勇者の一行は食事を終えると木から下り、川に沿って歩き出しました。
夜が明けて、あたりはすっかり明るくなっていましたが、相変わらず日の光は差しません。空は一面鈍色の雲におおわれていて、その向こうがどうなっているのか見ることもできません。陰鬱な空の下、大きな川が、森と荒野の間を流れ続けています。
二匹のゴブリンのゾとヨは、一行の先頭に立って歩いていました。子犬のように小さな体ですが、足は意外に速く、あっという間に先の方へ行っては、早く来いヨ、遅いゾ遅いゾ、と呼びかけてきます。ゼンは顔をしかめました。
「あんまり騒ぐな、馬鹿野郎。敵に見つかるかもしれねえだろうが」
「守りの護符が隠しきれなくなるから、ぼくたちから離れちゃだめだよ」
とフルートも言いますが、ゾとヨは戻ってきません。フルートたちが近づいてくると、またその分だけ先へひょいひょいと進んでいって、一行が追いついてくるのを待っています。
そのうちに、一匹が言い出しました。
「なんだか咽が渇いたヨ。オレ、水を飲んでくるヨ」
川が蛇行したところに河原がありました。小さな体で石の上を飛ぶように走って、水辺へ行きます。
「あいつら、あの水を飲むのか」
とゼンはまた顔をしかめました。闇の国を流れる川は、どろりと黒い色をしていて、いかにも危険そうに見えていたのです。
「ワン、あれはぼくたちには毒の水ですよ。ゴブリンたちは平気でも、ぼくたちは絶対に飲んじゃだめです」
とポチが注意しましたが、言われなくても、誰もそんな水を飲みたいとは思いませんでした。
毒の川、呪われた空と大地、怪物と悪意のひしめく世界――闇の国は本当に恐怖の国です。それでも、そこに生き続けるものはいました。ゴブリンのヨが川辺に腹ばいになり、黒い水に口をつけて飲み始めます。
その時、ルルとポポロが同時に声を上げました。
「危ない! 出てくるわ――!」
黒い川の水が大きく盛り上がり、中から怪物が飛び出してきました。大きな魚のような恰好ですが、毒々しいほど赤い体をしていて、全身鋭い棘(とげ)におおわれています。川の上で大きく飛び跳ね、岸辺のヨへ何かを吐き出すと、ヨは地面に倒れて、そのまま立てなくなりました。全身にべたべたした液体のようなものが絡みついて、動けなくなってしまったのです。
「助けて! 助けてヨ!!」
とヨは金切り声を上げました。離れた場所でゾが飛び跳ね、キィキィとわめきます。
「逃げろ逃げろ! そいつはアカテッポウウオだゾ! 早く逃げないと食われるゾ!」
けれども、べたべたの液体はすぐに固まって、白い石に変わりました。捕まったヨはまったく動けなくなって、助けてぇ、と叫び続けました。ゾも、キョウダイ、キョウダイ、と呼び続けますが、どうすることもできません。
すると、ゾのかたわらをフルートとゼンが駆け抜けていきました。
「ぼくは怪物を倒す! ゼンはヨを助けろ!」
とフルートが先に出て、河原へ這い上がってきた魚の怪物へ切りかかっていきます。その間にゼンはヨに駆け寄りました。
「ったく! ホントに面倒なヤツらだな、おまえらは!」
どなりながらヨの体を固めている石へ拳を振り下ろすと、石は粉々に砕けて、ヨは自由になりました。ぴょんと飛び上がり、ゼンの肩に駆け上がります。ゼンはそれを捕まえて、ゾのいるほうへ放り投げました。
「下がってろ! 危ねえぞ!」
一方、フルートは魚の怪物と戦っていました。隙を見て切りつけようとするのですが、そのたびに粘りのある液体を吐かれて、かわすのに精一杯になっています。魚は胸びれを腕のように使って、岸辺に上がってきていました。飛び出た目玉でフルートの動きを素早く追いかけ、また液体を吐きかけます。
「しまった!」
足首に液体を食らって、フルートは思わず叫びました。強い弾力のある液体に足をぐんと引かれて、その場に倒れてしまいます。
「フルート!」
助けに駆けつけようとしたゼンにも、液体は飛んできました。全身にまともに浴びてひっくり返り、腕を動かせなくなってしまいます。得意の怪力を使うことができません。
フルートは剣を握り直すと、自分の足下に突き立てました。固まりかけていた液体が、火を吹いて燃え上がります。フルートを食おうとしていた怪魚は、炎を嫌って向きを変えました。河原に倒れるゼンのほうへ向かっていきます。
「待て!」
とフルートが追いかけると、魚の背中から鋭い棘が飛び出しました。フルートがとっさに左手を上げると、棘が盾に当たって地面に落ちます。
