暗闇に沈む荒野の真ん中で、人の声がしていました。
「まったくもぉ……勇者くんたちったら、どこに行っちゃったんだろう? せっかくユラサイから追いかけてきたのにさぁ。こぉんなに探し回っても見つからないだなんて、あんまりだよねぇ」
のんびりした口調の、若い男性の声です。それに返事をする声はありませんが、一人で話し続けています。
「勇者くんたちはユラサイの術で姿を隠しているんだよね。やっかいだなぁ。あの国の術って、見破りにくいんだよねぇ。さぁて、どうやって見つけようかなぁ」
声のする場所から、ぼうっと青白い光がわき上がりました。その中に人の姿が浮かび上がります。とても細身な青年で、丈の長い赤い上着を着て、ポケットに両手を突っ込んでいます。ただ、その体は半ば透き通って、暗い荒野がその向こう側に見えていました。青年は幽霊だったのです。名前をランジュールといいます。フルートたちの命をつけ狙う仇敵です。
「勇者くんたちは闇の国のお友だちを助けに来たんだよね。もちろん、今頃そのお友だちを捜しているよねぇ。でも、それじゃ、そのお友だちがどこにいるか、って言うとぉ……これが、わかんないんだなぁ。だいたい、お友だちって誰のコトなんだろ?」
とランジュールは確かめるようにひとりごとを言い続けました。それに答えてくれる相手はいません。んー、とランジュールは腕組みして考え込み、ふいに、その顔を上げました。糸のように細い目の隙間から、きらっと瞳が剣呑に光ります。
「こっちから探して見つけられないときは、向こうに来てもらえばいいんだよねぇ。ひとつ、派手にやってみようか。闇の城でも壊してみせたら、勇者くんたちもびっくりして、きっと見に来るよねぇ?」
うふふふ……と女のような笑い声が響きました。あまりにもお馴染みになった、ランジュールの笑い方です。
すると、その声を聞きつけたのか、地面から鎌首をもたげたものがありました。大地に棲む呪いの蛇です。次々と這い出してくると、暗闇より黒い体をくねらせて、いっせいにランジュールに襲いかかります。
「おっとぉ」
ランジュールは空に飛び上がり、地面でもつれている蛇を見て言いました。
「ふぅん、闇王の魔法で作られた蛇かぁ。それじゃ、ボクのものにはなってくれないよねぇ。けっこう強そうなのに、残念」
この青年は魔獣や怪物を思いのままに従わせる魔獣使いなのです。もの欲しそうに蛇を眺めますが、蛇が伸び上がってかみついてきたので、さらに上空へ飛び上がって口を尖らせました。
「このコたち、魔法の牙を持ってるんだ。そんなのでかまれたら、幽霊だって怪我するじゃないかぁ。危ないなぁ、もう」
呪いの蛇は地面でうごめき続けていました。ランジュールに向かって何度も首を伸ばしますが、届かなくて地面に頭を落とします。
ふふん、と青年は笑いました。
「ちょうどいいや。ここでひと暴れしてみようかなぁ? 闇の王の魔力がどのくらいか、力試しにもなるしね。――出ておいでぇ、はっちゃん! 運動の時間だよぉ!」
とたんに、暗い荒野に別の蛇が現れました。全長百メートルあまりもある大蛇で、八つの頭と八本の尾を持っています。頭と尾は、一本ずつが黒や白や金、青といった、色違いのうろこにおおわれていました。
「はっちゃん。そこにいる黒い蛇たちを片っ端からやっつけちゃってぇ。闇魔法の蛇だから、闇の頭で倒すといいよぉ」
とランジュールが言います。呼び出されて出てきたのは、ヤマタノオロチでした。ユラサイの東隣のヒムカシの国でランジュールが捕まえ、飼い慣らした怪物です。はっちゃん、というのは、頭や尾が八つあることからつけた呼び名のようでした。
ヤマタノオロチは長い首を地面へ伸ばしました。なめるように頭を動かして呪いの蛇を片っ端からくわえ、地中から引きずり出して呑み込みます。
すると、地面からまた新しい蛇が現れました。ヤマタノオロチを取り囲み、食いつこうとします。大蛇は別の二本の首を伸ばしました。黒い蛇を残らずかき集め、また一口で呑み込んでしまいます。呪いの蛇を食っているのは、黒いうろこにおおわれた頭ばかりでした。他の色のうろこの頭は傍観しています。
そこへ雷鳴が響き渡りました。頭上で稲妻がひらめき、雲間を紫に染めます。とたんにランジュールが叫びました。
「白イチちゃん、上ぇ!」
白いうろこの頭がひとつ、空へ鎌首を伸ばしました。口を大きく開け、雲から堕ちてきた稲妻を呑み込んでしまいます。
そこへまた稲妻が降ってきました。闇王の呪いが、荒野で暴れるヤマタノオロチを見つけたのです。稲妻を飲んだばかりの頭を直撃しようとします。
すると、また別の頭が口を開けて稲妻を呑みました。やはり白いうろこにおおわれた頭です。ランジュールが空から降りてきて、よしよし、とそれを撫でました。
「よくやったねぇ、白ニィちゃん。ボクが命令しなくても、自分で判断して戦うなんて、すごく偉かったよぉ。強い魔獣ってのは、そうやって戦うものなんだからねぇ」
撫でられた蛇の頭が目を細め、他の二つの白い頭が、自分も自分も、と言うようにランジュールにすり寄ってきます。
その間に、荒野の中に巨人が姿を現していました。やはり闇王の呪いに呼び出された怪物で、ヤマタノオロチに匹敵するほど巨大です。大蛇に飛びついて捕まえ、力任せに引き裂こうとします。
ランジュールがまた叫びました。
「青ちゃん、でばぁん!」
青いうろこの蛇の頭が巨人にかみつきました。咆吼が荒野の闇を震わせ、巨人が一瞬で崩れて消えます。
うふん、とランジュールは満足そうに笑いました。
「闇に強い頭が三つ、光や魔法に強い頭が三つ、毒を持つ頭がひとつ、それからもうひとつは――切り札の頭。はっちゃんは、勇者くんたちを倒すために特別の訓練を積んできたからね。闇の怪物にも魔法の攻撃にもびくともしないんだよねぇ」
その頃には、呪いの蛇たちはヤマタノオロチに恐れをなして、遠巻きにするだけになっていました。稲妻ももう降ってきません。
「あれ、これでもう終わりぃ?」
とランジュールが拍子抜けしたように言うと、ヤマタノオロチが八つの頭をいっせいにひとつの方角へ向けました。
「敵?」
とランジュールもそちらへ目をむけ、すぐに、にやっとしました。
「黒い翼の連中がこっちに飛んでくるねぇ。あれは闇王の家来だよ。よぉし、彼らにお城まで案内してもらおうか、はっちゃん」
シャーッとヤマタノオロチが返事をして、ランジュールと一緒に姿を消していきました。暗闇を照らしていた青白い光も、吸い込まれるように見えなくなっていきます。
すると、入れ替わりのように、空にたくさんの赤い光が現れました。近づいてきて、空を飛ぶ翼の男たちに変わります。黒い胸当てをつけ、親衛隊の象徴を巻き付けたトアでした。呪いの蛇が遠巻きにしている場所までやってきます。
「大地の呪いがほころびているぞ!」
「ギガンテスも消滅している! 何があったんだ!?」
「例の侵入者だ! どこへ行った!?」
「探せ! 一刻も早く見つけ出すんだ!」
口々にどなりながら、荒野の上を飛び回ります。
侵入者を捜し回る赤い光は、まるで闇夜を舞い飛ぶホタルの群れのようでした――。