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第15巻「闇の国の戦い」

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23.闇の王子

 「なるほど、それでフルートたちと友だちになったわけか。北の大地とは、また厳しいところにいたものだね」

 とキースがアリアンに言いました。

 そこは魔法の食卓がある部屋でした。キースとアリアンは一緒に食事をしながら、互いにフルートと出会ったときの話をしたのです。

 アリアンはうつむくように目を伏せました。

「私たちは生まれたときからトジー族として育てられていました。北の大地は確かに雪と氷に閉ざされた厳しい場所ですが、私たちにとっては故郷でした。できることなら、トジー族として、死ぬまであそこで暮らしたかったんです……」

 黒い服を着て長い黒髪を垂らした少女は、優しく美しい姿をしていました。態度も控えめで、キースがフルートの友だちだったとわかっても、なれなれしくしたりしません。本当に闇の民らしくない少女なのですが、その額には長い一本の角がありました。悲しげな瞳も、血の色をしています。

 ふぅん、とキースは言いました。こちらも二本の角と黒い羽がある闇の民の姿ですが、やっぱり穏やかで端正な顔立ちをしています。今はもうすっかり優しくなった声で続けます。

「それでわかったよ。ぼくの屋敷のある結界は、闇の想いを持つ奴を拒否するようになっているんだ。君はトジー族として育ってきて、闇の想いを持っていなかったから、屋敷の庭に入ることができたんだな」

 アリアンは、そっと相手を見ました。その結界に住んでいるのですから、キース自身も闇の想いを持たない人物だということです。もちろん、それはそうに違いありません。あのフルートたちと友だちになれるような人なのですから。アリアンの頬がまた薄紅に染まります。

 それには気がつかない様子で、キースは話し続けました。

「それで? 君の弟のロキは、フルートたちを助けようとして死んで、人間に生まれ変わったけれど、君とグーリーはその後どうしていたんだい?」

「地上の世界を逃げ続けていました……。私は透視力を持っているから、追っ手が迫ってくるのもわかります。そのたびにグーリーと一緒に、捕まらないところまで逃げて、そこでまた弟やフルートたちを見守っていました。フルートたちがミコンへ行ったこともわかっていたんですが、あそこは聖なる力に守られた場所だから、闇の民の私には、中まで透視することができなかったんです」

「それは確かにその通りだな。だから、ぼくはあそこに身を潜めていたんだから。――闇の国は本当にうんざりする場所だから、なんとか逃げ出そうとするんだけれど、そのたびに闇王の家来が追いかけてきて、ぼくを連れ戻すんだ。ミコンだけが連中の手が届かない場所だったから、気に入っていたんだけれどね」

 微笑したキースの顔を淋しい陰がよぎったので、アリアンは、どきりとしました。アリアンがトジー族でいたかったと思うように、この青年も、本当は人間でありたかったと思っているのに違いありません。

 

 けれども、キースはすぐにまた普通の表情に戻って言いました。

「それで、君はどうやってグーリーを助けるつもりなんだい? グーリーを連れ去ったのは闇王の親衛隊だ。君を捜してトアの連中も乗り出してきている。一筋縄ではいかないぞ」

「鏡で様子を見ます」

 とアリアンは答えました。普段のアリアンはもっと口数の少ないおとなしい少女ですが、不思議とこの青年相手にはすらすらとことばが出てきます。

「グーリーはきっと、私の代わりに生贄にされてしまいます。その前にチャンスを見つけて助け出します」

 キースはちょっと変な顔をすると、すぐに、ああ、と言いました。

「そうか、君はずっと闇の国で育ったわけじゃないから、知らないんだな。君が生贄にされそうになったフノラスドは、人しか食わないんだよ。闇の民、地上の人間、エルフ、ドワーフ、天空の民……なんでもいいんだけれど、とにかくヒト族を百人集めて食わせなければ、奴をまた眠らせることはできないんだ。そういう契約なのさ。しかも、闇王は闇の民に生贄になれと命じることはできないし、魔法でそう仕向けることもできない。そんなことをすれば、闇の民全員が次は自分の番かもしれないと恐れて、闇王へ呪いをかけるからな。いくら闇王でも、国中の連中からいっせいに呪われたら、絶対無事ではいられない。だから、君のような罪人が生贄に選ばれるんだ。あるいは……王を呪う力を持たない者がね」

 また青年の目の中を陰がよぎっていきました。今度はぎょっとするほど暗い、怒りの色です。アリアンが驚いてとまどっていると、キースは席を立ちました。部屋の壁に向かって歩きながら言います。

「この屋敷に鏡はないんだ。自分の姿が映るのを見るのは好きじゃないからな。でも、君が透視するのに必要だと言うなら、鏡を出してあげよう」

 そんなふうに話すキースは、怒りの色も消えて、また元の表情に戻っていました。壁へ手を差し伸べて、魔法で丸い鏡を出し、さあどうぞ、と言います。

 アリアンは青年と鏡を見比べながら、おそるおそる鏡の前へ行きました。銀色のガラスが角のある少女の顔を映します――。

 

