長く細い石の通路を、フルートたちは歩いていました。通路は上り坂になっているうえに、床石がぬるぬると湿っているので、進むのは並大抵のことではありません。滑って転ばないように、通路の両脇の壁に手をつきながら上っていきます。
通路に灯りはありませんが、壁の苔がぼんやりと光を放って、通路を薄明るく照らしていました。通路のあちこちに得体の知れないごみが引っかかっていて、あたりはすえた匂いでいっぱいです。
すると、彼らの先の誰もいない場所から声がしました。
「この先の左手にまた避難所があるゾ! そこに入るゾ!」
「上からまたごみが来るヨ! 急がないと、オレたちもごみだヨ!」
ゴブリンのゾとヨの声でした。姿は見えませんが、アリアンと一緒にいて、アリアンが透視する鏡を見ながら道案内をしているのです。
フルートたちは速度を上げました。何度も足を滑らせ、壁にしがみついてはまた上ります。左手の壁にくぼみを見つけて急いで飛び込むと、ゴウッと通路の上のほうから音がしました。生臭い風がどっと吹いてきて、ごみを山のように積んだそりがいくつも滑り降りてきます。ここは闇の城の地下でした。城から出たごみを外へ捨てるための通路を、彼らは上っているのです。
避難所は、彼ら全員がやっと入れる程度の、狭い岩のくぼみでした。そこで、ぜいぜいと息を整えます。すると、通路を下りていくそりを見ていたゼンが、突然、おい! と声を上げました。
「ごみの中に死体があったぞ! 闇の民だ。えらくむごたらしい姿になってやがった!」
夜目の利くゼンには、仲間たちにはよく見えないものまで見えたのです。一同はぎょっとしました。ごみの匂いやものの腐った匂いに混じって、確かに血の臭いが漂ってきます。
「ワン、城の中では人殺しが起きているんですか!? その死体をごみとして捨てているの!?」
とポチが言うと、ゴブリンたちの声が答えました。
「城の中だけじゃないゾ。人殺しはいつもどこでも起きているゾ」
「強いヤツは弱いヤツをいじめるヨ。いじめて殺してしまうこともあるヨ。そうすれば、死体はごみにされるんだヨ」
そのことのどこが不思議なんだ、という口調です。
フルートたちは思わず真っ青になりました。ここは自分のために平気で他人を踏みにじる人々が住む国です。彼らは、同じ闇の民であっても遠慮なくいたぶり、殺してしまうのです。
「それで処罰されないのかい!? 闇王は黙って見てるわけ!?」
とメールが尋ねると、アリアンが悲しげに答えました。
「処罰されないわ……。この国では、人殺しは本当に日常茶飯事なの。強い者が弱いものを自分の好きにするのは当たり前。利口なものが愚かなものをだますのも当たり前。弱くて愚かなほうが悪いのだから、って……。そういう国なのよ」
一同はいっせいにうめきました。本当に、聞けば聞くほど胸の悪くなるような話です。
ポポロが震えながら言いました。
「この城に入りこんでから、闇の気配はますます濃くなっているわ……。闇の城には、特にそういう人たちが住んでいるのね……」
フルートは溜息をついて座り込みました。火傷を負った足も痛みますが、それ以上に胸が痛んでいました。闇の民の心の闇の深さを、改めて見せつけられた気がします――。
ちっ、とゼンが舌打ちしました。
「そんな連中が城に大勢いるんだとしたら、気をつけて潜入しないといけねえぞ。この通路の上には、どのぐらいの人数がいるんだ?」
現実的なゼンです。もうこの先のことを考えています。
姿を消しているアリアンが答えました。
「出口のそばには三人、この城の召使いがいるわ。でも、その先の場所はよく見えないのよ。強力な防御の魔法に包まれているから……」
「魔法で閉じてある場所は無理にはのぞけないわ。魔法をこじ開けなくちゃいけないし、そうすると、闇王にこちらの居場所を知られてしまうの」
とポポロも言ったので、ポチが考えるように首をかしげました。
「ワン、キースの居場所を見つけ出すのに苦労しそうですね。城の中をうろうろすると、敵に見つかりやすいし。どうしたらいいんだろう?」
すると、ゾとヨがキィキィと言い出しました。
「オレたちが行くゾ! オレたちが城の様子を見てくるゾ!」
「そうだヨ! オレたちがウルグの王子を見つけてくるヨ!」
二匹のゴブリンが空中に現れて、ぴょんと床に降り立ちます。アリアンの腕から飛び下りたのです。
一同は驚きました。
「だめだ。君たちだけじゃ危険すぎるよ」
「また敵にとっつかまるだろうが。ここは敵の城ン中だぞ。捕まったら、今度こそ命がねえぞ」
フルートとゼンが反対すると、ゾとヨは足を踏み鳴らして言い張りました。
「違うゾ! 違うゾ! オレたちなら大丈夫なんだゾ!」
「オレたちはゴブリンだヨ! ゴミをあさってどこまででも行くんだヨ! 見つかってもすぐ逃げられるヨ!」
アリアンが言いました。
