「ねえさぁ、アリアン――あんた、キースが好きなんだろ?」
遅い昼食がすんだ後、料理の代わりにお茶のカップを並べた食卓を囲んで、メールがいきなりそう切り出しました。
その場にフルートやゼンやポチはいませんでした。久しぶりに女同士で話がしたいから、とメールが部屋から追いだしてしまったのです。アリアンが真っ赤になって返事をできずにいると、たたみかけるようにメールは言いました。
「見てりゃわかるよ、それくらい。いいじゃないのさ。キースって、見た目はけっこう軽薄そうだけど、案外真面目なヤツなんだよ。悪くないとあたいは思うな」
すると、ルルも言いました。
「そうね、キースはいい人だわ。フルートにはちょっと及ばないけど。あれで闇の民だなんて、ほんとに信じられないわ」
「アリアンと同じよね」
とポポロもうなずきます。
アリアンは真っ赤に染まった頬に両手を当てて、ますますうろたえました。そんな様子はポポロにも似ていますが、今日はポポロはそれを説得する側でした。いつになく熱心に言い続けます。
「キースは本当はとても淋しい人なのよ……。昔、とても大切な人を亡くしてしまったから。だから、いつも女の人に優しいのよね」
とたんにアリアンは顔色を変えました。ポポロに聞き返します。
「それは――彼の恋人――?」
「ううん、お母様よ。まだキースが小さかった頃、生贄にされそうになったキースの身代わりになって死んだのですって……。あたし、アリアンなら、キースの気持ちがわかるんじゃないか、って気がするわ。だって、アリアンも大切な人を亡くしてしまっているものね……」
アリアンは、うろたえる表情のまま目を伏せました。美しい少女の額から、一本の角が長く伸びています。
「私のロキは、人間になって生まれ変わってきたわ。姿形は変わってしまったけれど、この世にまた生きているから――。キースとは立場が違うわ。それに、あの方にはもう、大事な女性がいるのよ――」
えっ!? と少女たちは声を上げて驚きました。
「なにそれ!? キースの恋人!? それとも奥さん!?」
とメールが椅子から飛び上がって詰め寄ると、アリアンは首を振りました。
「どちらなのかはわからないけれど――でも、この屋敷にいらっしゃるのよ。茶色の巻き毛の、とても綺麗な――人間の女性なの」
人間の……とメールたちは繰り返しました。なんだかすぐには次のことばが出てきません。確かにキースは女性にもてる青年でしたが、一緒に暮らすほどの相手がいるとは、想像もしていなかったのです。
アリアンは顔を上げると、友だちの少女たちへ悲しくほほえんで見せました。
「私は確かにキースが好きよ――。あんなに優しい人に出会ったのは初めて。ううん、フルートも優しかったから、二人目かしら。だけど、こんなに好きに想える方は、キースが初めて。でも、あの方は闇の民を嫌っているわ。私があなたたちの友だちだとわかったから、話してくれるようになっただけで、やっぱり本当は――闇の民は嫌いなのよ――」
それきりアリアンはまたうつむいてしまいました。もう顔を上げません。
アリアン……と少女たちは言いました。こちらも、それ以上はなんと声をかけていいのかわからなくなってしまいます。
ぽつり、とアリアンの黒い服の膝に涙が落ちました――。
一方、少女たちから部屋を追い出された少年たちは、屋敷の別の部屋に入り込んでいました。大きな窓のある部屋で、外には庭園の景色が見えています。窓が少し開いているのは、そこからポチが庭の探検に出かけたからでした。フルートは窓際に立って外を眺め、ゼンは長椅子に寝転がり、ゴブリンのゾとヨは、同じ部屋にある大きなベッドの上で遊んでいました。
「すごいゾ、すごいゾ! 羽根の布団と枕の、ふわふわの寝床だゾ!」
「ゴミの匂いも泥の匂いもしないヨ! いい匂いがするヨ! こんなの初めてだヨ!」
「こら、あんまり騒ぐな。ベッドから落ちるぞ」
とゼンが注意しますが、ゴブリンたちはいっこうに落ち着きません。ベッドの上で飛び跳ねてはしゃいでいます。
それを背中に聞きながら、フルートは言いました。
「ここは不思議なところだよね……。闇の国なのに、闇の気配がまったくない。とても綺麗な場所だ」
「ああ。おかげでルルも元気になってきたもんな。助かったぜ」
とゼンが答えます。闇の気に当てられて具合が悪かったルルも、ここに来てから、ずいぶん気分が良さそうになっていたのです。
「ここは地上の世界に似てるよ。きっと、キースが魔法で作っている場所なんだろうな。ここに来るまでの部屋を見ただろう? なんでも揃っていて、ここだけで暮らせるようになってた。キースは、闇の国にいるときは、ずっとここに引きこもって、外とは関わらないようにしていたんだよ」
