「なんだ――何が起きたんだよ!?」
とゼンがどなりました。
ここは闇の城の外へごみを捨てるための地下通路です。途中の岩壁に避難所のように作られたくぼみで、一行はうろたえ、立ちすくんでいました。彼らの目の前でルルが黒い霧に包まれ、大きな黒い翼に変わって消えていったのです。翼を引き止めようとしたポチも一緒です。
「ルル!! ルル――!!」
ポポロが半狂乱で呼んでいました。ポポロにとって、ルルは姉のように大切な存在です。
フルートが振り向いて言いました。
「アリアン!」
誰もいなかった場所に黒髪の少女が現れました。姿隠しの肩掛けを外したのです。手にした鏡を見ながら言います。
「ルルとポチは闇に連れ去られたのよ。とても深い闇。私にも追いかけることができないわ」
「じゃ、闇王のしわざ!?」
「ルルとポチは闇王にさらわれたのか!?」
メールとゼンが口々に尋ねると、アリアンは首を振りました。
「いいえ、それなら鏡で追いかけられるはずだわ。追いきれなくても、途中までなら見えるはず。でも、彼らの行く先はまったく見えないのよ。完全にこの世界とは違うところへ連れていかれたんだわ――」
鏡の向こうに、黒く渦巻く霧だけが見えていました。その先を見通すことは、アリアンにもできません。ただ、暗く強大な闇の気配が感じられました。言い知れない恐怖に、アリアン身震いします……。
フルートは唇を血がにじむほどかみしめました。ついに泣き出してしまったポポロを抱き寄せて言います。
「ポチが一緒に行った――。大丈夫。きっとポチがルルを連れ戻してくる」
根拠は何もありません。何故、こんな事態になったのかもわかりません。それでも強く信じる声で言い切ります。
一同はアリアンの鏡に映る霧の渦を茫然と見つめ続けました――。
黒い翼が薄暗い空間に倒れていました。本体のない、ただの二枚の翼です。もがくように羽ばたきますが、飛びたつことができません。黒い羽根が虚しく地面をたたきます。
すると、黄昏時(たそがれどき)に似た暗がりから声がしました。
「コレハ珍シイ。ソチラカラヤッテ来タカ、るる――」
地の底から響くような声です。翼は、びくりと震えました。いっそう激しく羽ばたきますが、やはり飛び立てなくて、また倒れます。
そこへ声の主が姿を現しました。馬ほどの大きさの四枚翼の竜――デビルドラゴンです。いつもの影の姿ではなく、黒いうろこにおおわれた実体になっています。
「ホウ、闇ノ国ニイルノカ、るる。何故ソンナ場所ニイル?」
竜に尋ねられても、翼は答えませんでした。ただそこから逃げようと羽ばたき続けます。
「無駄ダ。ココハ我ノ管轄。闇ハ出テイクコトガデキナイ」
とデビルドラゴンは答え、改めて翼を見つめました。すぐそばにいるのに遠い場所から響くような声で言い続けます。
「闇ノ国ハ闇ノ姿ヲ呼ビ起コス。以前、我ハオマエニ宿ッテ、オマエヲ魔王ニシタ。闇ノ国ニ行ッタタメニ、ソノ姿ニ戻ッタノダ。オマエハ今モ闇ニ属シテイタノダナ、るる」
翼はばさばさと、いっそう激しくもがくと、急にその形を変えました。茶色の毛並みの雌犬に戻り、牙をむいて叫びます。
「違うわ! 私は闇なんかじゃない! 私はもう闇には戻らないって決めたんだから――!」
「デハ何故ソノ姿ニナッタ、るる」
とデビルドラゴンが言いました。薄暗がりの中、どこからも光は差していないのに、全身でうろこが黒々と光っています。
「闇ノ国ハ闇ノ姿ヲ明ラカニスル。オマエハ闇ノ翼ニナッタ。オマエガマダ闇ノ仲間ダトイウ、動カヌ証拠デハナイカ」
「違う!!」
とルルはさらに大声で叫びました。自分の声で相手の声を打ち消そうと言い続けます。
「私はルルよ! 光の戦士の一員よ! フルートたちが闇から助け出してくれたんだもの! もう絶対、闇には戻らないのよ!!」
すると、デビルドラゴンが首を伸ばしました。キァァァ……と鋭い鳴き声を上げると、とたんにルルは倒れました。たちまちその体が輪郭をなくして、犬から黒い翼に戻ってしまいます。
音をたてて地面でもがく翼に、竜は言いました。
「見ロ、るる。我ノ声ニ、オマエハ応エタ。オマエノ本質ハ、ヤハリ闇ナノダ。一度闇ニ染マッタ者ハ、モウ二度ト闇カラ逃レラレナイ。イクラ光ニ戻ッタヨウニ見エテモ、永久ニ闇ノ仲間デアリ続ケルノダ」