「この子たちの言う通りかもしれないわ――。怪物たちは闇の国のどこにでもいて、どこからでも建物に入り込むし、勝手に出ていくものなの。人間の世界でも、ネズミや鳥たちは自由に出入りするでしょう? あれと同じなのよ。危険な怪物ならば排除もするけれど、ゴブリンなら――」
「そうそう、誰もゴブリンなんて気にしないゾ!」
「見つかっても素早く逃げるから大丈夫だヨ!」
だって、オレたちはゴブリンだから、と二匹は口を揃えて言いました。出会ったばかりの頃、オレたちはゴブリンだから弱くて何もできない、と言い続けていた二匹が、今は自信を持って同じことばを言っています。
ゼンがまた肩をすくめてフルートを振り向きました。
「やらせてみようぜ。どっちにしても、様子がわかんねえところに乗り込むのは危険すぎるからな」
フルートはうなずき、ゾとヨを招き寄せて言いました。
「いいかい。本当に、絶対に無理や無茶はしちゃだめだよ。ぼくたちはここで待ってるから、必ず戻ってくるんだよ」
二匹のゴブリンは、くりっと目を動かしました。大きな口を笑う形にして言います。
「そんなの言われなくても、ちゃんとわかってるゾ」
「そうだヨ。おまえたちは友だちだから、オレたちを置いていかないんだヨ」
信頼を込めて言い切る二匹に、フルートたちは思わず笑顔になりました。力強くうなずき返します。
ゾとヨは張り切って避難所から飛び出していきました。石の床に爪を立てながら通路をよじ登る音が遠ざかります――。
全員は溜息をつきました。
「あーあ、ゾとヨが戻ってくるまで待ちぼうけかぁ。せっかく敵の足下まで来てるのにさ」
待つことが嫌いなメールがぼやくと、ゼンが言いました。
「いそぎ道は迷い道――って諺(ことわざ)があらぁ。焦りすぎて敵と鉢合わせしたら、それこそどうしようもねえんだ。それより、せっかく時間ができたんだから、有効に使おうぜ。ポポロ、フルートの足を診てやってくれ」
うん、とポポロは自分の鞄から薬草や布を取り出しました。座り込んだままでいたフルートにかがみ込み、鎧の脛当て(すねあて)を外して火傷の手当を始めます。
「私はもう少し丁寧に城を見てみるわ。どこかに中の様子が見える場所があるかもしれないから――」
とアリアンの声が言って、後は聞こえなくなりました。また鏡で透視を始めたのです。
そんな仲間たちの様子を眺めていたポチは、ふと、さっきからルルの声を聞いていないことに気がつきました。一緒に同じ場所にいるのに、ずっと黙り込んでいるのです。あわててそちらをみると、雌犬はちょうど床の上に腰を下ろしたところでした。まるで全力疾走した後のように、荒い息をしています。
ポチはびっくりして駆け寄りました。
「ルル! また気分が悪いの!?」
「大丈夫よ――。ここは闇がすごく濃いから、なんだか息苦しいだけ。すぐ治るわよ」
とルルは答えました。口では平気だと言っていても、うつむいて舌をだらりと出し、はっはっと浅い息をする様子は、かなり苦しげです。仲間たちもルルに集まりました。
「おい、大丈夫かよ。起きてねえで、横になってろ」
「キースの屋敷で元気になったと思ってたのにさ」
「闇の濃い場所に来たから、また調子が悪くなってきたんだ」
心配して口々に言う仲間たちに、ルルはまた言いました。
「大丈夫だったら。大げさね。少し休めば、また元気になるわよ――」
言いながら床の上に腹ばいになりますが、苦しそうな息づかいは、いっこうにおさまりません。ルル、とポポロが涙ぐみます。
ポチはルルに寄り添って、ぺろぺろとその顔や体をなめました。ルルの感情の匂いに気をつけていなかったことを、ひどく後悔します。自分の感情がポチに筒抜けになることを、彼女が嫌がったからなのですが、遠慮なんかしないで匂いをかいでいれば良かった、と思います。闇の国に来てから、ルルはずっと具合が悪かったのですから……。
すると、ポポロが突然悲鳴を上げました。仲間たちも驚きます。ルルの体が急にぼんやりかすみ始めたのです。黒い霧のようなものが、雌犬を包み込んでいきます。
「ルル!」
ポチはとっさにルルに飛びつき、背中をくわえて引き止めようとしました。けれども、その目の前で、ルルの体が変化していきました。茶色の体が黒一色になり、長い毛並みが一面の羽根に変わります――。
一同は息を呑みました。ルルはルルではないものになっていました。大きな黒い翼です。通路の上でもがくように羽ばたき、飛び立てなくて石の床をたたきます。
ルル!! とポチはいっそう強く翼をくわえました。この翼には見覚えがあります。闇の声の戦いのときに、魔王になったルルが見せた姿です――。
黒い翼を包む霧はさらに濃くなっていきました。その中に翼と小犬が見えなくなっていきます。
「ルル! ルル、ルル!!」
「ポチ!」
ポポロやフルートが急いで捕まえようとしましたが、伸ばした手のその先で、翼と小犬は霧に呑み込まれました。霧が渦を巻き、吸い込まれるように消えてしまいます。
何もなくなってしまった石の床を前に、一同は茫然と立ちすくんでしまいました――。