フルートとゼンは、風の犬のポチに乗ってヤシャの街の上を飛んでいました。剣を収めたフルートが自分の前へ呼びかけます。
「ポポロ、ヨ、大丈夫か!?」
すると、そこに黒衣の少女が姿を現しました。片腕に傷ついたゴブリンを抱き、もう一方の手で薄絹の肩掛けを握っています。肩掛けを外したとたん、ポポロとゴブリンの姿が見えるようになったのです。
へっ、とゼンが笑いました。
「ヒムカシの国でオシラからもらった布が役に立ったな。連中、全然見つけられなかったじゃねえか」
ポポロがそれに答えました。
「これは姿隠しの薄絹なのよ。まとうと姿が見えなくなるの……。でも、ラクさんの守りの呪符と違って、匂いや気配までは隠せないから、犬には見つかってしまったわ。ポチが来てくれなかったら、危ないところだったわね……」
その腕の中で、ゴブリンがぐったりしていました。小さな体はいたるところが腫れ上がって、赤黒い血がにじんでいます。
「ヨ……」
とフルートは呼びかけ、ポポロから怪物を受けとりました。鎧をつけた腕と胸の中に抱いて、優しく話しかけます。
「しっかりするんだ。ゾは大怪我をしているけれど、生きているよ。ヨも、死んじゃだめだ」
すると、ヨが目を開けました。片目はまぶたが腫れ上がってふさがっていたので、一つだけの目でフルートを見て言います。
「ゾは生きてる……本当かヨ……?」
「本当さ。君がトアに捕まったことを、必死で知らせに来てくれたんだ。メールたちと町外れで待っているよ」
ヨは長い溜息をつきました。息の終わりが震え出し、安堵の泣き声に変わります。しゃくり上げて泣くヨを、フルートがいっそう優しく抱きしめます。
すると、ポチが警戒の声を上げました。
「ワン、行く手から何かが来ますよ! 空を飛んで近づいてくる!」
たちまち一行は緊張しました。ポポロが遠い目になって、すぐに言います。
「全身に黒い鎧を着た闇の民よ。……腕が四本もあるわ」
「ドルガだヨ!」
とヨがフルートの腕の中で飛び上がりました。
「闇王の親衛隊で、一番偉い奴だヨ――! 将軍の次に偉くて強いんだヨ! 俺たちを追いかけてきたんだ! 俺たち、捕まって殺されるヨ!」
痛みに顔を引きつらせながら叫ぶと、ゼンが動じることもなく答えました。
「殺されねえさ。俺たちは金の石の勇者の一行だぞ」
おもむろに背中の弓を下ろし、炎の呪符を巻きつけた矢をつがえます。フルートも背中の剣を抜きました。片方の腕にはヨを抱いたままです。ポポロが行く手の監視を続けていたので、他にヨを抱ける者がいなかったのです。
「来たわ!」
「ワン、来た!」
ポポロとポチが同時に言います。
行く手の空から急速に近づいてくる黒い影がありました。たちまち翼を広げた人の姿に変わります。ポポロが言うとおり、黒い鎧をまとい、四本の太い腕に武器を構えています。頭に兜はかぶっていませんが、代わりに水牛のような二本の角が生えていました。風の犬に乗って飛ぶ一行を見つけて、勝ち誇った声を上げます。
「そこだな、侵入者ども! 逃がさんぞ!」
四本の腕の一つが投げつけてきたのは、黒い槍でした。空中で黒い光に変わって飛んできます。
ポチは空中で身をよじってそれをかわしました。闇魔法の攻撃だったのです。一行は大きく振り回され、必死でポチの背中にしがみつきました。フルートは自分の体でヨを攻撃から守ろうとします。
「この野郎!」
とゼンが身を起こし、鎧のドルガめがけて矢を放ちました。敵に当たれば燃え上がる魔法の矢です。けれども、炎の矢はエルフの矢のように百発百中ではありませんでした。ドルガにかわされて、かすめることもなく飛びすぎてしまいます。
すると、ドルガがほえるように笑いました。
「見えたぞ、弓矢のチビ助! そこにいたな!」
「なに!?」
ゼンはぎょっとしました。今まで敵はゼンが見えていなかったのです。
すると、ポチが言いました。
「ワン、ヨですよ。ヨだけは守りの呪符を持っていないから、あいつの目にも見えていたんです――」
フルートの腕の中でヨが泣き叫びました。小さな体を縮めて震えます。それをいっそうしっかり抱いて、フルートは言いました。
「大丈夫だ。絶対に守ってやる。大丈夫だ――!」
その背中に黒い矢が飛んできました。ドルガがヨを狙って撃ってきたのです。フルートの鎧が矢を跳ね返してヨを守りますが、引き替えにフルートの姿も敵から見えるようになりました。鎧の色を見てドルガが言います。
「そうか! 貴様が金の石の勇者だな! 何の目的でこの国に来た!? 闇の国を滅ぼしに来たのか!?」
違う、そんなことは考えていない――とフルートは言おうとしましたが、相手は答える余裕を与えてくれませんでした。剣を振りかざして襲いかかってきます。
「なろぉ!」
ゼンが放った矢がまたかわされました。正面から迫ってくるドルガに、ポポロが思わず悲鳴を上げます。ドルガの飛翔が速すぎて、ポチにも避けきれなかったのです。
「伏せろ、ポポロ!」