その間に魚がゼンにたどり着きました。動けなくなって身をよじるゼンへ、大口を開けて食いつこうとします。フルートはまた駆け出しましたが、あと数メートルというところで間に合いません。
そこへ、ごうっと音を立てて、風の犬のポチが飛んできました。魚の怪物を跳ね飛ばして川へたたき込みます。フルートも駆けつけ、ゼンの前に立ちました。また川から這い上がってきた怪物へ剣を振ります。炎の弾を食らった魚が、燃えながら川に沈んでいきます。
「ゼン、大丈夫か!?」
とフルートは親友に駆け寄りました。ゼンは上半身を固められたまま、地面に貼り付けられていました。液体はすでに石のようになっていて、フルートには壊すことができません。ゼンが必死で身をよじりますが、やはり抜け出すことができません。
すると、ひゅん、と鋭い音がして、フルートとゼンの間を激しい風が吹き抜けていきました。次の瞬間、ゼンの体を固めた石が、ぱっくり二つに割れます。フルートたちは驚き、空を見上げてすぐに笑顔になりました。
「ルル!」
風の犬になったルルが、風の刃でゼンのいましめを切り裂いたのです。
ゼンは石のかけらを払い落として立ち上がりました。
「ありがとよ。こいつ、外側は堅いくせに内側が柔らかいから、いくら力を入れても壊せなかったんだ」
「やっぱり川は危険だな。近づかないようにしないと」
とフルートが言ったとき、空で急にポチが叫びました。
「ワン、ルル――!?」
ルルの風の体がいきなり縮み始めて、元の雌犬の姿にもどってしまったのです。フルートたちの頭上から真っ逆さまに落ちてきます。
「危ねえ!」
ゼンがとっさに腕を広げて、ルルを受け止めます。
ゼンの腕の中でルルは浅い息をしていました。駆け寄った仲間たちが口々に呼ぶと、目を閉じたまま言います。
「大丈夫よ……急に目眩(めまい)がしただけ。もう平気よ」
けれども、ルルは起き上がることができません。
「やっぱり闇の国の影響を受けているんだ」
とフルートは深刻な表情で言って、自分の胸元を見ました。金の石は鎧の内側で眠っています。仲間たちの具合が悪くなっても、それを起こすわけにはいかないのです。
「大丈夫だったら」
とルルは言って目を開けました。ゼンの腕から飛び下りようとしたので、ゼンがあわてて抱き直しました。
「馬鹿、無理すんな。いいからこのままでいろ。運んでやるから」
ポチもゼンの肩の上で小犬の姿に戻ると、身を乗り出して心配そうにルルをなめます。
「ゾ、ヨ!」
とフルートに呼ばれて、二匹のゴブリンはすくみ上がりました。石だらけの河原で後ずさり、つまずいて尻餅をつくと、口々に言います。
「オ、オレたち、こんなことになるなんて知らなかったんだゾ!」
「そ、そうだヨ! 咽が渇いて我慢できなかったから、水が飲みたかっただけなんだヨ!」
怪物に襲われてこんな事態を招いたことを、フルートに叱られるのだと思っているのです。フルートは首を振りました。
「それはわかっているよ。そうじゃなくて、ぼくたちから離れないで、と言いたかったんだ。また今みたいなことになったら、助けに駆けつけても、間に合わないかもしれないからね」
助け? とゴブリンたちは、ぽかんとしました。互いの顔を見合わせ、またフルートに尋ねます。
「オレたちを、また助けてくれるのか……? オレたちはゴブリンなのに?」
ゼンは本当にうんざりした表情になりました。
「あったり前だろうが! おまえらはキースのところまで連れていってくれる大事な案内人なんだからな。いいからとっとと案内しやがれ!」
すると、かたわらでメールが笑いました。
「ゼンったらさ。そんなこと言うけど、ホントは案内人でなくても助けてあげるつもりなんだろ?」
ゼンは、じろりとメールをにらみました。
「だから、当たり前のことを言うんじゃねえ、馬鹿」
「ゼンらしいわよね。単純なくせに素直じゃないんだから」
とゼンの腕の中でルルも笑います。少し元気になってきたようでした。
「こっちに行っていいんだろう?」
とフルートが歩き始めながらゴブリンたちに聞きました。他の仲間たちもすぐに一緒に歩き出します。
ゾとヨはまた顔を見合わせました。自分たちに信頼を寄せてくれるフルートたちに、とまどっているように見えます。
やがて二匹は頭を寄せて短く何かをささやき合うと、一行の後を追いかけました。すぐに追いついて前に出ますが、今度は離れることなく、フルートたちと一緒に進んでいきました――。