天空城で見た光景とそっくりでした。その中をポチに乗って飛びながら、ポポロはいつの間にかつぶやいていました。
「お願い……お願いよ、あって……」
隠れた塔に続く隠された入口。それが行く手に本当にあるのかどうか、彼女の魔法使いの目でも見極めることはできません。
すると、フルートが後ろへ手を伸ばてし、ポポロの手をぎゅっと握りしめました。行く手を見つめたまま言います。
「大丈夫だ。ここから脱出する扉は、必ずあるよ」
強く信じて揺らがない声です。今にも泣き出しそうになっていたポポロは、涙をこらえて、うん、とうなずきました。
行く手に壁が現れました。通路はそこで行き止まりでした。
石を積み上げて造った一面の壁の前で、一同は立ち止まりました――。