闇王の呼びかけに応えて、閉じられた部屋に親衛隊員が現れました。四本腕のドルガたちが数十人と、それを率いる六本腕のルー将軍です。部屋の中にフルートたちがいるのを見て、目をむきます。
「貴様ら、何者だ!? どこから入り込んだ――!?」
闇王が答えました。
「王都の門の前で、グランダー将軍が血眼で探している連中だ。地上の人間たちは、金の石の勇者の一行と呼んでいる」
「金の石の勇者!? こんな小僧どもが!?」
ルー将軍だけでなく、部下のドルガたちまでが驚きます。
フルートは剣と盾を構え、背後にアリアンとゴブリンたちをかばい直して言いました。
「ぼくたちを約束通り解放しろ! ぼくたちは友だちを助けに来ただけだ! おまえたちと戦うのは本意じゃない!」
「聞けぬな。金の石の勇者は我々闇の敵だ。闇の国へやってきたからには、命などあるはずがない。まとめておとなしくフノラスドの生贄になるがいい」
と闇王が言いました。その瞬間、ちらりとルー将軍へ目配せをします。
とたんに、ゼンは、ちりっと刺すような痛みを首の後ろに感じました。フルートも王の目配せに気がつきます。
「やべえぞ!」
「ポチ、ルル、グーリー!」
少年たちが声を上げると、その足元の床がいきなり傾きました。石畳が磨き上げられたガラスに変わり、中央の斜面とつながってしまいます。部屋は床がすべて斜面に変わったのです。中心にフノラスドの穴があります。
ルー将軍は翼を広げて飛び上がっていました。ドルガたちもとっさに舞い上がります。ところが、逃げ遅れたドルガは飛び立てなくなっていました。ガラスの斜面を滑り落ち、次々と穴に呑み込まれていきます。
「ナナジュウク、ハチジュウ、ハチジュウイチ、ハチジュウニ――!」
地響きのようなフノラスドの声が数を唱えます。落ちていったドルガたちを、生贄として食ったのです。
フルートたちはすんでのところで宙に逃げていました。風の犬のポチの上にはフルートとポポロが、ルルの上にはゼンとメールが、グーリーはアリアンとゴブリンたちを乗せ、キースは自分自身の翼で舞い上がっています。
「部下を道連れに、ぼくたちを殺そうとしたな――!」
とフルートは言いました。怒りに声が震えます。
ワン、とフルートの下でポチが言いました。
「闇王は最初から部下も生贄にするつもりだったんですよ! こんな仕掛けがあったなら、親衛隊なんか呼ばずに、ぼくたちだけ穴に落とせば良かったんだから!」
闇王も翼を広げて宙に飛び上がっていました。黒い翼を打ち合わせながら言います。
「フノラスドは間もなく目覚める。生贄を集めるのに、これ以上時間をかけるわけにはいかぬからな。――奴が目覚めるたびに繰り返されてきたことだ。足りない生贄は、城の家来で補う習わしなのだ」
「馬鹿な! そんな真似をしたら、闇王は国中の民の呪いを受けるぞ!」
とキースが叫ぶと、王は冷笑しました。
「父を心配するか、キース? 案ずる必要はない。ここでの出来事は外には決して洩れぬ。ここで死ぬ者たちは、すべて金の石の勇者に殺されたことになるのだ。無論、おまえたちも、残らずフノラスドの生贄になるのだがな」
王の横で羽ばたいていたルー将軍が、王に向かって不平を言いました。
「いたしかたないとは言え、あまりやっていただきたくないことですな。ここに率いてきたのは、私の部下の中でもえり抜きの者ばかりです」
「優秀な人材をトアから募って補えば良かろう。それとも、おまえが代わりにフノラスドの生贄になるか?」
いっそう冷たく王から聞き返されて、将軍は青くなって首を振ります。
闇王はキースに向かって話し続けました。
「闇の民は普段、他人と協力するということをしない。力の強い者が上にいるときに、服従して集団になるだけだ。ところが、そんな闇の民が、生贄の恐怖に対してだけは、自ら一致団結するようになる――。生贄の理由が罪人だからということならば、彼らも動かん。罪人として捕まらないように、うまく立ち回れば良いのだからな。だが、なんの理由もなく王が誰かを生贄に命じると、状況は一転する。次は自分の番かもしれない、という恐怖にかられて、民は一丸となって抵抗を始めるのだ。闇の民全員の呪いを一身に受ければ、闇王の私であっても太刀打ちはできん。だから、私は表だっては、民に生贄の命令は下さない。何かしらの理由を作って、城の者を生贄に送り込むのだ」
キースもフルートたちも、思わず歯ぎしりをしました。あまりにも傲慢で勝手なやり口です。けれども、相手は自分のそんな歪みに少しも気づいていないのです。