違う! と言うように、翼がまた羽ばたきましたが、やっぱり飛びたつことはできません。
闇の竜は冷ややかに言い続けました。
「オマエノ近クニハ、ふるーとタチガイルハズダ。彼ラハイツモ我ノ邪魔ヲスル。彼ラヲ殺サナクテハナラナイ。モウ一度、我ノ器トナレ、るる。我ハオマエニ無限ノチカラト、オマエノ望ムモノスベテヲ与エヨウ。サア、るる――我ニソノ体ヲヨコスノダ」
闇の竜がいきなり見上げるように巨大になりました。コウモリそっくりな四枚の翼を打ち合わせると、どっと強い風が起きます。
すると、地面の翼がまたルルになりました。今度は完全には戻れません。半分羽のままの姿で、風に逆らって頭を上げ、必死で叫びます。
「嫌よ――絶対に嫌――! 私は闇なんかじゃない! 死んだって――もう絶対に闇には戻らないんだから――!」
キァァァ。
デビルドラゴンの声で、ルルの姿はまた消えました。薄暗がりの中、地面でうごめいているのは、黒い羽毛におおわれた二枚の翼です。
竜は、ばさりと宙に舞い上がりました。すすり泣くような声をたてている翼に、ゆっくりと近づいていきます――。
そこへ、突然一匹の犬が飛び込んできました。後ろに翼をかばい、竜に向かって激しくほえたてます。
ウォンオンオンオンオン……!!!
それは白い雄犬でした。ポチではありません。ルルより二回りも大きな大人の犬です。
闇の竜は驚いたように後ずさりました。翼がまたルルに戻って、雄犬へ言います。
「あなたは……!」
いつか、ザカラス城で魔法使いのジーヤ・ドゥからルルを救ってくれた雄犬だったのです。ルルと同じ風の首輪をしたもの言う犬でした。今も、その首には銀の風の首輪があります。
雄犬はデビルドラゴンに向かって言いました。
「永久に闇から逃げられないなんてことがあるものか! 誰だって、自分さえそうしたいと思えば、いつだって闇から立ち返ることができるんだ! 彼女はもう闇じゃない! 彼女の罪悪感につけこむな!」
竜はいぶかしそうな表情になりました。赤い目で確かめるように雄犬を見ます。
雄犬はルルを振り向きました。
「立って! 早くここから逃げるんだ、ルル!」
えっ、とルルはまた驚きました。雄犬が彼女の名前を知っていたからです。どうして? と混乱して、すぐにデビルドラゴンが自分の名前を何度も呼んだことを思い出しました。雄犬はそれを聞いていたのでしょう――。
「ここから逃げて、デビルドラゴンを振り切るんだ、ルル! 急げ!!」
と雄犬に言われて、ルルは跳ね起きました。後ろを向いてその場から逃げ出します。闇の竜が首を伸ばして鳴こうとすると、雄犬がうなりながら襲いかかりました。竜はまた後ずさり、その間にルルが駆け去ります。
デビルドラゴンはまた雄犬に目を向けました。しげしげと眺めてから、ホウ、と冷笑します。
「オマエハぽちカ。ズイブント立派ナ姿ニナッタデハナイカ」
ウォン、と雄犬はほえて言い返しました。
「ここはルルの夢の中みたいな場所だ! 自分のなりたい姿になれるし、おまえと戦うには大きくならなくちゃいけないからな!」
すると、竜はいっそう笑いました。
「愚カナ。ソレデ我ト戦エルツモリデイルノカ。ドレホド大キクナロウト、我ノ前ニオマエタチハ無力ナノダ。――ヨシ、るるノ代ワリニ、オマエノ体ヲ我ガ器トシヨウ。我ハオマエト闇ノ国ヘ行キ、勇者ドモノ息ノ根ヲ止メテヤル」
「そんなことはさせない!」
と雄犬の姿のポチは言い返しました。
「おまえは抵抗する者に無理に取り憑くことはできないんだ! ぼくを魔王にすることはできないぞ! ルルもフルートたちも、おまえの好きなようになんてさせるもんか!」
強い声に押し返されたように、闇の竜はまた下がりました。その場所で羽ばたきながら、言い続けます。
「勇マシイナ。大キクナッタダケデ、強クナルコトモデキタト思ッテイルノカ――。ダガ、ココハ我ガ管轄。我ノ領域ノ内側ダ。オマエヲ殺スコトハ、タヤスイノダゾ」
竜の黒い体の表面が、ざわりと波打ちました。うろこの一枚一枚が細い闇の触手に変わり、長い体毛のように竜の体をおおっていきます。それをうねらせ、ポチに向かって伸ばしながら、デビルドラゴンは言いました。
「我ノモノトナレ、ぽち。恐怖ニオビエ、絶望シテ、我ニソノ魂ト体ヲ渡スノダ――」