とフルートは身を乗り出して少女の上にのしかかりました。右手の剣を振り上げ、不安定な体制でドルガの剣を受け止めます。ポチが急降下して、攻撃をやり過ごそうとします。
とたんに、フルートは左の脇腹に衝撃をくらいました。ドルガが四本目の手の戦棍(せんこん)で攻撃してきたのです。鎧のおかげで負傷はまぬがれましたが、バランスを完全に崩しました。ヨを抱いたまま、もんどり打って地上へ落ちます。
「ワン、フルート!」
ポチはあわてて拾い上げようとしましたが、間に合いませんでした。街の灰色の石畳に、フルートがまともに墜落します。そこへドルガが舞い下りました。手を振り上げ、また槍を投げつけてきます。槍が黒い魔法に変わってフルートへ飛んでいきます。
フルートは石畳を転がり、魔法の槍をかわしました。すぐに跳ね起き、剣を構えながら叫びます。
「ヨ! ヨ! しっかりしろ――!」
金の鎧を着たフルートは墜落しても平気ですが、ゴブリンのヨはそういうわけにはいきません。墜落の衝撃を全身に食らって、激しく震えています。
「ヨ!!」
懸命に呼ぶフルートへドルガがまた襲いかかりました。空から急降下して剣で切りつけてきます。
「させるか!」
とゼンがドルガに飛びかかりました。翼のある背中にしがみつき、そのまま一緒に地面に落ちてしまいます。
とたんに、ゼンはうめきました。もうそれほど高い場所ではありませんでしたが、それでも石畳にたたきつけられたのです。すぐには起き上がれません。
一方、闇の民のドルガはすぐにダメージから回復しました。立ち上がり、自分を空から突き落としたゼンへ剣を振り上げます。
「人間の分際で生意気な! 失せろ!」
空の上でポポロは青くなりました。ゼンは地面にうずくまったままで、逃げることができません。とっさに手を伸ばして魔法を使おうとすると、ポチが鋭く言いました。
「ワン、だめです、ポポロ! 脱出できなくなる!」
ポポロは、はっと魔法を止めました。そうです。一つしか残っていない魔法を使ってしまったら、自分たちはこの闇の国から脱出できなくなってしまいます――。
ガギン、と音がして、ゼンに振り下ろされた剣を剣が受け止めました。フルートです。片腕にヨを抱いたまま、片手だけで懸命に敵を押し返そうとします。
すると、またドルガの戦棍がうなりました。フルートの頭を横殴りにして、兜を吹き飛ばします。フルートはかろうじて踏みとどまりましたが、頭を守るものがなくなりました。少し癖のある金髪と優しい顔がむき出しになります。
フルート! とポチはドルガに突進しましたが、とたんに闇魔法の槍で攻撃されました。背中のポポロに槍が当たりそうになって、あわててまた離れます。
フルートは冷や汗を流しながら剣を支えていました。ドルガの力は強くて、剣の攻撃を止めているのがやっとです。そのすぐ横で、ドルガの別の手がまた戦棍を構えていました。フルートの頭を狙っていますが、フルートは飛びのくこともできません。そんなことをすれば、戦棍は後ろにいるゼンを直撃してしまいます。
絶体絶命の状況の中で、フルートは声を聞きました。金の石の精霊です。早くぼくを起こせ! と焦りながら言っています。
フルートは歯を食いしばって首を振りました。できません。金の石を目覚めさせて聖なる光を使えば、敵だけでなく、腕の中にいるゴブリンのヨまで消滅させてしまうのです。
敵を押し返すこともできず、退くこともできず、フルートはただただ守り、剣を支え続けました。ドルガがフルートの頭上へ戦棍を振り上げます――。
すると、ふいにドルガがうめきました。フルートと合わせていた剣から力が抜け、戦棍を握る手が下りていきます。その鎧の胸と腹の継ぎ目から、細い剣の切っ先が飛び出していました。ドルガの体が前のめりになると、その鎧の中に剣が見えなくなっていきます。
地響きを立ててドルガが倒れました。黒い鎧と階級章が耳障りな音をたてます。
その陰から、剣を構えた人物が姿を現しました。細身の刀身は赤黒い血で濡れています。鎧の隙間を狙って、後ろからドルガを突き刺したのです。闇の民は驚異的な回復力を持つはずなのに、何故かドルガは立ち上がってきません。
フルートはあっけにとられてその人物を見ました。ゼンもようやく地面から身を起こして、驚いた顔になります。それは闇の民でした。ねじれた二本の角と黒い翼を生やし、長い黒髪を風になびかせています。
すると、その人物が口を開きました。
「えぇと……思わず助けてしまったけどさ、いったい何がどうしてこうなったのか、説明してもらえるかな。いくらぼくでも、ドルガを殺したとなると、ただではすまないんだけどね。そもそも、どうして君たちがここにいるんだい?」
そう言って、ちょっと困ったように、人差し指の先で頬をかきます。
「キース!!?」
フルートたちはいっせいに声を上げました。
彼らが逢いたくて探していた青年が、彼らの目の前に立っていたのでした――。