大きな円形の天井近くを飛びながら、ドルガたちが大騒ぎをしていました。部屋は閉じられていて、逃げ道はありません。フルートたちではなく、仲間のドルガに襲いかかって、相手を突き落とそうとします。
「生贄は貴様だ!」
「貴様のほうこそ、とっとと生贄になれ!」
「どけ! さっさとフノラスドの穴に行くんだ!」
「俺は生贄などまっぴらだ! おまえこそ早く落ちろ!」
空中で争い合い、組んずほぐれつをしたあげくに、一緒に墜落していくドルガたちもいます。一度床に落ちたドルガは、もう飛びたつことはできません。悲鳴を上げながら斜面を滑っていって、穴に消えていきます。
「ハチジュウサン、ハチジュウシ――」
フノラスドが数える生贄の数が、次第に百に近づいていきます。
ルー将軍の声が部屋に響き渡りました。
「馬鹿もん! おまえたちだけで生贄を充たすつもりか! まず金の石の勇者どもをたたき落とせ!」
その命令にフルートたちへ向かった者もありましたが、大多数は仲間同士で争い続けていました。彼らの幾人かは、間違いなくフノラスドの生贄になるのです。その枠を仲間のドルガで埋めようと必死になっています。彼らを突き動かしているのは恐怖です。上官の命令もなかなか届きません。
襲ってくるドルガをかわしながら、ゼンがうなりました。
「この――阿呆ども――。闇王たちのいいようにされているのに、気がついてねえ」
ドルガたちに同情する気はないのですが、味方を策にはめる闇王のやり方が許せませんでした。その後ろでメールも真っ青になっていました。
「こんな王ってあるかい……! 家来をだまして怪物に与えるだなんて、そんな王って……!」
また、争いの果てに一人のドルガが床に落ちました。剣で腹を刺されていたので、血の痕を斜面に残しながら穴に消えます。
「ハチジュウゴ――」
とフノラスドが言います。
突然、空中のドルガの一人が金切り声を上げました。四本の腕に武器を握り、猛烈な勢いで飛び始めます。向かった先は、フルートたちではなく、闇王でした。
「死ね、闇王! おまえがフノラスドの生贄になれ――!」
剣と槍で、王を貫こうとします。
ところが、闇王は姿を消し、次の瞬間まったく別な場所に現れました。
「王に刃向かった者は罰を受けよ」
冷ややかな声と共に、襲いかかったドルガの胸で爆発が起きます。鎖で巻き付けていた階級章が、突然破裂したのです。ドルガがフノラスドの穴へ真っ逆さまに落ち、また声が響きます。
「ハチジュウロク――」
闇王がドルガたちへ言いました。
「金の石の勇者たちを倒してフノラスドへ与えるのだ。勇者を倒した者は、生贄から免除するぞ」
とたんに、彼らはフルートたちを見ました。赤い目をぎらぎらさせて突進を始め、近くの仲間につかみかかって引き戻します。今度は自分が先に勇者にたどり着こうとしたのです。ドルガ同士で剣をふるい、魔法を撃ち出し、再び血みどろの大混乱に陥ります。その姿は、願い石を狙って争う闇の怪物たちにそっくりでした。たちまちまた二人が落ちて、穴に呑み込まれていきます。
「ハチジュウシチ、ハチジュウハチ――」
フルートはポチの上からそれを見ていました。激しい憤りに全身が震えて、抑えることができません。ドルガたちに向かって大声を上げます。
「やめろ! 闇王の策略にはまっているんだぞ! やめろ――!!」
けれども争いは止みません。ハチジュウク、とフノラスドがまた言います。
フルートは唇をかみしめ、後ろのポポロを振り返りました。
「ここを壊すんだ、ポポロ! あの争いをやめさせてくれ!」
えっ、とポポロとポチは驚きました。フルートは、ポポロに魔法を使えといっているのです。
「ワン、そ、そんなことをしたら――」
「あたしの魔法はあとひとつしか残っていないのよ。それを使ったら、あたしたちは闇の国から脱出できなくなるわ!」
けれども、フルートは強く繰り返しました。
「あの馬鹿げた殺し合いをやめさせるんだ! 脱出のことは後で考える! やれ、ポポロ!」
キュウジュウ――と声がまた響きました。フルートが顔を歪めます。自分自身が怪物に食われつつあるような、激しい苦痛の表情です。
ポポロは泣き出しそうになりました。一度目を閉じ、またすぐ目を開けてフルートを見つめます。
「わかったわ、フルート……」
「ワン、ポポロ!?」
ポチがまた驚きますが、ポポロはもうためらいませんでした。片手をポチの背中から放し、まっすぐ上へ向けて呪文を唱えます。
「ロレワコーヨヤヘノードスラノフ!」
ポポロの華奢な指先から、緑の星が散っていきます。
とたんに、堅固な石造りの部屋が、地震のように揺れ始めました――。