 とたんに、鏡が音をたてて砕けました。無数の鋭い破片が飛び散って、アリアンを傷つけます。

 思わず悲鳴を上げて座り込んだアリアンへ、キースが駆け寄りました。

「大丈夫かい――!? 鏡を破壊する魔法をかけられていたんだな。気がつかなくて悪かったね」

 とアリアンの上へ手をかざします。すると、彼女の顔や体から傷と痛みが消えていきました。同時に、闇王の親衛隊から爪を立てられた胸の傷も消え、破れていた服が元通りになります。キースの目につかないように長い髪で隠していたのですが、とっくに気づかれていたのだとわかって、アリアンは真っ赤になりました。

 キースがアリアンに手を貸して立ち上がらせ、新しい鏡をまた壁に出して言いました。

「魔法は解いたから、今度は大丈夫だよ。透視してごらん」

 本当に、闇の国の第十九王子は信じられないほど親切です。アリアンはすっかりどぎまぎしながらうなずき、もう一度鏡の前に立ちました。今度は鏡も砕けませんでしたが、想いが乱れて、なかなか集中することができません。何度も深呼吸をして心を落ち着かせると、ようやく鏡に光景が現れました。

 

 荒野の中の街道を大きな荷車が進んでいました。周囲は真っ暗闇ですが、街道の石畳がぼんやり青白く輝き、荷車の行く先を浮かび上がらせています。荷車は厚い布がかけられた上から幾重にも鎖で縛られ、さらに大勢の闇の民を乗せていました。全員が角と翼のある親衛隊員です。荷台の上に座り込んでいますが、その間に一人だけ、黒い胸当てをつけたトアが立っていました。荷車を引く二頭の馬に鞭を食らわせてどなります。

「しゃんと引け、バカ馬ども!」

 八本足の馬がいなないて、怒ったようにトアを振り返りました。それを見たとたん、アリアンは、思わず息を飲みました。馬は人の顔をしていました。アリアンを馬車から引きずり出して慰みものにしようとした、二人の親衛隊員だったのです。

 それにまた鞭を食らわせて、トアはどなり続けました。

「なんだ、その目は!? 生贄を逃がして殺されなかっただけでもありがたいと思え! おまえらもしっかり抑えていろ! そいつまで逃がしたら、おまえら全員がフノラスドの餌にされるぞ!」

 後半は荷台の親衛隊員への命令でした。親衛隊員たちは震え上がって、両手を荷台に強く押しつけました。荷車の捕虜が逃げ出さないよう、魔法で抑え込んでいるのです。

「グーリー……」

 アリアンの目に涙が浮かびました。身を挺してアリアンを逃がしたグーリーは、再び親衛隊員に捕まって、荷車で運ばれているのです。よほど強力に抑え込まれているのでしょう。布におおわれた荷台は、ぴくりとも動きません。

 同じ光景を、キースも鏡に眺めていました。

「ずいぶんはっきりと見えるんだね。大した透視力だ。彼らが向かっているのは王都だよ。闇のグリフィンは数が少なくて貴重だから、殺さずに利用しようとしているんだ」

 安心させるように言ってくれるのですが、アリアンの涙は止まりませんでした。荷車に乗せられて街道を運ばれていく友人を、泣きながら見つめます。

 キースはまた困ったように頬をかき、少し考えてから、こう言いました。

「泣かなくていいよ。ぼくが君の友だちを助けてあげるから。連中はグーリーを競売にかけるつもりだろう。売られる前に、こちらでいただいてしまおう」

 アリアンは驚いて青年を見ました。そんなことできるんですか? と尋ねると、青年は苦笑しました。

「ぼくはこれでも闇の王子だよ。そのくらいの力はあるさ。さあ、透視はこのぐらいにして、もう休むといい。外はまだ夜だからね。明日には君の友だちと会わせてあげるよ」

 だから――と青年は続けました。相変わらず苦笑する顔のままです。

「もう泣くのはやめてくれないかな……。どうも女性の涙は苦手でね。泣きやんでもらうのに、なんでもしてあげたくなるんだよ」

 アリアンはまた真っ赤になりました。歯の浮くような台詞のはずなのに、キースが言うと不思議と誠実に聞こえます。どぎまぎするうちに、涙が止まってしまいます。

 そんな彼女の手に、キースは丸い手鏡を渡しました。壁の鏡を魔法で小さくしたものです。部屋の出口まで送り、その向こうの扉を指さして言います。

「三つ向こうの部屋の隣に君の部屋を準備したよ。右の扉がそうだ。必要なものは、部屋の家具に言えばなんでも出してくれるはずだよ。ああ、それから――」

 青年は呼び止め、振り向いた少女を見つめて言いました。

「君をアリアンって呼んでもいいかな? ぼくのこともキースと呼んでかまわないから」

 少女は目を見張り、いっそう赤くなると、はい、とうなずきました。そのまま顔を伏せて逃げるように出て行きます。

 

 キースはそれを見送り、アリアンが次の部屋に消えると、また苦笑しました。

「確かに美人だし、かわいいんだけれどな」

 そうつぶやきながら部屋に戻ると、そこに人が立っていました。茶色の巻き毛に薄緑色のドレスを着た、あの女性です。

「キース?」

 と問いかけるように尋ねられて、青年は首を振って見せました。

「あの子は闇の民だよ。どんなにかわいらしくても、ぼくは闇の民を好きになったりしないさ」

 巻き毛の女性に歩み寄って、両腕の中に抱きしめます。

 部屋の窓の外は、いつの間にか暗くなっていました。結界の中の世界にも、夜はやってきていたのです。窓の外は穏やかなのに、はるか遠いどこかで、ごうごうと風の吹く音が鳴り続けていました……。

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