「気持ちはよくわかるよな。こんなひでえ国なんか、いくら故郷でも見たくねえだろう。とはいえ、俺だったら、一人でこんなところに暮らしていたら、淋しくて気が狂いそうになるだろうけどな」
「だから、時々キースはこの国を抜け出して地上に来たんだよ……。誰だって一人きりでなんか生きられない。キースみたいな奴なら、なおさらさ。本当は、彼はずっと地上で暮らしたいんだよ。闇の国にはいたくないんだ」
「だから、あいつも一緒に連れ出そうって言ってんじゃねえか」
とゼンが笑いました。
「俺たちが助け出すのはアリアンとグーリーだけじゃねえ。キースも一緒なんだよ。闇の民と光の戦士が一緒にいられねえだとかなんとか、あいつがぐだぐだ言っても、今度は聞かねえぞ。ぶん殴って縛り上げてでも、ここから連れ出してやる」
言っていることは荒っぽいのですが、情にあふれたゼンのことばです。
ゾとヨはいつの間にか静かになって、ベッドの上で眠ってしまっていました。ヨが寝返りを打った拍子にベッドから落ちそうになったので、ゼンが長椅子から跳ね起きました。
「ったく。寝るんなら、ちゃんと真ん中にいやがれ」
とゴブリンたちを抱き上げて寝かせ直します。そんな様子をほほえんで眺めていたフルートは、また窓の外へ目を向けました。庭園の上の空がゆっくりと茜色に染まっていきます。そろそろ夕暮れの時間なのです。けれども、闇の国には本当は日没がありません。これも、キースが魔法で作っている空なのでしょう……。美しいけれど、どこか淋しく見える景色です。
「キース――ぼくたちはあなたを絶対に仲間に引き入れる」
遠い日に青空を見上げて誓ったことばを、そっとまたフルートはつぶやきました。
夕映えに赤く染まる小径を、ポチは一匹で歩き続けていました。庭園を探検に来たのですが、庭は意外なくらい広くて、どこまで行っても行き止まりに突き当たりません。
「ワン――キースって、実はすごい魔法使いだったんだなぁ」
とポチはひとりごとを言いました。ここは現実の場所ではありません。キースが魔法で作り上げた地上の写し絵なのです。けれども、植物はちゃんと花や緑の匂いをさせているし、夕暮れのもの悲しい空気の匂いも漂っています。もちろん、植物やものに触れることだってできます。これだけの規模で庭を再現できるのですから、キースの魔力は相当のものだと言えます。
「ワン、ミコンでは普通の人間のふりをしていたから、魔法も使わずにいたんだな。これだけのことができるのに、王族としては魔力が強くないって言うんだから、闇の王族って、どれくらい強力な魔法使いなんだろう」
闇の民と呼ばれ、悪魔と同じもののように言われていても、元を正せば彼らは天空の民です。光の魔法の代わりに闇魔法を使うようになった魔法使いというのが、彼らの正体でした。
ポチはさらに考え、自分に話し続けました。
「ワン、闇の民は、今でもやっぱりデビルドラゴンを崇拝しているのかなぁ。やっぱりデビルドラゴンに復活してほしいと思ってるんだろうか?」
ポチが考えていたのは、ユウライ戦記の中に載っていた、「竜の宝」のことでした。フルートたちはグーリーの救出のほうに専念していますが、ポチは闇の国に来ようとしていたそもそもの理由も、ずっと忘れていなかったのです。
デビルドラゴンは自分の力を「竜の宝」に与え、それをユラサイの神竜たちに暗き大地の奥に隠されてしまったために、捕らえられて世界の果てに幽閉されたと言います。その竜の宝は、この闇の国に隠されているのではないか、と彼らは考えたのですが……。
「ワン、そんなものが本当にこの国にあったら、闇の民がすぐにそれを使って、デビルドラゴンを復活させようとする気がするなぁ。でも、デビルドラゴンの本体はまだ世界の果てにある。ってことは、やっぱり竜の宝はここにはない、ってことなのかな」
茜色に染まる小径を、賢い小犬はずっと歩いて行きます。歩きながら考え続けますが、疑問の答えは見つかりません。竜の宝とは何なのか、という謎も解けません……。
その時、行く手から人の声が聞こえました。ポチは立ち止まり、耳をぴんと立てて目を凝らしました。
「ワン、あれは――」
小径の脇の東屋に二人の人物がいました。一人はキース、もう一人は薄緑のドレスを着た、茶色い巻き毛の女性です。キースは腕の中に女性を優しく抱きしめていました。二人とも、小径に立つポチには気づいていません。照らす夕日が、赤金色の輝きの中で二つの人影を一つに溶かします。
「あれは――」
逆光の中の人影を見つめながら、ポチはまたつぶやきました。