キースは闇の城の石牢で、暗闇から迫る怪物の目を見上げていました。赤く光る鋭い目です。ずるり、ずるりと引きずるような重い音が近づいてきます。
それ以上は下がれないとわかっているのに、キースはさらに後ずさろうとしました。ついさっきまで、フノラスドに食われるのは自分の運命だ、それでこのうんざりした人生を終わりにできる、と考えていたはずなのに、懸命に怪物から逃げようとしているのです。黒い戒めに縛られた体は、立って剣を握ることも、魔法で攻撃することもできません。それでもキースは身構え、戦う者の表情になって敵をにらみつけました。食われてたまるか――! と心に強く叫びます。
ずるり、とまた闇から音がしました。巨大な黒い影がその中から現れてきます。石牢の天井近い場所に頭がありました。赤く光る目の下に鋭いくちばしが見えます。
そのくちばしが開いて鳴き声を上げました。
ギェェェ……
耳をふさぎたくなるような音が石牢の中に響き渡ります。
とたんに、キースは後ずさろうとするのをやめました。驚いた顔で怪物を見つめ直して言います。
「なんだって……?」
ギエェェェ
答えるように、怪物がまた鳴きました。キースがさらに驚く顔になります。
「アリアン? フルート――? どうしてその名前を知っている、って――」
すると、壁の蝋燭の明かりが届く場所に怪物がやってきました。闇の中から抜け出してくるように、黒い頭が、ついで巨大な黒い体が現れます。頭は二つの耳がついたワシ、体の前半分もワシで大きな翼がありますが、体の後ろ半分はライオンになっています。――グリフィンでした。
グリフィンは、キースと同じように、黒い戒めで翼と後脚を縛られていました。ワシの前脚だけは自由に動かせたので、それを使ってここまで這ってきたのです。
グリフィンが全身のいたるところに深手を負っているのを見て、キースは思わず声を上げました。
「グーリー! おまえがグーリーなんだな!?」
ギェェェン!
グリフィンがまた鳴きます。嬉しそうな声でした。キースの目の前まで来ると、大きな頭を何度も下げて、また鳴きます。
キースには怪物のことばがわかりました。ほっと全身の力を抜いて、それに答えます。
「そうだよ……。ぼくはアリアンやフルートの友だちさ。フルートたちはこの闇の国に来ているんだ。アリアンと一緒にぼくの屋敷にいる」
グェン?
グーリーが尋ねるように鳴きました。
「ああ、ぼくはキース・ウルグ。闇の王の第十九王子だ。全然ありがたくないけれどね。フルートたちと一緒におまえを助けに来ようとして、ドルガたちに捕まってしまったんだ。まさか、グーリーと一緒にされるとは思わなかったな……ああ、わかったわかった! 嬉しいのはわかったから、よせって! 苦しいぞ!」
グーリーに巨大な頭をすりつけられて、キースは声を上げました。口では迷惑がっていても、顔は笑っています。グーリーがおとなしくなると、優しい目でそれを眺めて言います。
「ずいぶんひどくやられたな……。呪いの蛇にかまれたんだろう? この傷口はそうだ。アリアンを守ったんだな」
クゥ。
今度は心配そうにグーリーが鳴きます。
「大丈夫、彼女は無事だよ。おまえが体を張って守ったからね。さて――この戒めに魔力をずいぶん奪われているんだけれど、少しくらいならできるだろう。こっちにおいで。傷を治してやるよ」
言われるままに、グーリーは頭を下げ、キースのかたわらにぺったりと伏せました。その体は丸い深い傷だらけで、止まりきっていない血が流れ続けていました。外からは見えませんが、体の中のほうも深く食い荒らされているのです。平気そうに見せてはいますが、かなりの激痛に襲われているはずでした。
キースはそこに寄り添うと、苦労して戒めの下から手を伸ばしました。傷だらけの体に触れて、魔法を送り込みます。
すると、グーリーの体から傷が消えていきました。流れて固まった血も跡形もなくなり、濡れたようにつややかな羽根と毛並みに戻ります。
ギエェェェン!
グーリーは一声鳴くと、上半身を高く起こしました。羽根や後脚は戒めに縛られているというのに、立ち上がって羽ばたこうとします。キースは苦笑しました。
「無理はするんじゃない。いくら力の強いグリフィンでも、王の戒めは壊せないよ。おとなしくしているんだ。――待っていれば、脱出の隙が見つかるかもしれないからな」
グェ? とグーリーがまた尋ねます。
「フルートたちさ。ぼくとおまえがこうして一緒にされた意味は明白だからね。闇王は、金の石の勇者の一行を城におびき出そうとしているんだよ。ぼくたちはその餌だ。……もちろん、王は彼らを殺すつもりでいる。でも、彼らはきっとここまで来るだろう。ぼくたちも、彼らがここに来るまでは殺されないはずだ。彼らが助けに来たときに、逃げ出すチャンスがきっと出てくるんだよ」
キースは金の鎧兜を着た小柄な勇者を思い浮かべていました。少女のような顔立ちをして、誰より優しい心を持っていますが、彼は本当に勇敢です。友人が闇に囚われれば、どんな困難が横たわっていても、絶対にそれを乗り越えて助けに駆けつけます。きっと、キースやグーリーにも、同じことをしてくれるのです。それが金の石の勇者なのです……。
キースはいつの間にかまた微笑を浮かべていました。ここは冷たく湿った石牢の中なのに、心の中に暖かなものを感じます。グーリーがかたわらに座り直したので、その体に寄りかかって言います。
「待とう、彼らを。チャンスは必ず巡ってくる。それを待とう――。それまで、暇つぶしに話でもしてくれよ」
グェン?
何の話を? とグーリーに聞かれて、キースはちょっと考えてから言いました。
「そうだな、北の大地のことでも。おまえたちはあそこに暮らしていたんだろう? ぼくは北の大地にはまだ行ったことがないんだ。どんな場所か聞かせてくれよ。おまえたちがそこでどんなふうに暮らしていたのかもね」
グェ、グェェン!
グーリーは張り切った声を上げると、ワシの頭を上向けて天井を見ました。何から話し出そうかと考えているようです。
キースはそれを見てまた笑いました。ついさっきまでの、投げやりで冷たい気持ちはどこかに消え失せていました。もたれかかったグーリーからも、体温の暖かさが伝わってきます。
キースは目を閉じると、美しい闇の少女や勇敢な友人たちを、心の中で見つめ続けました……。